剛田邸招待

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   そして、その日曜はあっという間に来てしまう。  妙な緊張を押さえるように大きく息を吐き出した私は、和馬の家に行く途中でその当人にばったりと出会ったのだった。  私と和馬の家のちょうど真ん中辺りになるだろうか。川沿いを歩いていると向かいからやって来る和馬と出会う。 「やあ、藤花。どこかへ行くのかい?」  そこにいたのはいつもの和馬だった。変わった様子など微塵もなく、今日も穏やかに優しく微笑んでいて、お父様のように挙動不審な所などないように見える。 「ええ。和馬に会いに行こうとしていた所よ。入れ違いにならずここで会えて良かったわ。和馬はどこかへ行くの?」  私がそう言うと途端に和馬の顔が花が咲いたように綺麗に綻ぶ。 「ああ、僕も藤花に会いに行く所だったんだよ」  いつもとなんら変わらない和馬。  だけど、それが却って違和感を感じさせるのは私の心が疑心に満ちているからだろうか。 「あら、そうなの?」  私の口から出た素っ気ない言葉にも意に介さず和馬は、ゆっくりしたいから喫茶店にでも行こう、と私の手を引っ張るように連れて行った。  目の前に置かれた冷たい桃ジュウス。窓から射し込む陽光がカップに当たり、浮かんだ氷を煌めかせている。  そんな煌めきとは反対に私の心は、和馬からどう聞き出すかという思案に少しばかり曇っていた。 「藤花、飲まないの? 美味しいよ?」 「あ、うん、そうね。いただきます」  喫茶ルビィの桃ジュウスは絶品のはずなのに、なんだか味がよく分からない。ただ冷たいとろみが舌を上を滑り喉の奥にゆっくり落ちていった。 「ねえ和馬」 「どうしたの? ……ああ、何か食べる物でも頼むかい?」  そう言って和馬はお品書きを手に取り私に見せてくれようとする。 「ううん、違うの。あのね……剛田様に招待された後からお父様の様子がちょっとおかしいのよ。何か知らない?」  和馬は手にしたお品書きを元に戻すと思案するように口を開く。 「様子がおかしいの? どんな風に?」 「心ここにあらずって様子なの」 「それは心配だね。だけど心当たりはないなあ。会食も特に問題なく和やかに終わったんだよ?」  ――問題なく? 和やかに?  だから私はお父様にも龍彦兄さんにも詰られなかったのだろうか。  だけれど、それではどうしてお父様は様子がおかしいのだろう。あれは「剛田様」という言葉に反応したに違いない筈なのに。  目の前の和馬と視線を合わせるけれど、和馬はやはりいつも通りである。 「会食ってどんな感じだったの?」  その日何が起きたのか知りたくて、興味があると言った顔で和馬に問うと、和馬はあっさり話してくれる。 「僕たち三人と、剛田閣下、奥様、ご令嬢の由真様と乾杯してどんどん美味しい西洋料理が運ばれてきてね。とても美味しかったけど、僕はそれよりマナーの方が心配で味わってなんていられなかったね」  和馬は思い返し苦笑してまた話しを続けてくれる。 「奥様もいらしたから難しい話しはなかったよ。お互い和やかに家族の話しをしていたかな。あ、それから……」 「それから?」 「藤花には、ちょっと……」 「何? 私なら気にしないから話してくれない?」  それが何か重要な事なら聞き逃せないと思った。 「嫉妬しないでくれるかい?」 「嫉妬? しないわよ。だから話して?」 「うん。由真様が外の風に当たりたいと僕を連れてバルコニーに出たんだ。だからその間、小父さんが何を話していたかは分からないんだよ」 「そう……。由真様は? 由真様は何か和馬に言わなかった?」 「え? それを聞くのかい?」 「あら、言えないの?」 「……言っ、言えるよ。『わたくしのような女性はどう?』と聞かれただけだよ」 「そう」  それは何と言うか想定内過ぎる質問で嫉妬なんて全く出ない。 「それで、和馬は何て答えたの?」 「そんなのっ、僕には幼い頃より許嫁がいますので、って言ったに決まってるじゃないか」 「あら? 由真様は和馬の好みではなかったの?」 「はああ?」 「では許嫁がいなかったら?」 「は? 何言ってるの藤花?」 「もし、の話しよ」 「もし? ……藤花と縁がなかったらと言う事かい? そんな事はないけど、もし、と言うのであればその場合、……由真様には素敵な女性だと思います、と返していただろうね」  そう言いながらそっぽを向く和馬。 ――素敵な女性、ねえ……。  乾いた喉を潤すように勢いよく桃ジュウスを飲み干してもう一度和馬の瞳を見る。  和馬は多分嘘を言っている。由真は和馬に違う事を言ったのではないだろうか。  一度目の人生ではそれが契機で婚約破棄になるような事――例えば、『わたくしの夫にならない?』だとか『剛田に婿入りして夫婦になりましょう』だとか……。  一度目の人生の時は和馬はそれに応じた。だから私に婚約破棄を申し出た。でも今回は私へ正式に婚約の申し出をしていたから、由真への回答が変わったのかもしれない。 ――だから今回は由真の誘いを断った?  でもそのお蔭で私はお父様からも龍彦兄さんからも詰られなかったと考えれば得心がいく。  だけど、だとしたらあのお父様の様子はどういう事なのだろうか、私にはついぞ分からなかった。
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