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私を真ん中にして三人並んで歩く。日差しは強いが、時折涼しい風が汗で貼り付く髪をさらっていく。
「藤花暑くないか?」
龍彦兄さんが心配気に私の顔を覗き込む。
「ええ、大丈夫」
とは答えたものの、さすがに今日の日差しは特に厳しい。日傘を持たなかった事を後悔していた。
「もうすぐ氷屋に着く。よし、頑張るんだ」
次の角を曲がれば商店の並ぶ通りに出る。あともう少し、と自分に言い聞かせながら、私の歩幅に合わせてくれる二人に遅れないよう歩いた。
「おい、龍彦! 久しぶりだな」
角を曲がると龍彦兄さんが近所に住むご友人の紀之さんに声を掛けられる。
「おお、紀之か!」
龍彦兄さんは朗らかに笑って答える。
「藤花ちゃんも一緒だったのか」
「はい、こんにちは」
「いやあ元気にしてたか龍彦? どうなんだ? 立ち話もなんだし、ちょいとあっちで話さないか?」
紀之さんが龍彦兄さんの肩に腕を掛ける。
「済まない貴男、藤花。先に氷屋に行っていてくれないか」
「ああ。わかった。藤花ちゃんの事は私に任せてくれ」
「貴男、頼む」
そう言って龍彦兄さんは紀之さんと積もる話しでもあるのか行ってしまわれた。
「行こうか藤花ちゃん。ここに立ち止まっていても暑いだけだよ」
「はい。そうですね、行きましょう」
そうして私と貴男さんは二人で氷屋に行く事になった。
氷屋に入って少しの間、龍彦兄さんが来るのを待っていたけれど、いっこうに姿を見せないので先に貴男さんと二人で頂く事にする。
細かくかいた氷にイチゴのシロップをかけてもらい、一匙パクりと口に運ぶ。すると火照った身体に心地よい冷たさが広がり、その幸せにうっとりと頬を緩ませた。
「ん〜〜冷たい」
「ふっ」
冷えた頬を押さえる私を見て貴男さんは笑う。
やっぱり食い意地が張っていると思われたに違いない。……恥ずかしい。
「あ、そうだわ。貴男さん」
恥ずかしさを誤魔化すように、何か話題はないかと考えた。そして思い出す。鞄に忍ばせていたお礼の存在を。
「あの、この前いただいた帯留のお礼をと思って……。良ければ……」
おずおずとその手巾を貴男さんに差し出した。
「私に、かい?」
「はい」
こくこくと頷くと、差し出したものを両手で受け取ってくださる。
「嬉しいな。ありがとう藤花ちゃん。藤花ちゃんが選んでくれたの?」
「はい」
貴男さんは包みを開き、右手に左手にと乗せた手巾を確認するように指先でつうと撫でている。
「うん、とても手触りがいいね。サラリと手に馴染む……」
「はい」
私も手に取った瞬間そう思った。サラサラとした肌触りが心地よいと。貴男さんも同じように思って下さった事がとても嬉しい。
「ふははは、藤花ちゃんさっきから『はい』しか言ってないよ」
ーーほんとうだわ、恥ずかしい。
「大丈夫。本当に嬉しいよ、ちゃんと使わせて貰うね!」
優しく笑う貴男さんを見て、緊張で上がっていた私の肩がすうと下がる。喜んで下さった姿を見て、渡せて良かったと思った。
氷屋で貴男さんと氷を食べ終わっても、龍彦兄さんはこちらにこない。
「龍彦兄さん遅いですね」
「そうだね。まだご友人と話をしているのかな?」
氷屋の外を伺うものの、やはり龍彦兄さんの姿は付近にない。だが、しかし、私は別のものを見てしまった。
男の人と、女の人が寄り添う後ろ姿。後ろ姿だけれど、それが誰のものか分かってしまう。
男の人は和馬で、隣にいる華やかな女の人は剛田由真なのだろう。
まただ。また、二人を見てしまった。こうも頻繁に二人の姿を見掛ければ仲睦まじいことが伺える。私の視線が外に張り付いていることに気付いたのか貴男さんが心配そうな声を出す。
「どうしたの藤花ちゃん?」
優しい貴男さんに心配を掛けないように笑顔で首を横に振る。
「何でもないですよ」
「暑さにやられたのではないかい? もう帰ろうか?」
このような年下の娘に優しく気遣いをしてくださる貴男さん。
貴男さんに心配を掛けたくなくて気丈に振る舞っていたが、家に帰ると気がゆるむ。
部屋に戻るが、どうにも身体の火照りが抜けないでいた。鈴に声を掛け、冷たい水に浸した手ぬぐいを持って来てもらい、帯を緩める。
「お嬢様、熱が出たのではありませんか? お顔も赤いですよ」
鈴はそう言いながら私の着物を脱がせ襦袢の中の汗を丁寧に拭ってくれる。そして浴衣に着替えさせられた。
「少し横になって下さいな」
「うん」
寝台に横になると、鈴が団扇をゆるく仰いで風を送ってくれた。
「さあさ、目を閉じて少し休みましょう」
言われるまま、目を閉じる。
と、目蓋の裏に和馬と剛田由真様が寄り添う姿を見た。見たくはないと、薄く目を開く。
「眠れませんか?」
「うん。……お水が欲しいわ」
「お水ですね。お待ち下さい、今持って参りますので」
鈴が部屋を出て行くと私一人になる。
「はあ」
口から熱い息が飛び出していった。
病は気からというけれど、気を強く持とうとすること自体が間違っているのかもしれない。
和馬と剛田由真が仲睦まじい様を見れば、おのずとその先に自分に死が訪れるのではないかと考えてしまう。和馬と由真の仲を邪魔さえしなければいいと考えていたが、果たしてそれで良かったのかどうか分からない……。
翌日、やはり熱が出ていた。身体中が熱く、節々が痛い。でもそれよりも痛みを感じるのは、胸の奥。
熱に浮かされ、目蓋の裏に和馬と剛田由真の姿を見る。見たくないと思えば二人は寄り添い、消えて欲しいと願えば二人が抱擁し剛田由真が勝ち誇ったように笑う。
ーー私は諦めたのに……。どうして、このように執拗に追い掛けてくるのだろう。逃げなければ。遠い遠いどこかに逃げなければーー。
「はあ、はあ」
「藤花ちゃん? 大丈夫かい?」
――来ないで和馬!!
違う。にじむ視界がはっきりすればそこにいるのが貴男さんだと分かる。和馬ではなく貴男さんが傍にいることに安堵する。
「泣いていたの? 怖い夢でも見たのかい?」
「た、かお、さ……」
口の中が張り付いて上手く声が出ない。それに気付いて貴男さんが私の頭を持ち上げ、口元に水を運んでくれる。
こく、と飲み干すと、そっと優しく頭を戻された。そして貴男さんの足が後ろに下がる。
「行か、……ないで」
「大丈夫だよ藤花ちゃん、今鈴さんを呼んでくるからね。汗もたくさんかいているみたいだから着替えた方がいいよ」
そう言ってくれる貴男さんに私はゆっくりと首を縦に振る。それを見て貴男さんは部屋から出て行った。
それから三日は寝ていただろうか。熱が下がったように思えないのは気温が高いせいかもしれない。ゆっくりと身体を起こす。窓の外は暗かった。
喉を潤すために横に置いてあった水に手を伸ばすが、あっという間に飲み干してしまった。
もう少し水が欲しい――と思った私は鈴を呼ぼうと思ったのだが、立ち上がれそうだったので部屋を出る。すると居間の方からお父様の声が聞こえたので、ご挨拶のために少しだけ顔を出そうと向かう。
ゆっくりと歩き、居間からの明かりが見える。向かうにつれ驚くような、怒るような龍彦兄さんの声が聞こえたので私はその場に足を止めた。なんだか居間に入ってはいけない気がする。
居間の前で息を潜め、耳をすます。
「藤花が聞いたら……、それでなくても今は熱を出して寝込んでいると言うのに……」
「藤花には私から話をする。だから勝手に言わないよう努めてくれ」
「言える訳ありません」
龍彦兄さんとお父様の声を聞いて、それが私の話だと分かる。けれど、私の話であって、私には話し辛いことなのだ。
思い当たることは一つ。和馬との婚約破棄ではないだろうか。……それしか考えられない。
私は来た道を戻り、自室の寝台に突っ伏す。
とうとう、ここまで来たのだ。和馬の邪魔はしないで、和馬の幸せを願おう。そのためにやり直している人生だもの。私が安穏な人生を送るため。
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