市松人形と西洋人形のお茶会

3/5
前へ
/307ページ
次へ
***  お天道様が見える洋館二階のバルコニーに出た剛田由真は澄みわたる青空を仰いだ。柔らかな風が栗色の髪の隙間を抜けていく。  心地良い風に目蓋をおろすと、あの晩の残像が脳裡によみがえる。ここで強く欲しいと思った男の残像を求めて由真はその白い指を手摺りに乗せる。  男の名前は仲多和馬。年齢は由真のひとつ下。  あの日このバルコニーで、月光を受けて微笑む和馬に由真の心はあっさりとらわれた。  ーーわたくしの美しさに遜色なく隣に立つ事が出来る凛々しい姿の男。まだあどけなさを残している顔立ちだけど、数年もすればそれも理想の(かたち)に整うでしょうね。  由真の人生で欲しいと言ったものが手に入らなかった事などない。由真が望めば、望むもの全てが由真の手におさまる。  ーーいいえ違うわ、それらの物がわたくしの元に来たいと望んでやって来るのよ。 「ねえ?」 「はい」 「わたくしたちきっといい伴侶(パートナー)になると思わない?」 「とても光栄に存じますが、しかし僕の父はしがない教員です。身分が違いますから閣下がお許しになるはずがありません」  由真は一瞬、和馬の言っている意味を理解しあぐねて首を傾げた。 「あら? いいのよ、そんなもの望んでないから。私の隣に立つに相応しい美しい(かんばせ)さえあればいいのよ」  ーー目の前の男が欲しい。私の匂い立つ色香に靡き、麗しい美貌に跪けばいいのよ。 「は? お戯れは――」  言葉を遮るように、二人の間へ由真は白い人差し指を立てて見せる。そして人形のように滑らかで陶器のような和馬の肌を確認するように、立てた指をその頬に添わせる。 「ふふっ」  ――そうね、わたくしこれがどうしても欲しいわ。 「わたくしと一緒になれば何でも手に入るのよ? 素晴らしいでしょう?」 「あのう?」  ――すぐに頷かないなんて、恥ずかしがり屋さんなのかしら? 面白いじゃない。でも覚悟するのね。あなたはもうわたくしのもので決まりなのよ! 「ふふ。まあいいわ。でもあなたはわたくしの横に立つに相応しいのだから、それだけは覚えておいてね」  困惑した顔にもそそられると思いながら由真は蘭子が呼びに来るまで和馬の顔をじっと見ていた。  佐伯一行の見送りを終えた由真は剛田閣下に擦り寄る。 「お父様、アレが欲しいわ」 「アレとは、大佐の息子の佐伯龍彦くんかな?」  ーー佐伯龍彦といえば、猪みたいな山猿のほうよね? 「いいえ、それではないわ。わたくしの前の席にいた男よ」  剛田閣下は顎髭を撫でつつ、ふむ、と一つ唸る。 「仲多和馬くんか? だが由真より年下の十六歳でまだ陸幼だぞ?  龍彦くんならすぐに祝言をあげる事は出来るのだがね?」  ーーだから山猿はいらないの! 「でも仲多和馬は優秀でしょ? 祝言なんてすぐではなくてもいいのよ。一年や二年くらい待つわ。卒業してからでも構わなくてよ? わたくし、どうしてもアレが欲しいの。ね、お父様お願い!」  由真はまるで新しい服や靴をねだるように閣下の屈強な腕に抱き着き、下から顔を覗き込むと、まばたきを数回してじいっと瞳を見つめた。  閣下が由真のこの顔に弱いのは幼い頃から変わらない。由真もそれを分かっていてわざとやっている。おねだりでなければ由真が閣下の腕に抱きつくことなどない。  愛娘の可愛い顔が間近にくれば閣下の首も縦にしか振れなくなる。由真には特別甘いのだ。 「ううむ、では明日にでも佐伯大佐に打診してみよう」 「ありがとうお父様!」  父の打診に否と言う者などいないと由真はさっそく勝ち誇った笑みをたたえる。和馬が由真の手に入るのはすでに決まったも同然だ。  由真は鼻歌交じりに軽い足取りで自室に戻る。和馬が手に入る喜びと興奮でなかなか眠りに就けなかった。由真の寝室からしばらくくすくすと笑う楽しそうな声が漏れていた。  翌日、欠伸をこらえながら閣下を笑顔で見送った由真は、早く帰って来ないかしら、と昼間から閣下の帰りを心待ちにしていた。 「ふふふ、由真は本当に落ち着きがないわね」 「だってお母様、欲しいものが手に入るのよ」  由真と蘭子は紅茶と焼き菓子で午後のティータイムをまったりと過ごしている。カップは仏蘭西(フランス)から取り寄せた一等高級のもの。茶葉は英吉利(イギリス)の上等品。 「あら、そう言ってこの前もお父様に靴をおねだりしていたじゃない」 「靴とアレは違うわよ」 「まあ。相当お気に召したのね」 「そうよ! とても気に入ったの」  ーーアレは私の物なのよ。早くお父様帰って来ないかしら。そして、帰って来たお父様は私に言うの。『向こうも由真の事をえらく気に入ってくれておったぞ』なんてね。  そう胸を躍らせる由真は年齢よりずっと幼く見える。  早く帰って来て欲しいと思う由真の心に反して閣下はいつもより遅くに帰って来た。 「お父様お帰りなさいませ」 「ああ、まだ起きていたのかい?」 「ええ。お父様をお待ちしていたのよ」 「参ったな、……由真、私の部屋に来なさい」  困った顔を向ける閣下に由真は首を傾げる。  ――どうしたのかしら?  由真は大きな背中に黙って着いて行き、閣下の自室に入る。椅子にどかりと座った閣下は長く大きな息を吐き出した。由真はその横に座ると閣下の少し疲れた横顔を見上げる。 「由真、仲多和馬くんなんだが……」  閣下らしくもない歯切れの悪い言い方に由真は困惑する。いつも自信にあふれた顔で由真に笑いかける閣下が由真のことを心底気遣いながら言葉を選ぶように話し出す。 「仲多和馬くんは佐伯大佐のお嬢さんと、幼い頃から良い仲なんだそうだ」  由真はーー良い仲だから何なの? ――と言い返したいのをぐっと堪えて話しの続きを聞く。 「先日も大佐のお嬢さんと和馬くんは正式に婚約をしたそうだよ。だからな、由真──」 「だから? 婚約なのでしょ? それではお父様の力で破棄させれば良いのではなくて?」 「由真……」  閣下の眉尻が更に下がるが、由真にはそのような些末事を気にしている場合ではない。 「お父様はわたくしに諦めろとでも? なぜここでわたくしが諦めなければならないの? わたくし、アレが手に入らなければお父様の事嫌いになりますから!!」  そう言って由真はわざと足音を響かせて閣下の部屋を出る。  由真は自分の部屋に帰ると苛立ちをぶつけるように手近にあった本を思い切り投げる。ゴト、と壁に当たるとパラパラと頁が捲れながら床に落ちた。 「婚約がなんなのよ! 離縁する訳ではないのだからいいじゃないの!」  収まらない苛立ちにギリと歯噛みした。  一晩立つと、由真は自分のものであるべき和馬と婚約しているという佐伯大佐の娘がどんな子であるのか気になってきた。 「黒岩(くろいわ)」  執事の男を呼ぶ。 「お呼びでしょうか」  黒岩は表向きは由真の専属執事だが、本来は由真の用心棒として雇われていた。由真にとっての黒岩は『何でもしてくれる使い易い駒』だ。 「佐伯大佐の娘を調べて」 「畏まりました」  無駄にあれこれ指示をしなくても伝わる所が黒岩の良い所だと由真は思っている。黒岩は綺麗なお辞儀を見せるとその屈強な身体を隠すように足音なく消えて行った。 「さてと、報告が楽しみね!」  由真は方頬を釣り上げて不敵な笑みを浮かべていた。  その翌日。黒岩は由真の元に報告を持って来た。 「それで?」 「はい。娘の名は佐伯藤花、十六歳。仲多和馬と同じ年の生まれで、母親同士が親友です。その母親同士が二人を結び付けたいと言っていたのは周知の事で、周りの人間もいずれそうなるのは時間の問題と思っているようです。そして先日、仲多和馬より正式に婚約の申し出を佐伯大佐に願っております」  由真にとっては面白みのない羅列ばかりで余計に苛立ちが募る。 「全然面白くないわ。他にはないの、もっと楽しくなるようなこと!」  弱みの一つや二つ探って来なかったのかと言う由真に黒岩は「もう一つございます」と言って由真との距離を詰める。それを見て由真は仕方なさそうに髪を耳にかけると、黒岩は由真にだけ聞こえるように耳打ちする。 「──────」 「それって……」  黒岩の耳打ちに由真はその大きな目をこぼれんばかりに見開いた。それを確認した黒岩は一歩下がって頭を下げる。 「はい、左様でございます」 「ふふふ! なかなか面白いじゃない。いいわ、下がりなさい」  最後の耳打ちはまあまあ良い報告だったのじゃないかしら。楽しくなりそうね――と由真は機嫌良く片方の頬を歪めながら黒岩に次なる指示を出したのだった。 ***
/307ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1108人が本棚に入れています
本棚に追加