市松人形と西洋人形のお茶会

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***  陸軍幼年学校にいた仲多和馬は休憩中に呼び出された。『佐伯大佐が応接室でお待ちである』と上官から伝え聞いた和馬は背筋を伸ばしたまま応接室に向かう。  ーー藤花の小父さんに学校で呼ばれるとは何事だろう。  そう言えば、と喫茶ルビィで藤花が『お父様の様子がおかしい』と言っていたなと思い出す。  この急な呼び出しもそれに関係しているのか分からないが、呼び出されるということがなかなかに珍しい事で和馬は少しばかり緊張していた。  いや大丈夫だーーそう自分に言い聞かせ、ゴクリと唾を飲み込むと陸幼の応接室の扉の前に立つ。 「失礼致します。仲多和馬であります」 「入りなさい。やあやあ、和馬くん。呼び立てて悪かったね。いや、何、……うん、座ろうか」  いつも元気で明るくおおらかな佐伯大佐が、少し、いや大分顔色が悪そうに見えると和馬は心配になる。  ――どこかお加減が良くないのですか?  そう聞いてもいいだろうか、それとも聞いてしまったら気分を害されるだろうか。そんな事を和馬が考えているとも知らず、佐伯大佐は和馬の名を悲しげに呼ぶ。 「和馬くん」 「はい」  名前を呼ばれた和馬は一層背筋を伸ばす。何を言われても大丈夫だと構える和馬に向けていた視線を佐伯大佐は下に向ける。 「その、申し訳ないのだが……」  そこでまた佐伯大佐は言葉に詰まると一度自分を落ち着かせるように唾を飲み込んだ。 「僕などに申し訳ない事などありませんよ。どうぞお話しして下さい」  和馬の優しさに佐伯大佐の眉尻が下がる。 「いや、……本当にすまない」  勢いよく、がばりと頭を下げられて和馬は驚きに目を見開いた。 「なっ、頭を上げて下さい! 何があったのですか?」  和馬は、自分などに頭を下げるなど只事ではないのは確かだと感じる。  和馬が嘆願のように頭をあげてくれるよう頼めば、やっとのことで佐伯大佐が頭を起こす。 「ここに座ってくれるかな?」  佐伯大佐が示すのは大佐の隣。和馬は示されるまま静かに隣に腰を下ろした。 「ああ、何と言えば良いのか、君を目の前にすると言葉がどこかへ消えてしまったようだよ」 「何か僕の事を案じておいでなのですか? 僕なら大丈夫です。ですからゆっくりお話を聞かせて下さい」 「ああ、本当に君はとても良い子に育ってくれたのだな……。実に、実に……」  佐伯大佐は続く言葉を一度止めて、和馬の目を見て悲しげに笑う。そして、静かに口から零れたのは「惜しい」という言葉。  和馬には何が ″惜しい″ のかさっぱり分からないのだが何かしら評価されていることは分かる。だからここはただ素直に「ありがとうございます」と、そう言う事しか出来なかった。  丸めた背を真っ直ぐ伸ばした佐伯大佐は、オホンと咳払いし、意を決したようにはっきりと口を開く。 「和馬くん」 「はい」  自分の名を呼ばれた和馬も自然と背中が立つ。 「和馬くんっ!」 「はいっ!」  今度ははっきりと強く名前を呼ばれるので、同じ調子で返事をする。 「和馬くんっ!!」 「はいっ!!」 「藤花との婚約は解消してくれないか!!」 「はいっ!」  佐伯大佐の言葉の勢いに乗せられた和馬はそのまま是の声を出してしまった。だがしかし佐伯大佐の言葉を反芻する。 「はい? 今、何と?」  動揺したせいで、和馬は間抜けにも聞き返してしまう。 「藤花との……」  ――トウカトノ? 「婚約を……」  ――コンヤクヲ? 「解消して欲しい……」  ――カイショウシテホシイ? 「と言ったのだが……和馬くん? 「『藤花との婚約を解消して欲しい』?!」  改めて聞いておいて和馬はそれでもわが耳を疑った。  ーー本当にそう言ったのか? 本当に僕の耳はそう聞いたのか?  しかし確かにーー藤花との婚約を解消して欲しい――と佐伯大佐は言い、和馬はそれを聞き取った。 「いえ、駄目です。解消しません」 「やはり、そうだよな……」 「僕では、藤花さんの婿として不足があるのは充分に承知しております」 「いやいや、そうではない。不足など無いんだよ。藤花には充分過ぎる程に君はとても立派だ。だが、女性は藤花だけではない。そうだろう?」 「はあ……」  仰る意味が全く分かりません、と言う言葉を和馬は呑み込む。だが顔にはしっかり「分かりません」と出ていたのだろう。その顔を見て佐伯大佐は苦笑する。 「どうだね、剛田閣下のご令嬢の由真様は?」 「は?」  益々意味が分からないと和馬の首は真横まで倒れる。 「どう言う事でしょうか?」  理由を尋ねた和馬に、佐伯大佐は優しい目をして説明する。  あの晩餐の日に由真は和馬をバルコニーに連れていきそこでほんの少し会話をしただけ。それだけの接点しかない。 「由真様はたいそう君を気に入ったのだと」 「何故?」 「さあ、それは由真様に訊いてみない事にはな」  佐伯大佐は窓の外に視線を移す。その視線を追って和馬も窓の外を見てみるが由真の真意などが見える筈もなく、青々とした木がささやかな風に揺れている様しか見えない。 「僕が陸幼の首席だからですか? 将来有望だからと言う事ですか? それなら僕は陸幼を退学します。そうすれば由真様も僕に興味を無くすのではないですか?」 「まあ、待て待て和馬くん。そう言う事もあるかもしれないが、由真様は君を気に入ったのだと思う。きっと陸幼だとか首席だとか言うのは関係ないだろう」 「ですが、ですが、……僕には、……藤花しかいません」 「ありがとう、和馬くん。そこまで藤花の事を……」  佐伯大佐は和馬の言葉にうっすらと涙を浮かべる。 「藤花は、この事を知っているのですか?」  どこかいつも憂い顔の藤花に、これ以上の憂いを与えたくないと和馬は思う。 「いや、まだ言ってはいないよ。先に和馬くんに話すべきだと思ってね。だが和馬くんに話したとて、藤花には何と言えば良いのか分からないな」 「話さなくていいです。僕は藤花との婚約を解消する気は微塵もありませんので。藤花にも憂いを抱かせる必要はありません。いつものように可憐に笑っていてくれれば……」 「そうか、そうか、ありがとう和馬くん。私からも剛田閣下に話してみよう」 「はい。宜しくお願いします」 「いやいや、すまないね」  それから二人で応接室を出て、和馬は佐伯大佐をお見送りした。
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