神田神社

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 初詣のあとは家までの道を散策しながら二人で手を繋いで歩いた。途中大通りを歩いていると何かを見つけたのか貴男さんの視線が止まるのに気付く。 「貴男さん?」 「ああ、ごめん。……藤花ちゃん、ここから家まで一人で帰れるかい?」 「はい」  迷子になんてならない勝手知ったる道だ。でも貴男さんは急にどうしたのだろうと首を傾げる。 「ごめんね藤花ちゃん、ちょっと野暮用を思い出して、そっちを済ませて来たいんだ。この埋め合わせはまた」 「いいですよ、もう家に帰るだけですし」 「ごめんね」  申し訳なさそうに謝る貴男さんに、大丈夫だと分かってもらえるようににこりと笑ってみせる。それを見てもう一度だけ「ごめんね」と言って貴男さんは先ほどの視線の先に消えていった。  それを見送りながら私は大人しく帰るべきか、それとも後を尾けるべきかと悩みだす。どうして貴男さんの後を尾けようなどと思ったかは、それは女の勘が追いかけろと言ったに他ならないのだが、自分の勘をどこまで信じるかということと、勝手に後を尾けられて貴男さんが嫌な思いをしないだろうかという思いに躊躇っていた。  だが胸のざわめきは大きくなる一方。いつもなら言葉通りに真っすぐ家に帰るだろうが今日だけは自分の勘に従う。  貴男さんが消えた先に急ぐ。着物の裾が翻るのも構わず急ぎ足で追いかけると遠くに背の高い貴男さんの色素の薄い髪が見えた。気付かれない距離と見失わない距離の双方を保つのは案外難しいのだと思いながら、見失わない方に重きを置いて私は貴男さんの後を尾ける。  貴男さんは大通りの端で立ち止まった。大通りの端といっても人通りはある。私も足を止めて影に隠れた。こっそり覗いていると貴男さんの前に誰かが現れる。鋭い眼光、それは遠目にも分かる。剛田家執事の黒岩だ。黒岩の姿を見て胸が更にざわつきだす。  そして二人は言葉もなく一つ頷くだけでまた歩き出してしまった。 「まだどこかに行くの?」  だけどこの方角にあるのはと一つの答えを導く。 「もしかして剛田邸?」  剛田閣下は陸軍大将。そして貴男さんも陸軍に士官している。上官の家に行くこととが野暮用と言えるのか分からないけど二人は剛田邸の正面玄関側には向かわず、反対へ向かって行く。 「裏口かしら?」  裏口もしくは使用人出入口と思しき小さな扉の中に二人は吸い込まれていった。 「わたしはここまでね。大人しく帰りましょう」  勝手に入れないのだから帰るしかない。気付かれないうちにと踵を返す。と、そこにまた別の顔が私を見て驚いていた。 「藤花ちゃん?」 「三佳さん!?」 「どうしたの?」 「あの……」  貴男さんを尾行してーーとは言えず、知り合いを追いかけてたらここに? ーーと若干とぼけてみせる。 「寒いから一度中に入りましょう。藤花ちゃんは知り合いにここの使用人が多いのね」  三佳さんは私の言葉を疑うことなく私を中に招き入れてくださる。三佳さんの後ろを歩きながら周囲を見回すものの貴男さんと黒岩の姿はない。 「取り合えず使用人の食堂になら行けるけど? 行ってみる?」 「お願いしてもいいですか?」 「ええ。もちろんよ。何人か休憩してるかもしれないけど気にしなくていいからね」 「はい。ありがとうございます」 「こちらよ」  裏口から少し歩いてお屋敷の端にある扉から中に入る。入ってすぐの扉が使用人の食堂らしい。通されたのは十人くらいが座れる卓と椅子のある部屋だった。 「おかえり三佳」 「ただいま戻りました」 「そちらは?」  部屋にはお母様くらいの歳の女性が一人いたので、失礼しますと会釈する。 「夏子のお友達の藤花ちゃん。知り合いがいて追いかけてたらここのお屋敷に入って行ったっていうから中にいれてあげたの。藤花ちゃんこっちはわたしの母よ」 「こんにちは、佐伯藤花と申します」 「こんにちは。知り合いってここの使用人?」 「あ、それが……。知り合いは使用人ではないのですが、その知り合いと一緒にいたのはここの執事でして……」  執事? と三佳さんが首を傾げる。 「黒岩さんです」 「黒岩はお嬢様の専属執事でしょ?」 「ということは、知り合いって和馬様? そういえば和馬様ともお友達って藤花ちゃん言ってたわよね!」  「和馬ではなくて、……今日は村本貴男さんという軍人さんをーー」 「村本?」  貴男さんの苗字に反応したのは三佳さんのお母さんだった。眉を寄せ右手がこめかみを押さえる。 「村本って……まさか……」 「何かご存じなのですか?」 「お母さん?」 「いえ、いえ……、名前が同じだけよね。ああ、ごめんなさい。昔ここで一緒に働いていた娘が『村本』って名前だったのよ」 「その方、今はどうしてるの?」 「分からないのよ。一時は亡くなったって噂もあったんだけどねえーー」  そう言うと三佳さんのお母さんは昔を懐かしむみたいに窓の外を見て、三佳が生まれる前だった、と語り出す。 「彼女はわたしより三つか四つか年下で、可愛くて、若い執事たちの間でも人気がある娘だったわ。可愛いだけじゃなくて器量もよくてよく気の利く良い子でね、旦那様にもよく呼ばれていたわね。旦那様はまだご結婚前で彼女に花を送ったりして、 もらうたびに彼女は『どうしましょう』って困っていたわね」  そんな彼女の困った顔でも思い出したのか三佳さんのお母さんが、ふっと笑いをこぼす。 「当時わたしはわたしである執事との結婚が決まってーーって、あなたのお父さんよ。それでそれからすぐに三佳を身ごもったのだけど全く気付かなくてしばらくは女中として働いていたのよ。まあいい加減おなかが大きくなってくると『もう家で休んでなさい』って言われるようになってしまってね。その頃だったかしら? 彼女が体調を崩してこの部屋でよく休んでいたわ。お腹を撫でていたから『お腹痛いの?』って聞いたりして。でも彼女は首を横に振るの。彼女は何も言わなかったけどわたしは彼女のお腹にも命が宿ってるって確信したわ。それから彼女がどうなったか分からなくて、わたしも三佳を生んで育てるのに必死だったし、きっとどこかで幸せに暮らしているものだと思っていたのよね……」 「亡くなったって噂はどこで聞いたの?」 「んーー、お父さんから。旦那様が奥様ーー蘭子様をお迎えした時だったかしら。三佳が一歳になった頃よ。一年前は働いていたのよね~なんて懐かしくなって色々思い出しているうちに、彼女はどうしてるかしらってお父さんに聞いたの。そしたら誰にも行方が分からないっていうじゃない。どうして誰も知らないの、おかしいわって聞いてもね、彼女体調不良で休むことが多くなって仕事に来なくても『体調が悪いから休んでるんだろう』ってそのうち誰も心配しなくなったみたいなの。それで気付いた時には居場所さえ分からなくなって安否も不明。どこかで生きているのか、それともーー」  三佳さんのお母さんの瞳が潤む。 「おはなし、ありがとうございます」 「ごめんなさいね、昔のはなしよ。きっと藤花さんの知り合いとは関係ないわね」 「あの、その方のお名前は覚えていらっしゃいますか?」 「名前? ……そう、たしか『キエ』ちゃんよ」  キエーーと口の中で復唱する。 「あ、もうこんな時間。休憩時間終わりだわ! 藤花さんごめんなさいね、またね」  慌ただしく三佳さんのお母さんが食堂を出ていく。 「藤花ちゃんどうする? 知り合い探す?」  窓の外を見て私は首を横に振った。貴男さんを見つけたいけど、貴男さんには見つかりたくない。 「ありがとうございます。今日は帰りますね」 「それじゃあ裏口まで送るわね」 「はい」  来た時同様、三佳さんの後ろを着いて行く。小さな扉の前で三佳さんにお礼を言って剛田邸を出た。
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