神田神社

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 貴男さんと初詣に行った帰り道、途中で別れた貴男さんを私は追い掛けた。たどり着いた先は剛田邸でそこで会った三佳さんと三佳さんのお母様に話しを聞いて家に帰って来た。  貴男さんはまだ帰って来てはいなかった。貴男さんより先に帰って来れたという安堵にほっと息を吐く。 「あ、藤花ひとりか?」 「龍彦兄さん、ただいま帰りました」 「貴男はどうした?」 「何かご用があるみたいで」 「それで一人で帰ってきたのか? 危ないだろう、何かあったらどうするんだ」 「ごめんなさい」 「いや、藤花を責めているわけではない」  兄さんは頭をガシガシと掻く。 「外は寒かったろう俺の部屋の火鉢に当たるといい。おいで藤花」 「はい」  兄さんの部屋はじんわりと温まっていて、私は火鉢の前に座らされた。 「どこに行って来たんだ?」 「神田様のところよ。初詣に」 「ああ、俺も詣でにいかないとな」  火鉢の前に手を出して指先を温める。 「鈴に言って熱い茶でも淹れてもらおう。ここで待ってろよ藤花」 「それならわたしが行きます」 「いいからそこに座って温まってろ」 「はい」  龍彦兄さんの優しさに心がぽかぽかと温かくなる。だけど兄さんはすぐに戻って来ない。  お茶を待つ間に眠気が襲ってきて大きな欠伸がもれた。それもそうだろう。神田様にお参りしてそれから剛田邸まで歩き、また家まで歩いて戻って来たのだから身体が疲れているのだ。疲労と火鉢の温かさにうとうととしてしまう。 「ふわあ~」  お茶を持って来た兄さんが起こしてくれるだろうと、兄さんの寝台に頭を預けて重い瞼を閉じた。  夢を見る。  鋭い眼光が私を射抜く夢。しかもその瞳には前にも会った事があると私は知っている、そんな夢だった。 「藤花ーー」  呼ばれている。誰の声だろう。 「おい藤花。起きないなら藤花の夕飯は俺がいただくぞ~」  声の主が分かって目を開ける。こんなうるさい声は一人しかいない。 「起きたか?」 「龍彦兄さん」  兄さんの寝台に頭を預けてうたたねしていたはずだが、起きてみると私は兄さんの寝台の上で横になっていた。 「疲れたのか?」 「そうみたいです」 「夕飯食べれるか?」 「はい」 「そうか。じゃあ行こう」  寝台から下りて兄さんの部屋を出る。居間に向かいながら外がすっかり暗いことに気付いた。 「兄さん、貴男さんは帰って来ました?」 「気になるのか?」 「ええ」  居間にはまだ誰もいないが円卓には夕飯の配膳が半分ほど済んでいる。 「貴男のこと好きか?」  椅子に腰かけた兄さんが突然そう聞く。 「すっ? す、……そんな、はいっ? 兄さん!?」  驚く私の顔を見た兄さんはそれから私の顔から視線を横にずらす。 「ほら、父上見ましたか? この藤花の顔」  いつの間にか居間の入口にお父様とお母様がいらっしゃる。私はお父様と目が合うのだが、それよりもどうしてだか頬が熱い。いや耳も熱い。  否、私の身体の隅から隅まで全てにおいて熱くなっている。それもこれも龍彦兄さんがいきなり変なことを聞いてくるからだ。  そしてそのような私の姿を見てお父様はうむうむ、と納得したように一人で頷いている。 「成程。そのようだな」  何を納得されたのです? ――とお父様に向かうべき言葉は声にならない。 「これで俺も安心して嫁を貰えます」 「え? お嫁さん? 龍彦兄さん結婚するのですか?」 「ああ」  どういう脈絡でそのような話しになるのか分からないが、そう言う龍彦兄さんはとても安心しているような顔をしている。  顔の熱さも龍彦兄さんの結婚話しに驚いて、すうっと冷めていった。 「龍彦にはな、少将の娘さんが嫁に来てくださる事になった。と言っても春以降だな」 「そうなのですね」  龍彦兄さんがお嫁をもらう立場なのに、何故だが私は龍彦兄さんがお嫁に行ってしまうみたいで寂しくて仕方ない。 「そして藤花」 「はい」 「帝都の外に少し出た場所に、鄙びた土地があるのだがそこにすぐに生活出来る家がある。だからな、ここに居るのが苦しければ鈴を連れてそちらに移ってもよいと儂は考えておる」  お父様の言葉を聞いて龍彦兄さんを見上げると、兄さんはしっかりと肯く。これはそういうことなのだろう。私が和馬のいる帝都に居たくない、と言ったのを龍彦兄さんはお父様に伝えてくださっていたのだ。  そしてお父様は私が帝都から出られるように手配してくださったに違いない。 「ありがとうございます、少し考えさせてください」  そうは答えたものの、龍彦兄さんのお嫁さんがいらっしゃるなら、私は出て行く方がいいだろう。うるさい小姑になんてなりたくないもの。それに魔の手がいつ襲ってくるとも限らない。早めに帝都から出るべきだろう。 「それからな、藤花……」  お父様はまだ話しに続きがあると言うように、私の目の深くをずいっと見た。気圧されそうな威厳ある顔に私は背中が沿ってしまいそうなのを、ぐっと堪えて話しの続きを待つ。 「ーーえ?」  お父様の言葉を聞いて口がぽっかり開いてしまう。そして徐々にまた全身が熱くなって行く。聞き間違いでなければ、お父様は確かにこう言ったのだ。 『儂もマキエも龍彦も、藤花が貴男くんと一緒になればいいと思っているのだよ』  話しの流れから、一緒になるというのは結婚すると言うことで間違いなさそうだ。 「でも、貴男さんの気持ちだって――」 「大丈夫だよ、藤花。貴男はいつだってお前を見ていたから。他の女なんて眼中にないさ」 「貴男くんなら藤花を安心して任せられる、と儂は思っておる」  みんな私のことを心配してくれているのだろう。  私だって貴男さんとなら幸せに暮らせる未来を想像出来そうな気がする。貴男さんは優しく穏やかで、隣にいて温かくて落ち着ける存在となっていた。 「はい」  私は背筋を正してお父様にそう言った。それは貴男さんと一緒になっても良いという返事そのもの。 「そうか、そうか。ああ、これで一安心か……」  お父様はほっとしたような、それでいてどこか寂し気に笑っていた。 「けれどお父様」  私はお父様に条件を一つ提示する。 「私の婚姻は龍彦兄さんの後に行ってくださいね。妹が先に嫁ぐなんて、あとあと兄さんに文句言われても敵わないし、……それに私まだもう少しこの家に居たいですし、学校も卒業したいもの。それくらい、いいでしょお父様?」 「ああ。勿論だとも。急ぐことはない」  そう言ってお父様が微笑む。お母様を見ても優しく微笑んでいて、龍彦兄さんもまた同じような顔をして私を見ていた。 「ありがとうございます」  何に対してのありがとうなのか自分でもよく分からない。けれどどうしてか「ありがとう」と言いたかったのだ。  それから私は貴男さんが帰って来るのを待った。  早く会いたい、お話しをしたい、顔が見たいーー気持ちが溢れる。それから恥ずかしいけれど、私と一緒に添い遂げてくださるのかという話しを聞いてみたい。  早くお帰りにならないかしら――と何度も何度もそう思いながら寒さの近い窓に張り付いていた。  月明かりを頼りに窓の外を眺めていたけれど、ゆっくりと翳っていく。完全に月が隠れると、ふわりと雪片が舞い始めた。  だがその晩、いくら待っても貴男さんは帰って来なかった。
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