17歳のわたしは11歳

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 目を覚ますと窓から見える空が紫に染まり始めていた。  思ったよりたくさん寝てしまったらしい。小さな身体を起こすと、 「起きた? とうかちゃん?」 「うひゃ」  いきなり聞こえた声に心臓が飛び上がる。  声がした方――自分の後ろを向くとそこには美少年がいる。これは幼き和馬だ。和馬は箪笥に背を預けて本を読んでいたようだ。 「よく寝てたね。もう具合はいいの?」 「うん」 「ずっと起きないからボク寂しかったよ」  声変わりのしていない少年特有の高い声が、私に向けて寂しいという。  この頃はとても可愛いかったのだな、と感じた。 「これ、お見舞いに持って来たんだ」 「なに?」 「どうぞ」  和馬の手から受け取ったそれは髪飾りの赤いリボン。 「わぁ、可愛い。ありがとう」  ひと目で気に入った私が微笑むと和馬も照れたように笑い返してくれる。  こんなに屈託なく笑う和馬の笑顔を見たのは久しぶりだ。  思えば仲良く遊んでいたのもこの時期までかもしれない。  私にリボンを渡して、和馬はすぐに和馬の母──松子(まつこ)小母(おば)さんと一緒に帰って行った。  手元には赤い地に菊花の咲いた絵柄のリボンが残されている。  そういえばこのリボンを和馬から貰った記憶はない。更に言うと高熱で寝込んだ記憶もない。  見舞いと言って渡されたリボンに視線を落とす。  一度目の人生との些細な差異。そこに意味はあるのだろうか、はたまた無いのだろうか。  そのような事がこの時の私に分かるよしもなかったのだが、人生は変えられるとその赤いリボンが示してくれているように感じたのは確かだ。  その晩、眠りに就くと怖い夢を見た。  夢なのにどこか現実味のあるそれは、私が殺される夢。  泣いて震える私に刃が向けられる。 『──まさまのためだ……。悪く思うなよ』  そう言って影のように黒い塊が白刃を閃かせ、それを私に向けて突き立てる。そしてゆっくりお腹へと食い込む刃――。 「ぃやっ──」  自分の叫び声で夢から醒める。  咄嗟に刺されたお腹を押さえ、押さえた手をゆっくり離して目の前に持ってくる。 「はぁ、はぁ、はぁ……」  夢の恐怖が身体にまとわりつき息が荒くなる。  だが手にもお腹にも血は付いていない。  冷静になれば勿論お腹は痛くもない。ただじっとりとした厭な汗をかいているだけ。  見たくもないものを見た。  もしかするとこれは″決して忘れるな″という啓示なのだろうか。 「そう言えばあの男、何か言ってなかったかしら?」  今ならまだ鮮明に思い出せそうな気がする。  目を閉じて影のような黒い塊を目蓋の内に視ると男が喋る。 『──まさまのためだ……。悪く思うなよ』  はっとして目蓋を開く。  私はその男の言葉を理解して背筋が冷えた。全身に悪寒が広がる。  そう、きっと男はこう言ったのだ。  ──かずま様のためだ……。悪く思うなよ。と。  私との婚約を破棄し、由真と婚約した和馬。  和馬に縋り着いたが為に殺された?  和馬に疎ましく思われたが故に殺された?  そうか。私は和馬に殺されたのか……。  ――と簡単に納得し、受け入れることは到底出来そうにない。あまりの事実に目眩がする。  夕方見せた和馬の笑顔からは想像も出来なかった。  受け入れ難い衝撃に、鈍器で殴られたような激しい頭痛に襲われる。頭が痛すぎて気分まで悪い。  その日は、そのまま眠れなかった。  夜が明けても頭は痛いまま。  そんな様子のおかしい私を見ても家族は、病み上がりだから無理をするな、と言って私に優しかった。  優しさが身に沁みる。  だけれど私の胸の中は、愛しい和馬に殺された衝撃でいっぱいだった。  そんな衝撃を受け入れることも出来ぬ間に和馬がまた家へとやって来る。あどけなく、のほほんと平和そうな顔をした十一歳の和馬を見た瞬間――拒否反応が起きたのか私は吐き気をもよおし手洗い場へ駆け込む。 「とうかちゃん、だいじょうぶ?」  私の様子を見て心配したのだろうけど、今だけは近くに来て欲しくなかった。そのような事が分かるはずもない和馬の手の平が私の背中に触れる。 「おえぇ」  嘔吐した。胃の中のものが全て出ていく。 「とうかちゃん?」 「――って。あっち行ってよ」 「うん、おばさんよんでくる」  やめて。優しくしないで。  分からない。どうして?  そんな私に頭痛までおそってくる。  びっくりしたようなお母様の声を聞きながら、抱き締められると安堵した私は意識を失った。
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