17歳のわたしは11歳

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 十三歳の春。私は高等女学校へ上がり、和馬は全寮制の陸軍幼年学校へ。  和馬とも毎日会う事はない。和馬が寮から家へ帰る事の出来るのは日曜と祭日、それに夏休みと冬休みだけ。これを期に和馬との距離をあけたいと私は思っている。顔を合わせる時間が減れば自然に興味関心も薄れていくのではないかと考えたのだ。  しかしお母様は日曜になると決まって松子小母さん(和馬の母)に会いに行くのに私も一緒に連れて行かされる。 「マキエちゃんいらっしゃい。藤花ちゃんもよく来てくれたわね、嬉しいわ。やっぱり息子より娘が可愛いわよね。マキエちゃんが羨ましいわ」 「そうなの、本当に可愛いのよ。さあ藤花ご挨拶して?」 「松子小母さんこんにちは」 「はいこんにちは。さあさあお茶を用意しているから上がってちょうだいな」  松子小母さんに通された部屋は庭に面している。庭に咲くツツジを愛でながらお母様と松子小母さんは途切れる事なくずっと話しをしていた。  私はそれを聴くのも退屈で、お茶を飲み干すとすぐに庭に降りて家の回りを徘徊する。  和馬の家と言っても勝手知ったる我が家同然、咎める者も誰もいない。  角を曲がれば玄関、という所でそちらの方から「ただ今帰りました」と言う和馬の声が聞こえた。  その声を聞いて咄嗟に隠れるように身を引っ込める。もう少しで和馬と会う所だった。 「危ない、危ない」  私は静かに呟く。  和馬に見つからない場所で母が帰るまで待たなければならなくなった。  とくに避ける必要はないのだが、ここで和馬に見つかると部屋で一緒にお菓子でも食べながら話しをしようという流れになってしまう。そうなってしまえば親密な関係を深めるだけだ。  和馬と婚約する必要はないのだから、私と和馬は極力会わない方がいい。  私も和馬もお互いに関心を無くせばいいのだ。  そう、和馬はいつか私を殺そうとするのだから。今の優しい和馬からは全く想像出来ないけれど。  だからこそ今の内に距離を開けなければならない。なのにそう考えると少しだけ悲しい気持ちが溢れてくる。小学校でたくさん遊んだ日々と和馬の笑顔を思い出し、寂しいな、と口から漏れた。 「寂しい?」 「うひゃっ」  玄関横に隠れる私の後ろに静かに現れたのは和馬だった。会いたくなかったのに、と溜め息がもれる。 「藤花来てたんだね。探したよ、一人で隠れんぼ? まあでも僕は藤花がどこに隠れても絶対見つける自信あるけどね。二人で隠れんぼする? それとも鬼ごっこがいいかな?」  そう言って和馬はニカッと笑う。私の好きだった和馬の笑顔だ。だけど、それを見ると胸が苦しい。  それはいつしか私に向けられる事はなくなるものだから……。 「隠れんぼも鬼ごっこもしないわ……」 「藤花? どうしたの? 元気ない? そうだ金平糖があるよ。遊ばないなら僕の部屋においで。一緒に食べよう」  要らない、とは言えず、ただ一つ頷くと和馬が優しく私の手を取り引っ張る。そのまま仕方なく手を繋いで私は和馬の部屋に連れて行かれた。  和馬の部屋に入るとそっと手が離される。和馬が腰を下ろしたすぐ傍には座れず、私は距離を開けてそこに正座すると和馬は首を傾げた。 「何か遠くない?」 「そんな、こと、ないわよ」  そお、ともう一度首を傾げた和馬は鞄から小さな白い包みを取り出すと、片手の平の上にそれを広げた。  中からキラキラと輝く甘い星が現れる。 「藤花は桃色が好きだよね。はい、どうぞ」  そう言って和馬は桃色の金平糖を指で摘むと私の手に乗せる。 「ありがとう。頂きます」  唇の隙間に桃色の星を差し込むと、舌の上を甘みが優しく転がっていく。だが美味しさは感じられない。 「藤花? 大丈夫? もしかして何かあった?」  この和馬の優しさが本当に困る。あと四年もすれば私を殺す相手だと分かっているのに、時々忘れそうになるほど和馬から私へ対する嫌悪を感じないのだ。だからと言って気を許してはいけない。いつか必ず和馬の態度は変わるのだから。 「……ない。何もないから」  誤魔化すように頬に力を入れるが上手く笑えない。  こんな時、前の私なら身を乗り出して和馬とのお喋りを楽しんでいただろうに……。  私はあまり顔を見られたくなくて横を向くと、和馬もそれ以上何も言わなかった。  それから半月程が経ち、また母に連れられ松子小母さんの家を訪ねる。 「こんにちは、マキエちゃん、藤花ちゃん。藤花ちゃんってばまた可愛いらしく育ってなあい? やっぱり女学校に通うお蔭なのかしら?」 「そんな事ないですよ」 「そうよ、まだまだお裁縫も下手っぴでね」 「お母様!」 「あら、松子ちゃんに言うのも駄目なの?」  母が拗ねた顔を私に向ける。 「はい。止して下さい。そして上達しますから少々お待ち下さいませ」 「「ふふふ」」  玄関先ですでにぐったり疲れてしまいそうだ。  今日もまた庭に面した部屋に通されるが、今日は何となく庭に下りる気にならなかった。  母と松子小母さんの話しを右耳から左耳に流しながら、目の前にあるワッフルにジャム(ジャミ)を付けて頬張る。なかなかふんわりとしていて美味しい。  ワッフルをすべて平らげた頃に和馬は帰って来た。 「お母様そろそろお(いとま)させていただきましょう?」 「あら、どうして? 折角和馬くんが帰って来たのだから二人でお話でもしてくれば良いのよ?」 「そうよ。和馬ったら藤花ちゃんに会えるのを楽しみにしてたのだから」 「いえ、わたしはーー」  会いたくないのです、と言いたいのに言葉が出ない。少女のように煌めかせた目をする母と松子小母さんを悲しませるような発言は出来ず苦笑いを返していると、失礼します、と和馬がこちらに来てしまった。 「ただ今帰りました。マキエ小母さん、藤花、こんにちは」 「お帰りなさい」 「和馬くん、こんにちは」 「さあ和馬、藤花ちゃんが待ちくたびれているわよ。お部屋に行って遊んでさしあげて」 「はい。行こう、藤花」  和馬は私へ向けて自然に手を差し出す。けれど私はその手を取る事など出来ない。差し出された手を通り越し和馬より先に和馬の部屋へと私は向かう。 「待って藤花。何だか今日は怒っているのかい?」 「………、怒ってなんていないわよ」 「そうかい? そうだ、今日はね飴があるよ。一緒に食べよう」  穏やかに微笑む和馬。どうして和馬はこんなにも優しいのだろう。私がどんなに邪険にしても和馬の優しさは変わらない。  いや、本当にそうだろうか?  一度目の人生を思い出してみるとどうだろうか。私はいつも和馬、和馬と呼び付けるように和馬の都合も考えず和馬にべったりとくっついていた。あの時の和馬の笑顔も同じだっただろうか?  否、困ったように引きつった笑顔を浮かべてはいなかっただろうか。私はその笑顔を見抜けていなかった。和馬の気持ちなんて何一つ考えていなかったのだから当たり前だ。  だからこそ今度は適切な距離を守ることが必要だろう。私は間違えてはならない。もう和馬、和馬と呼び付けべったりとくっつく事はしない。そうしっかりと胸の内で決心し、それを唾とともにごくりと飲み込んだ。
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