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龍彦兄さんからたくさん話しを聞かせてもらったからだろうか。和馬の気力が益々満ちているように感じる。
やはり龍彦兄さんと貴男さんが特段親密そうであったからなのかもしれないし、もしかしたら私には考えの及ばない理由があったからなのかもしれないのだが、和馬はきっと龍彦兄さんが好き過ぎてヤキモチを焼いているのだろう。
和馬は夜遅くまで龍彦兄さんの傍を離れずに話を聞いていたらしい。そのやけに熱心な姿が父の目に入ると、父までもが喜んでいる様子であったと後からお母様に聞いた。
私は敢えて和馬には近寄らないように努める。和馬と仲が良いなどと思われないために。でも和馬は龍彦兄さんとの話の合間に私の部屋にやって来る。だから私は決まって、体調が悪い、と嘘を言った。
そうすると鈴が様子を見に来て、その後で鈴に頼んだはずの温かなお茶を貴男さんが運んでくださるのだ。
「貴男さんすみません、わざわざ」
「いいんですよ。お世話になっている身ですからね、手伝える事はしないといけません」
「でも――」
「嫌? ですか? そうですよね見知らぬ男が出入りするのは気色悪いですよね。そこまで考えが及ばず申し訳ないです。すみません、下がりますね」
「あのっ、貴男さん。わたしは大丈夫です。あの、少し話し相手になってくださいませんか?」
「私でいいのですか?」
「はい」
きっと貴男さんがここにいてくだされば和馬はやすやすと来ないだろう。そんな私の打算だとも知らない貴男さんが嬉しそうに微笑むので私の良心が痛む。
――ごめんなさい、貴男さん。
これは私と和馬のため。嘘も打算も偽りも、全ては安穏な人生を迎えるために仕方ない。そう割り切るしかなかった。
そして貴男さんは士官学校に戻るその日に私にある物と笑顔を残して帰って行った。
ある物それは、物であり、時に心であり――。
貴男さんは初めて和馬を基準にして見ない殿方だったかもしれない。和馬との未来がない私にとって、貴男さんはとても魅力的な殿方である。私の『中身』と表現するのが正しいかは分からないが、前の人生の記憶を引き継いでいる私の『意識』と貴男さんの年齢は近いのだろう。こう言ってはなんだが和馬の言動は今の私には子どもっぽいと感じていた。
だからこそ今の私の『意識』は貴男さんの言動に胸を揺さぶられるのかもしれなかった。
私の手の中には蝶々の髪飾りがある。
「蝶のように可愛い藤花ちゃん、君に似合うと思って――」
そう言うと貴男さんは私の髪を一筋取って、そこに口付けを落とした。このような事をされたのは初めてで、赤く染まる私の顔を見て嬉しそうに笑った貴男さんは、またね、と残して帰って行ってしまった。
こんな事、和馬は一度だって私にしたことはない。
きちんと女性として私を扱ってくださる貴男さんの背中を見送っても、私の胸はいつまでも蝶が翅を動かすように舞っていたのだった。
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