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(まただ)  デスクの上に小さなサイズの段ボール箱を見つけ、充は重いため息を吐いた。箱には赤いマジックで大きく「不良品返品」と書かれている。  開封すると中には婦人もののスリップが入っていた。紺色のしっとりとした手触りのシルク製で、裾の部分に同色のレースがあしらわれている。肩紐の部分をつまんで持ち上げると、たしかにレースの一部の縫い目がほどけ、身ごろとレースとの間に隙間ができていた。 (今月に入って二枚め……)  長島屋の婦人服売り場の拡大に伴い、メーカーへの発注量を急激に増やしていた。発注先は米国のランジェリーメーカーのイザベラ社。先日、一緒に東京観光をしたクリスが窓口担当の会社だ。休暇明けのクリスに無茶な発注をするのは心苦しかったが、売り場拡大のチャンスに乗らない手はないという上坂の指示に従い、前回の二倍にもなる量を発注していた。イザベラ社の製品は繊細なレースやビーズが多くあしらわれ手縫いの工程も多い。「無理だ」というクリスをなんとか宥めすかし、なんとか発注通りの品物を送ってもらっていた。  やはり支障が出てきている。充は不良品を手に上坂のところへ向かった。 「上坂さん」手にしていたスリップを広げる。「イザベラ社の製品……最近少し不良品の割合が多くなってます」  上坂は充の手からスリップを受け取ると、慣れた手つきで不良個所をチェックした。 「やっぱり短期間で無理な発注量だったのかもしれません」 「そうか……。担当者に今後もこのペースで発注する旨と、不具合がないようにお願いしておいて」 「はい」  しばらくの間思案顔で手元のスリップを見つめると、上坂は歯切れの良い声で訊ねてきた。 「このシリーズ、入荷してからどれくらいになる?」 「ええと、」慌ててデスクへ戻り商品管理データを開く。「一年半です」 「うん、だいたい二年だな。このスリップは修理屋に出して、八掛けで売ろう」  通常、商品の値引きは発売から二年以上たってから行う。二年以上がたち、それでも売れ行きが悪い場合の救済策だ。不良個所があるものにつけるものではない。 「二割引き、ですか? まだ二年たっていないシリーズですが」  充は普段、上坂の指示に意見するようなことはない。けれどイザベラ社の製品をいとも簡単に値引きしてしまうのは抵抗があった。自分が身に着けるものではないが、手に取ればイザベラ社の製品がいかに手間や時間をかけて作られたものかわかる。 「二年で割引っていうのはあくまでも目安だから」  そう言って上坂は充の手に商品を返してきた。指示は決まったから業務に戻れという合図だ。    管理職になった現在も、上坂は大きな契約をいくつも結んできて営業成績は群を抜いている。そんな上坂に心酔していたが、この件の対応は少し乱暴な気がした。もちろん長島屋のフロア拡大に乗り遅れてはならないが、品質を無視してまで数を売ろうというのはどうなのだろう。  すみやかに指示に従うこともできず、かと言ってなにか手立てを思いつくこともなく、充はその場に立ち尽くした。なかなか自分の席に戻れずにいるとふいに横から低い声が響いた。
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