海とツバサ

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 森で少女と出会った。  初めて出会ったはずの少女であったが、そんな気はせず、むしろ、遥か昔から知っているような懐かしさを少年は感じていた。  宿命的な邂逅。  正に一目惚れだった。少年は、一気に少女の虜になってしまった。  髪は見たこともなく艶めかしい白で、ヒツジグサの花弁のように透き通った肌を持っている。着ている服は、自分と同じ農民が着るような麻でもなく、貴族達が召す豪奢な服でもなかった。  それまた、白くフワフワとした羽毛のような素材の服を少女は着ている。どこかの民族衣装だろうか。  浮世離れしたその見た目は、さながら現世に舞い降りた天使であった。  少年は草むらに身を潜め、フラストレーションのまま、少女の動向を探る。  少女はしきりに周囲を確認し、おどおどしていた、何かに怯えているように震えている、現在の気温は適温で、震えの要因は寒さではないだろう。  少年は一旦、目の保養をやめ、少女について考えた。  何故、少女はこんな森にいるのだろうか、自分のように薬草採集を着ているなりでもないし、そもそも、あの少女は自分の村にはいない、つまり、他の村の人間だ。  ここから最寄りの村となると、大人でも寝ずに歩き三日かかる距離にある。そんな遠方から少女一人で歩いてきたなんて、甚だあり得ない話なのだが、現実にそれは起こっている。  少女は少なからず、デスペレートな理由を胸に、ここまで来たのだろう。  少年は途端に歯痒い思いに駆られた。  いつまでも、少女に気付かれず、観察を続けても何一つとして良いことはないだろう。少女は森で餓死し、自分には後悔が残る。  ここは、勇気を出して話しかけるべきだ。  頭では分かっている、重々承知である。しかし、少年は中々一歩を踏み出せずにいた。急に現れて嫌われたらどうしよう、驚かせてしまったらどうしよう、そんな考えても仕方がないことばかり思考してやまない。  話しかけるには、絶望的なまでに情報不足だ。少年が持つ少女に関する情報と言えば、少女はとてつもなく可憐なことだけである。  それに、少年は同年近くの女の子と話したことは無かった、故に緊張する。  掌は不要に汗に塗れ、鼓動が大きく脈打つ、動悸がひどい。  そして、少年は勇気を出して話しかけることに決めた。勇足で少女へと近づき、うわずった声で、出来るだけ当たり障りなく言った。 「やぁ」  少女はビクンッと肩を驚かし、恐る恐るこちらを向いた。近くで見ると美しさに磨きが入る、少年は見惚れそうになってしまう。  少年は喉元に差し掛かる唾を飲み込み、 「君は迷子なのかい?」  少年は訊く、少女は少しまごつきながら、頷いた。 「どこから来たか分かるのか?」  少女は尻すぼみに、 「クライトコ……」  そう掠れ声で言った、少女の肩は震えている。恐らく、前、居た村でなにか酷いことをされたに違いない、少女はそれがトラウマで、暗いところたる、漠然とした答えを言ったのだろう。  少年は胸が熱くなる。それは少女の過去(推測)が、自分の今と酷似していることにある。  少年は孤児であり、数ヶ月前に、今いる村に拾われた。曰く、村では大きな災害があり、それの復興のため、少年は拾われたらしい。  無論、孤児である少年を愛す村人など、一人も居るはずなく、毎日、半ば虐待にも近しい仕事を課せられている。  今日の薬草採集だって、一日では到底捗るはずもない量を、少年の義父は要求してきた。規定量に達しなかった場合、少年は暴力を受ける。  そんな理不尽を嫌悪していたが、少年は村を逃げ出す訳にはいかなかった。  少年は、自分と似たような境遇にいる少女の力になりたいと思った。 「お腹は空いていないか? どこか、痛むところはないか?」  少女は俯きながら言う。 「アシガ……イタイ」  少年は言葉を受け、すぐさま焦点を少女のか細い脚に向けると、血だらけのふくらはぎが見える。怪我をしていた。  少年は少女との距離を詰め、座らせ、患部を確認する。出血はひどいが傷口は深くない。これなら止血をすれば、じき治るだろう。  少年は自分の服の袖を破り、下腿の付け根あたりに切れた袖を巻き、強く縛りつけると、少女は痛み我慢するように声を上げた。 「大丈夫かい?」  少女はコクリと頷いた。  それから、少年は近くの川で少女の傷口を洗い流したのち、秘密の洞穴へと少女を招待し、中にある丸太のベンチに腰掛けた。  洞穴内は湿っぽい匂いが充満しているが、外とは違い、涼を運ぶ風が吹いて心地いい。ここは、少年が隠れて作った秘密基地である。  「それで、君はどこの生まれだい? 孤児なのか? なんでもいいから、君のことを僕に教えてくれ」 「マイゴ……」  少女はそれだけ呟くと、何かに怯えるように拳と膝を四つに合わせ、ちっちゃくまとまり、その後、何かを語ることはなかった。  沈黙の時がしばし。  そうこうしているうちに、陽が傾き始め、少年の帰宅時間が迫りはじめる。  頼まれた仕事も満了しておらず、少年は色々と困った状況下に身をやつしていた。 「仕方がないな、一緒に村に行こう」  少年は薬草採集を諦めることにして、少女に自分の村に来ることを提案した。村は精神衛生上良くないことは少年も承知だが、少女を一人にはさせたくなかった。  仕事を放棄した上、面倒ごとを持ち込むのは義父としては遺憾でしかないだろうが、少女を救うには最善策だと思い、そう提案した。  少年の発言を受け、何かに戦慄しているように、震えだした。   「ムラハ……ヤダ」  それもそうかもしれない、少女は前居た村でトラウマを植え付けられた。別の村とは言え、もはや、村という言葉に拒否反応を示すようになったのかもしれない。  少年は少女の為を考え、この洞穴に少女を匿うことにした。  ここでゆっくりと少女の心を蝕む氷を溶かし、いずれかは、自分の村へと移住させるつもりだ。  少女を森に放置するのは心が痛むが、不幸中の幸いに、ここはドラゴンの森と呼ばれる地域であり、何故かモンスターは近寄らない、この季節なら焚き火なしでも夜は越せるだろう。  この洞穴は、少年の秘密基地だ、一通りの家具も揃っている。暮らすには申し分ないはず。  少年はその妥当案以外思い浮かばなく、それを実行に移した。 「すまないが、僕は村に帰らなくちゃならないんだ、君はしばらくここで暮らすといい」  少年は、家具の使い方、干し肉の隠し場所、近くに川があることを少女に懇切丁寧に説明し。そわそわと穴から出ようとするが、袖が引っ張られ、歩行が止まる。  少年が振り向くと、前髪で瞳を隠した少女が、今生の別れかの如く訊いてきた。 「マタ、キテクレル?」  少年は笑い、大きく頷きながら。 「ああ、また、来るさ」  そう言うと、少女はスルッと袖を離してくれた、少年は少女が見えなくなるまで、手を振り続け、視界から少女が無くなるや否や、村に向け韋駄天走りを敢行した。
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