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1.巨大団地
1.巨大団地
「素敵ねえ、新築の香りがするわ」
美子は玄関を開けると、顔を左右に振って鼻孔をピクピクさせた。
「そうかな? コンクリートの臭いしかしないけどな」
秀樹は首を傾げて言った。
「デリカシーがないよね、いつも。30倍の競争率でせっかく西多摩丘陵団地(仮称)に当選したのに。もっと前向きな言葉、言えないのかな?」
美子は口元を突き出して秀樹の顔を見た。
「まあ、間取りはいいけどな」
秀樹は美子のツッコミに話題を変えようとした。
「そう思うでしょ。洋間6畳、6畳のDK、和室4.5畳が2部屋に、ユニットバス。今まで木造の2DKに比べたら最高よね」
美子は身を乗り出して、秀樹に相槌を求めた。秀樹は思わず小さく頷いた。
美子が秀樹をおいて一人で部屋の探検を始めた。どんな家具をどこに配置するか考えたかったからだ。
転居に伴って新しい家具を買おうと思っていた。秀樹に言えばもったいない、前の家具を使えばいいと言うに違いない。といっても木造2DKの家具は洋服ダンスが2つ、TV、洗濯機くらいしかない。
美子は頭の中で間取りに合わせて新しい家具のプランを考えた。後は、秀樹と話してどこまで妥協するかだ。2年前に結婚したので、家具が古くなったとは言えないからだ。
「ねえ、秀樹。ここにダイニンテーブル置こうよ。そうしたらさ、私がキッチンで料理を作って、振り返ってそのままテーブルに料理を出せるでしょ」
アパートのキッチンは狭くてダイニングテーブルが置けなくて、折り畳みのちゃぶ台だった。
「いいね。俺がテーブルに座っていて、ビールを飲みながら、料理を注文する。楽しみだな」
秀樹も賛成した。
「ねえ、ここには、ソファーどうかしら。サイドボードの上にテレビを置いて二人でソファーに寄りかかってテレビを見るの。いいでしょ?」
「いや、洋間は6畳だろ!? 狭くならないか」
秀樹は顔を左右に振った。
「じゃ、新聞紙をソファーとか、サイドボードの替わりに置いてみようよ」
美子が言った。秀樹が新聞紙はないだろと言おうとすると、美子は新聞紙を取り出した。そのつもりで事前に用意していたのだ。
「秀樹、貴方も座って」
美子はソファーにみたてた新聞紙に座りながら言った。
「ねえ、二人でお酒飲みながらソファーに寄りかかってテレビ見るって、映画館みたいじゃない」
美子の誘導に秀樹はOKするしかなかった。ここまでは、美子の勝ちだ。
「この和室は俺の勉強部屋でいいだろ」
秀樹は4.5畳の和室を見て言った。
「そうね、でも北側の部屋だよ。倉庫兼用にしようよ」
美子は条件を付けた。
「南側の4.5畳はベッドルームにしよう」
秀樹が言った。美子が反対しないようなので、続けて「ダブルベッドにしようぜ」
と言った。
「ダメだよ! 4.5畳しかないのよ。ベッド置いたら歩けなくなるわよ」
秀樹が、ベッドが夢だったと言おうとすると、言い終わる前に美子が言った。
「秀樹、寝相が悪いのだよ。ベッドから落ちたらどうするのよ!」
美子の強烈な一撃だった。険悪な雰囲気になりそうになったので、秀樹は、ベランダに出て美子を呼んだ。
「こっちに来いよ。いい眺めだぜ」
と秀樹が言った。
美子は秀樹の呼びかけでベランダに出ると、二人で団地の周囲を見回した。
目の前には5階建ての団地が整然と並んでいる。美子が顔を左右に振ると、美子たちと同じようにベランダに出ている入居したばかりの若い夫婦の姿が見えた。
首都圏周辺には、戦後の高度経済成長期にたくさんの巨大団地が建設された。
西多摩丘陵団地(仮称)もその一つで東西400メートル、南北200メートルの広大な敷地には幅10mの遊歩道が南北に3本縦断していて、5階建てが50棟あり、総戸数2000戸の住宅がある。
中央の遊歩道の両端には桜が植樹され、入学シーズンには桜のトンネルを抜けて学校に向かう児童・父兄の姿であふれた。
それから50年。
桜のトンネルは当時のままだが、児童の姿はほとんどない。白壁は灰色で亀裂が入り、上下水道も老朽化し、ビニール管が屋内外の壁に沿って配管されている。
当時の団地はエレベータがなかったから、足腰の弱った高齢者には『夢の団地』が『陸の孤島』になっていた。
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