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 その日の帰り道。  電車で帰るという美麗と更紗を駅まで見送って、ラボはひとり夕暮れの街を歩いていた。  冬に比べればずいぶん遅くなった日暮れが、ひんやりとした空気を伴って迫ってくる。  昼間の陽気に合わせた服装をしたひとびとは、上着をかき合わせながら家路を急ぐ。うつむき気味に歩くひとの波を避けて、ラボは通りの端に早くもできた暗がりを進んでいた。  ―――きょうはとっても良い日だったな。  顔をすっかり前髪で隠して暗がりを行くラボは、はた目にひどく陰気に見える。  けれどその実、ラボの胸のうちは小躍りしたいほどに浮かれていた。それなのに足音もなく、影に埋没するように歩いてしまうのは、のっぺらぼうの性(さが)だ。    浮かれて歩くラボは、自分の後をつけている人影に気がつかない。  本人的にはうきうきと、実際のところはしずしずと歩くラボから少し離れた暗がりに、人影がひとつ。怪しい人影は、ラボがひとつ先のビルの陰に移るのを待ってから姿を現し、こそこそと人ごみをかきわける。  北だった。  気もそぞろに本日の講義を終えた北は、美麗と更紗の目を盗んでラボの後をつけていた。 「ぜったい、俺は見たんだ。あいつはのっぺらぼうだった。きょう見た顔はニセモノに違いないんだ。ぜったい、ぜったい俺の見間違いなんかじゃない……!」  建物の陰に隠れてぶつぶつとつぶやく北に、近くを通りかかったひとが怪訝な目を向けている。  けれどラボを見張るのでせいいっぱいの北は、気づかずラボだけを見つめる。  学校近くの駅で同級生に手を振ったラボは、ひとり通りを歩いていく。街行くひとは、ほとんどがラボに気がつかない。 「なんで、あんな妙な髪型してるのに誰も気にしないんだよ……やっぱおかしな術かなんか使ってるに違いない」  実際はひっそりと静かに歩くラボが人目につきにくいだけなのだが、北にはそう見えない。 「正体を暴いてやる……!」  スマホを握りしめて、北は執念を燃やしてラボを追う。  ふと気がつけば、ずいぶんと街の外れにやってきていた。  入学のために移り住んだばかりの北は、街の地理に詳しくない。街灯もなく暗い路地は見覚えがないせいか、やけにひんやりとして見える。  なんとなく不安になって周囲に視線を向けた北は、背中がぞわりと泡立った。  誰もいない。  あれほど行き交っていたひとびとの姿が、知らぬ間にすっかり消えていた。  慌てた北は思わずあげかけた悲鳴を飲み込んで、立ち止まってあたりを見回した。  駅からどれほど歩いたのだろう。  夢中でラボを追いかけているうちに、店どころか人家すらまばらな場所に来てしまったらしい。 「どこだよ、ここ……」  思わずつずやく声がいやに静かな道に響いて、北ははっとしてラボの背中を探した。  いた。  すっかり暗くなった道のさき、街灯もない闇のなかにぼんやりと彼女の背中が浮かび上がって見える。  ほっと息を吐きかけた北は、ラボの周囲にある物を見て動きを止めた。  ラボの腰から胸ほどの高さをした、四角い塔がたくさん建っている。不自然に開けた空間に無数に建つそれは……墓だ。 「ひいっ……!」  引きつった声をあげかけた北の後ろで不意にがさり、と音がした。  慌てて振り向いた北は、そこに黒々とした大きな影を見て腰を抜かす。  いつの間に忍び寄ったのか。見上げるほどの大きな黒い影が、北のすぐそばに立っていた。  呆然と見上げる北を前にした影は、ゆるりと持ちあげた太い腕を北に向けて伸ばす。  ―――とって喰われる……‼︎  命の危険を感じた北は、抜けた腰のまま地面を這って逃げ出した。 「ひぃいやああぁああ! でたー! 大入道だああぁあぁ!」  四つん這いのまま、北は明かりのあるほうへと去っていく。情けない悲鳴を長く引きずりながら去る北は、意外に素早い。  その珍妙な後ろ姿を見送って、大きな黒い影はぼそりとつぶやく。 「熊とはよく言われるが、大入道ははじめてだなあ」  ぽりぽりと後ろ頭をかいてそう言ったのは、安部井だ。  のっそりと歩き出した安部井の手に下げられた買い物袋が、がさりと音を立てる。 「こんな時期に肝試しかね。元気があっていいことだ」  先ほどの不審人物をそう結論づけて、安部井は家路を進む。  墓場が見えるからと格安の賃貸は、給料の安い臨時講師にはありがたいものだ。 「若いってのは、いいことだね。楽しみも悩みも、たくさんある」  自身もそれほど歳が離れているわけでもないのに、安部井は年寄り臭くつぶやいた。その脳裏には、先ほど去っていった若者だけでなく、今朝出会った新入生の女の子が浮かんでいる。  ―――あの子、次に会えたときにはどうなっているだろうな。  まだ見ぬ未来を思いながら安部井がひっそり笑ったころ。  ラボは、墓場を通り抜けた先にあるちいさな一軒家に帰り着いていた。 「ただいま戻りました」  ささやかな帰宅のあいさつに返る声はない。  けれど、ラボは満足そうに窓から外の景色に目をやった。陽が落ちた墓場は、墨で塗りつぶしたように真っ暗だ。それが、ラボには心地よい。 「周りも静かで眩しすぎることもないし、本当にすてきなお家。それに学校のみんなも良いひとたちばっかりで」  ほとり、ほとりと眼球を手のひらに落としたラボは、くちだけになった顔でにっこりほほえんだ。 「学校生活、楽しみだな」  独りごちたラボは、両手に転がる眼球を見つめて決意する。  ―――安部井先生にはやく会いに行けるように、がんばらなくちゃ!  ひっそりと決意するラボと彼女の未来を楽しみにしている安部井は、互いがご近所さんだとまだ知らない。  そんなふたりが遭遇するまで、あと少し。
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