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五
悩んだ末、ラボは正直に言うことにした。
だめならば、きょうは諦めて目と鼻を手に入れるほかの方法を考えればいい。
「う……その、わたし、自分の顔に自信がなくて……」
なにせ、ラボはのっぺらぼうだ。くちだけは自在に出現させ、また消すことも可能だが、鼻と目に関してはどうにもならない。
それなのにひとの間で暮らしたいと願うのだから、せめて顔を得て生きていきたいというのがラボの本音だ。けれど、それをすべて伝えるわけにもいかない。
それゆえことばを濁したラボの思いを、どう受け止めたのか。
しばらく黙っていた安部井は、不意にラボから視線を外した。そして、ラボに向けて一歩踏みだしたかと思うと、腕を伸ばして手にしたものをラボの前に突き出す。
「これで良ければ、きみにあげよう」
ラボの顔の前に差し出された安部井の手のうえには、ガラスケースが乗っていた。そのなかには、先ほどラボが見とれたきれいな眼球が一組ならんでいる。
改めて見ても美しい、と思いながらラボは手を出せずにいた。
「でも、これは安部井先生がつくったもので……」
「だからだよ。ぼくが作ったから、ぼくがあげたいひとにあげる。きみはこの眼球をきれいだと言ってくれた。そしてきみは自信を持ちたいという。きれい、というのはひとが自信を持つのに有効なものだからね。どう使うかはわからないけれど、持っていきなさい」
ためらうラボに安部井は押し付けるでもなく、ただガラスケースを差し出したまま、静かに言った。
安部井の手のひらのうえに、ちょこんと乗ったケースのなかの瞳は何度見ても美しい。
これだけ美しいのだから、きっといろいろな思いを込めて大切に作り上げられたものだろう。そう思うからこそ手を出しかねたラボだったが、安部井のことばを受けて、ゆるゆると手を持ち上げた。
広げられたラボの手のひらに、安部井がガラスケースを乗せる。安部井の手のうえではちいさく見えたケースは、ラボの両手にすこし余る。
ラボは、安部井のことばごと受け取ってガラスケースを大事に抱えた。
「あとは、鼻か。いま持ってくるから、そのあいだに眼球だけ取り出しておいてくれるかな。ケースは学科の備品なんだよ」
「あ、はい」
ぱたんぱたんとスリッパを鳴らしてどこかへ消えた安部井は、間もなくゴミ袋を抱えて現れた。無造作に置かれた袋のなかは一面の鼻で、形も大きさも色も種々様々であった。
「わ、すごくたくさんありますね」
「授業で作ったやつを処分する前だったからね。さて、どれがいい? あまり大きいのはきみには合わないだろうから、小ぶりなもので形がよくて、色は……うん、けっこう色白だな」
表情が変わらずぶっきらぼうに見えるが、安部井は面倒見がいいらしい。大量の鼻を前に圧倒されるばかりのラボをよそに、ラボに似合いそうなものをと袋のなかみを漁り始める。
そして、瞬く間に三つの候補を選びだした。
「さて。あとはもう好みの問題だ。特徴としては、鼻筋が通ってるもの、小鼻がちいさいもの、すこし鼻が低めのもの、かな。どれがいい?」
並べられた鼻を前に、ラボは悩む。
どれも鼻だ。うす暗い部屋でぱっと見ただけでは、シリコンで出来た模造品だとは思えない、立派な鼻だ。
あこがれていた鼻が手に取れるところにある。その事実だけで胸がいっぱいになって、ラボにとってはどれも素晴らしくすてきな鼻に見えた。
「あの、どれもとてもすてきで、わたしには選べません。その、安部井先生はどれが良いと思いますか?」
悩んだラボは、鼻を持って生きて来た先輩である人間に意見を求めることにした。
安部井は「自分で選ばなくていいのかい」と言いつつも、並んだ鼻をじっくり眺める。
「そうだ。さっきあげた目玉を出してくれないかい。並べて見たいんだ」
「あ、はい」
「いっしょに使うなら、バランスも大事だからね」
ラボがガラスケースから取り出した眼球を並べると、安部井はおおきな身体を丸めてその間隔を整えてから目と目の間に鼻を置く。三つの鼻を順に置いては目の間隔を変えて、としばらくいじった後、丸めていた身体を起こして安部井が場所を開けた。
「ぼくはこれがいいと思ったんだけど、どうかな」
「あ……かわいい、です」
譲られた場所に立ったラボは、思わずそうつぶやいていた。
となりで安部井が照れたように後頭部をかく。
「いや、まあぼくの好みだからね。きみが良いと思うものがいちばんなんだけど」
「いえっ、いいえ。わたし本当に、こんな顔になれたらどんなにすてきだろう、って!」
お世辞ではない、と頭を振って訴えるラボに、安部井ははじめてゆるい笑みを浮かべてみせた。
「だったら、これを持っていくかい。鼻の貼り付けには、つけまつげ用の接着剤でも使うといいよ。あれならそこらで買えるからね。眼球は、まあ飾っておいて似たようなコンタクトを探して入れるなりしてもらえればいいかな」
「なるほど。ありがとうございます」
アドバイスにこくこくとうなずくラボの手に、安部井は自身のズボンのポケットから取り出したハンカチをしくと、そのうえに眼球と鼻を乗せた。
「眼球は傷つきやすいから、これでくるんで。さあ、もうすこししたら一限がはじまる。そろそろ行きなさい」
「あ、ハンカチなら」
背中を押す安部井を振りあおぎながら自分のハンカチがあると言おうとしたラボに、安部井は目元をやわらげる。
全体に男らしい安部井の顔は、途端に愛嬌をたたえたくまのぬいぐるみのようになった。
「きみが自分に自信を持てるようになったら、返しにおいで。その眼球もいっしょに」
安部井は、ラボが眼球を飾るものと思っているのだろう。実際にはのっぺらぼうの顔にはめるだなんて、誰が想像するだろうか。
「……はい、はい。そのときには、このきれいな目を、先生に。きっと、先生に」
見せにきます。
その誓いを心にしまって、ラボは安部井に頭を下げた。
閉まる扉の向こうに消える安部井は、もうラボに背を向けて段ボールの群れに向かっている。きっと、あそこでもういちど寝直すのだろう。
ラボはこの眼球を自身の顔にはめる。
それを見せるということは、きっとこの顔に目がないことがばれるだろう。どれだけ精巧につくられていたとしても、いや精巧に作ってあるからこそ、作者である安部井には作り物の眼球だとばれてしまうはずだ。
けれど、ラボは決意した。
いつか、前髪をあげた顔を安部井に見せる。
素顔を見せる勇気を持てるよう、学生活を送ろう、と。
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