取扱説明書

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取扱説明書。 それを読むのは何だか負けた気がした。幼い時からそうだった。 だから何を買ったって、まずは触ってどのような物かを確かめた。だからと言って破損させたり、壊したりなんて事は一度も無く。 周りからは器用だね、とか、説明書読めば早いのに、なんて言われたりもしたが、違う。 根本的な所が違う。 自分の物なんだから、誰かが書いた通りになんて動かくしたくないんだ。時間が掛かっても観察して、触って動かしてこうなるんだ、と感じたかった。 それが例え人間であっても。 ***** 「……何の用だよ」 放課後、呼び出された教室は普段は使われない旧校舎の一番端。 夏休みになると毎年と言っていい程必ず肝試しに使われたりしているらしいと噂されている校舎だが、ヤリ部屋としても使われていると違った意味で有名だったりする。 篠田雅樹は、そう言った噂を気にしてからか、何だか複雑な匂いがするなんて思いながら自分を呼び出した相手をぎりっと睨み付けた。 「こんにちはぁ」 開いている椅子に座ってこちらにただ手を振りながら挨拶をされただけなのにイライラが天井まで押し迫ってくるようだ。 篠田にとっては、一か月前からこの後輩には苛立ちしかない。 綺麗な顔をした一年が居るのは知っていた。次元が違い過ぎると噂され、興味半分一度見に行った事があったが想像以上の顔面偏差値の高さに圧倒されてしまったのを思い出す。 そんな後輩と『彼』が噂になった時そんな筈は無いと思っていた。 そんな事ある筈無い、釣り合わないだろうと。 「急に呼び出してすみませんねぇ」 そう言いながら立ち上がった椎名武流は腹立たしい程長い脚を見せつける。 「…全くだよ。」 言葉とは裏腹な態度と声音に苦々しさを隠しもせずにそう言えば、やれやれと言った風に肩を竦める椎名は嘲笑うみたいに口を歪めた。 「俺だってあんたと対峙するなんて嫌だけどさぁ」 言っておきたくてさぁと間延びした喋りをしてたが、すぅっと眼を細めると一切の色を無くしたかのように表情を変えた。 そうして、 「林柊介に近づくな」 いっそきっぱりとした声は教室中に響く。 「…は?」 急に変わった雰囲気に戸惑う間も無く、そう告げられた篠田は言われた言葉の意味を脳内で反復させながらマジマジと目の前の後輩を見詰めるが、それを気にも留める風の無い様子で椎名は続ける。 「あんた、先輩の事見てるだろ。うざいんだよ」 だから、これからも関わるな。 「は、っぁ?何だよっ、別に見てねぇよっ!つかさ、その前にお前にそんな事言う権利も言われも無ぇんだけどっ!」 いきなりそんな事を言われ流石にくすぶっていた感情が怒りへと明確に変わり、思いのほか声を荒げた篠田だが、そんな様子を冷静に、と言うか、冷めた目付きで見遣る椎名には滑稽に見えるだけ。 「自覚無いとかマジ無いわ。俺先輩の事見てるから、気付いちゃったんだよねぇ」 「……何、を?」 「あんたが先輩の事見てるのを。しかも、全然先輩はあんたを意識しないから逆に気になったんでしょ?」 それと同時に、 「俺と噂になったから、余計に思うとこがあった、みたいな」 今度はニヤリと笑われ、篠田はぐっと息を詰めた。 『別れて欲しい』と告げた時。 柊介は何ら顔色一つ変わる事無く、あっさりとしたもので『分かった』と一言告げただけだった。しかも横恋慕してきたのは友人の佐藤綾斗だったにも関わらず、それにも関心を占める事の無い様に見えた。 (あれ…) 想像していたのと、違う。 確かに普段自分から話しかけたり、触れてきたりするような男では無かったけれど、何を考えているのか分からない。少しぼーっとして、たまにはにかむ姿が放っておけなくて惹かれたのは事実だったが…。 (…縋りも、未練も見せない…、って) 付き合いだして、もっと甘えて欲しかった。もっと自分を知って欲しかった。 色々と柊介の事も教えて欲しかった。 なのに、二人で居ると何を話したらいいのか意識してしまい、息が詰まりそうになった。チラリと隣を見遣れば、ぼうっと空を見上げ歩く柊介。 退屈だと思われている?何か話さないと飽きられてしまうのではないか。 焦りは日に日に積り――。 だからこそ、素直に甘えてくれた綾斗に惹かれたのだ。何を言ってもコロコロ笑って、肩を預けてくれて、そっと手を握ってくれて。 『やっぱり篠田君と居ると落ち着くな…』 その姿に優越感が勝った。 やっぱり俺は誰かにこうやって好意を寄せられているのが合っているのだと、そう思った篠田はこんな形で終わった柊介が自分に未練を残すであろうと容易に想像して、どうやって説得して丸め込もうかなんて思っていたのに。 噂はすぐに耳に入った。 あの椎名が、柊介と一緒にいつも居る。 綺麗な男だったから、勿論こんな男子校でも当たり前の様にすぐに話題となっていた。常に告白されているらしいとも聞いたが、それを冷酷にあしらっているとも聞いていた。 ちなみに一番酷いと話題になったのが、 『クロスジヒトリよりきもい』 と言われた生徒が居たらしい。 あまりに毎日しつこくベタベタとしていたが為にそう言われたらしい生徒はそれをご丁寧に調べた挙句、スマホを開いたまま気絶したと。 そんな近寄りがたいと言われていた男と柊介が、まさか…と訝る中、耳に入ってきたのは柊介と後ろの席の安藤との会話。 『お前ら…金曜日玄関先でいちゃこらして、手繋いで帰ってたって噂されてんぞ』 『つか、一年の椎名って言ったら有名じゃんか。芸能人並みの顔とスタイルとかって、他の学校にも男女問わずファン居るって話だもんな』 『へ…そ、そうなのか?』 『そうだよっ、顔がいいってのは羨ましいよなぁ…つか知らなかったのか、そっちにビックリだわっ!で!真相はっ!?』 『…し、りあい』 『知り合い?』 『あー…先輩後輩の関係?一緒に遊んだりとか』 思わず、柊介の後頭部を見詰めた。本当だったのか?何で?そう考え始めたら居てもたっても居られなくなり、篠田はこっそりと昼休みに後を付けた。 綾斗に適当に理由を付けて、柊介の後を追えば、向かって行く先は屋上。 扉を閉められては何も分からなくなると咄嗟に声を掛けたが、何を言うべきかと今更に言葉に詰まってしまった。 でもそれを遮る様に現れたのは、件の一年。 弁当、下着、お泊りだと聞こえるワードに脳内からガンガンと痛みに似た鈍い音が鳴った。気持ち悪さも感じた。ぼそぼそと単語みたいに話すいつも隣に居た男とはまるで違う人間みたいに見えた。 椎名と居る時の柊介はきちんと色がある。 気付いてしまった、たった今。 そう気づいたら、わなわなと震えてきた。 快活だとか陽気で明朗なんて言葉が似合わない位に顔色が悪くなった篠田に椎名は冷笑を浮かべる。 「あんた、本当に先輩の事何も知らなかったんだぁ」 「そ、れは、アイツ自分の事何も言わないしっ…!」 あぁ、煩い。 一応警告しとこうと思っていたが、こんな相手ならば何も言わずとも良かった。時間の無駄だった。 (邪魔になるかも、と思ったけど…) 相手にもならないし、したくもない。 「もういいや」 それだけ告げると、さっさと教室を出ようとする椎名だったが、それを篠田が制す。 「人を呼び出しておいて…!」 「あー…すみません、何か毒にも薬にもならないって分かったから」 本当、阿保らしい。 たまたま教室から運動場を見た時だ。二年生が体育の授業でサッカーをしているのが見えた。前のめりに見れば、すぐに見つけた。 スタイルが特別良い訳でもないけれど、真っ直ぐに伸びた背筋と一度も染めた事の無いであろう短く揃えられた黒髪。 隣に並んだり、前に並ぶとすぐに唇に目が行ってしまう、そこそこの身長。 (最高) ゾクゾクするよね。 人様にあまりお見せ出来ない笑みを浮かべ、体操服姿の柊介を満喫していたが、ふと気付く。 彼を見ていたのが、自分だけではない事に。人影に紛れて、チラチラと柊介を盗み見する様な男。 (何、アイツ。何でコソコソ見てんの?) あまりに外ばかり見ていた所為か、結果小テストを白紙で出してしまい、生徒指導から呼び出しを受けてしまったが、それ以上に椎名を苛立たせるのは柊介に視線を送っていた相手だった。 『自分の障害』になるのであれば、早めに潰しておこう。 なんて、脳内で蟻を踏み潰すイメージ。 彼は自分が見つけたのだ。  昼休みと言う学生にとって貴重な時間帯。屋上に来たら許さない。と、煩い奴等から逃げる為に暗黙の了解を取り付けたのは入学してからすぐ。 たまにそれを知らない生徒達が屋上へと上がってきたが、全て追い出した。 あの時も、追い出す気だった。 弁当片手にぼーっとした顔で椎名に気付いた上級生。 またか、と思いつつ冷ややかな視線を送ってみたが、それを気にする様子も無く、自分が気に入ったであろう場所に座り込むと、もぐもぐと弁当を食べ始めた。 拍子抜けしたのは椎名の方だった。 それから毎日屋上へやってきては弁当を食う。食ったら後は自由と言わんばかりに読書や昼寝、たまに両手を広げて何かと交信でもしているのかと思っていた。 全然こちらに見向きもしないで。 今日も来るかな、と思っている時点でこちらの負けだと気付いた故に話しかけてみた。 『先輩、名前教えて』 一瞬何が起こったか分からないと言った風に呆けていた上級生であったが、口の中にあった物を嚥下すると 『林柊介』 と答えてくれた。 その後質問をする度に彼は嫌な顔をする訳でもなく、ただボソボソと淡々と答えてくれる。 そうして、手にする情報は増えていった。 例えば砂糖味の卵焼き、唐揚げだったら醤油味が好き。 呼んでいる本は小難しいのかと思ったらラノベだった。 身長は176センチで体重は63キログラム。 そしてギャップに弱いのか、『先輩の弁当俺も食べたいなぁ』と口を開けて見せると、ほんのりと赤くなった顔でぐぅっと眉間に皺を寄せたかと思うと本当に自分の弁当箱から唐揚げを摘まみ上げると椎名の口元へと持ってきてくれた。 兎に角、総じて彼の傍は居心地が良かった。 無理にこちらに合わせ様とする訳でも無いが、誘えば頷き、聞いた事には答えてくれる。そうして、また気付く。 『…お前、何でいつも一人な訳?友達居ないのか?』 距離が近づくと、柊介の方から話しかけてくれるのだと。 初めて話しかけてくれたのが、えらく失礼極まりない事だったがそれでも椎名の何やら分からないツボを刺激してくれたのには驚いた。 柊介は曝け出して懐けば、その分返してくれる。 プライベートな事だって話してくれる様になり、家へ行く事も出来た。同じ屋根の下、どうしても一緒にベッドで寝たいと言えば、また困った様に眉根を寄せたたが、渋々ながらも布団を開けてくれた時は眩暈にも似た高揚感を覚えた。 暖かい。 人肌がこんなにも気持ちいと思った事は無い。 うっとりと眼を閉じて、改めて椎名の決意は決まった。 「お、お前さっ!」 教室から出ようと扉に手を掛けた椎名は面倒臭そうに呼びかけを無視すると扉を開けた。 さっさと柊介と帰りたい。彼には日直の当番で仕事があると適当な嘘で待ってもらっているのだ。もうこんな上級生相手に時間など取っている暇は無いし、もっと試してみたい事もある。 だから、 「…あ」 速足で進んで行く廊下のど真ん中に小柄で愛らしい少年が頬を染めて、上目遣いで立っていようと、一瞥もする事無く通り過ぎる。 何故ここに居るのだとか、何をしているのだとか、知ろうとも思わない。 「し、椎名君…っ」 甘く媚びた声様な声が耳障りで、咄嗟に掴まれた腕が不快だ。 「椎名君って、柊介君と…付き合ってるの?」 「僕、椎名君の事が心配になっちゃって…柊介君前まで違う人と付き合ってたのに、こんなに早くって…」 「柊介君、もしかしてだらしないのかもって思ったら、」 「先輩?」 そこまで聞いてようやっと足を止めた椎名が二コリと自分の腕を掴む相手を見詰めた。 急に息が詰まる程の衝撃。 整い過ぎた顔が自分に笑顔を向けられ、一瞬でほうっと魅了される。 「先輩、可愛い顔してるよねぇ」 「え、そ、そんな…」 今までよく言われた月並み程度な台詞ではあるが、この後輩に言われると優越感が流れ出る様に溢れ、思わず笑みを漏らしたが、 「あんたの本性とその顔大事にしたいなら、二度と俺の前に顔見せないでねぇ」 「…え、」 見惚れる程の笑みと間延びした穏やかな口調だが、発せられた言葉は不穏そのもののそれ。 本能的にビクッと後ずさりしてしまった相手を置いて、椎名は再び歩き出し、スマホを取り出すと慣れた手付きで操作していく。 しばらして震える画面を見れば、 【待ってる】 絵文字等無い、簡素ではあるけれど、ぎゅうっと胸がいっぱいになるには十分な文字に自ずと早くなる足取りは先程までの出来事等もうまるで無かった事の様。 『俺が扱いづらいから…』 「違うんだって」 (――アイツはやり方間違ってたんだよ) ***** 中庭にあるベンチで空を見上げる柊介を見つけ、椎名はふっと息を洩らした。 たまにぼーっと空を見上げているのは、心を落ち着けているのだと教えて貰った事がある。 ドキドキしたり、緊張したりすると空を見上げるのだ、と。 (俺と会える、から、とかね) 自惚れと言われてもいいと椎名は思う。 くだらない妄想だと笑われても構わない。 「先輩、お待たせぇー、ごめんねぇ」 「おー、大丈夫」 どうせ、 「先輩、明日うちに泊まり来ない?」 「え、でもこの間も…」 「迷惑とか無いからぁ。親二人ともラブラブ旅行行くとか言うしさぁ。寂しいよぉー」 「分かった…行くよ」 『それ』は事実になるのだから。 甘えて、甘えて、じわりじわりと椎名を侵食させていく。それが当たり前になる様に。 「ねぇ、朝から来れる?」 「朝からっ!?い、いや、流石に朝からは…父親の飯とかも準備したいし…」 「……」 「ひ、る、から、なら…」 照れると柊介の耳まで赤くなる事を知っているのはきっと椎名だけだろう。 (順調、順調) 「やっぱり優しいっ!先輩、好きぃ」 「おま、馬鹿っ!こんなとこで抱きつくなっ!!」 おふざけの延長戦でしかまだ好意を伝えれないのはもどかしいと思うが、でも今ではないと椎名は知っている。 それがいつだと明確に記されていないとしても、分かってしまうのだ。 こうして下さい。 ああして下さい。 説明書なんていらない。 (取説とか、マジくだらねぇ) 完
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