取扱説明書

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夕焼けのオレンジ色が無駄に儚さを感じさせる、少し埃臭い教室の中。 何だか趣があるなぁ、なんて思っている場合じゃないらしい。 「ごめん…本当に悪いとは思ってるんだ…勝手な事言ってるって…」 「違うよっ!悪いのは僕なんだ…!雅樹君の事、好きになっちゃいけないって思ってたのに…」 「それこそ違うっ!俺が綾斗を好きになっただけだっ!素直で甘えてくれる…いい子だな、ってっ…!」 「雅樹君…」 「俺が気持ちを抑えられなくなった…綾斗が悪いんじゃないっ」 「そんな事無いよっ」 「だから…柊介…俺と、別れて欲しい…」 「ごめんね、柊介君…僕も…雅樹君が好きなんだ…」 「綾斗…っ」 「うん…」 「…………」 何だこれ。 互いの手を握り合い見つめ合いながら、なんやかんやと賑やかしい野郎二人を前に、思わず出そうになったツッコミを必死で抑え込んだ俺だが、まぁ何となく理解出来た事はこれだ。 (友人と恋人を一気に失った、) と。 ***** 男子校に入学したから、男と付き合うのが当たり前。 なんて、勿論思った事は無い。 思った事は一度も無いのだが、二年になって隣同士の席だった篠田雅樹から告白されたのは二か月前だ。 それなりに色々と気に掛けてくれ、友人関係を築いてはいたのだが、まさか告白されるとは思っていなかった。クラス内でも人に慕われており、部活でも活躍していた所謂陽キャな篠田からの告白。 一瞬迷いはしたものの、特別偏見も無いし、俺には無いキラキラしたものを詰め込んだ様な男に友人としてのベクトルではあったものの、惹かれていたのは事実だったので、取り合えずと受けてみた。 特別恋人らしい事に関しては進みは穏やかなもので、進行形で友人となった佐藤綾斗もそんな俺達二人を顔を赤くしながらも喜んでくれて応援してくれていたのだが、結局このざまとなってしまった。 まぁ小柄で控えめな感じの佐藤。 男子校ならではの野郎臭等も無く、男に対して使っていいかは知らんが、清楚系と言う言葉が似合うような可愛らしい人間だったので仕方ないと言う事にしておこう。 そんな訳で。 ぎぃっと重たい扉を開けてやって来た先は、もうすぐ夏になるからなのか、少し湿った空気を孕んだ風が吹き抜ける屋上。 適当な所へ座り込み、持参した弁当を広げる。ここで食べる様になってもう三週間目になる。結構気持ちの良い場所なのに、誰も来ないのは一体何故だろうと思っていたが、今となっては誰も居ないのが楽だ。 (昼飯位ゆったり食いたい…) 今までは篠田、佐藤と三人で昼休みを過ごしていたが、こうなってしまった今は何だか非常に居心地が悪い。 こっちは一応気を遣って他の奴らと飯を食おうと思ったのだが、気の毒そうにこちらをチラチラと伺ってくる佐藤の視線や気配に耐えられなくなってしまったのだ。 (俺別に引き摺ってる訳じゃないんだけどなぁ…) はぁっと溜息を吐きながら、いつも入れている少し焦げ目のついた卵焼きを一口。 普通に友人として付き合えるんじゃないかと思っていたのが甘かったのかもしれない。 (そりゃ佐藤からしたら、俺なんて今の恋人の元カレ?とかになるんだから複雑っちゃ複雑か) 立場表記も難しければ、関係性もややこしい。 それと同時にあの二人を見て、若干痛む心。 色々と面倒臭い、思わずポロリと本音が漏れた時、 「はーやーしぃせぇーんぱーいっ」 「ぐぶっっ」 行き成りの背後からの衝撃に俺の口の中に入っていた米と卵焼きの小さな欠片が儚く噴き出していく。 「あ、ごめーん、口に入ってたとは知らなくてぇ」 「…っ、げほっ、椎名、お前なぁ…」 少しだけ気管に招待されたらしい俺の昼飯。涙目で背後を見遣れば、くしゃっと涼し気な目元を細めて微笑む後輩の顔がすぐ近くにあった。 それはそれは、中々お目に掛かれない綺麗な顔……だと言う事は理解しているのだが、俺よりも数センチ高い身長の男に背後から抱きつかれた状態でおんぶお化け状態に俺の体幹が唸っていて、それどころではない。けれど、それこそ関係無いらしいこの男は、 「あ、卵焼き。俺の分残ってるー」 「はぁ、ちょっと待てっ、誰がお前のだよっ」 ひょいっと肩越しに伸びた手が俺の弁当箱から残っていた卵焼きを拝借していく。 「おいしー、やっぱ先輩の甘めの卵焼き美味しいよねぇ」 「…………」 文句の一つでも言いたい所だが、もっもっと満足そうに頬を膨らませて咀嚼する姿は言いたくないけど、非常に可愛らしく見えてしまう。 普通にしている姿ははっきり言ってどこの芸能人だろうか、アイドルだろうかと言うほどスタイルも良く、月並みなセリフではあるが非常に憎たらしい程イケメンと呼ばれる男だ。 一年の椎名武流(しいなたける)。 ここで昼飯を食べるようになってから知り合った後輩は何が楽しいのか毎日こうして俺の弁当を摘まんでいる。 「唐揚げもいつもの醤油味?欲しいなぁ、先輩あーん」 「…調子に乗るなよ。」 と、言いつつ、口を開けて待つ姿がいつものイケメンぷりをぶっ壊す破壊力のギャップ力で何だかんだと俺は箸で摘まんだ唐揚げを椎名の口元へ近づけた。 パクンとそれに食らいつく様はまるで魚を釣っているみたいみだ。思わず苦笑いが出てしまう俺を椎名はニコっとまた人懐っこい笑顔で見てくれる。 (…変に癒されてるのかも、な) 一人の昼食はやっぱり味気無かったし、どういう意図で俺に話しかけてくれたかは知らんが、今の俺には非常に有難い存在なのかもしれない。 「ね、先輩。先輩って甘いモノ好きだよねぇ、今日さケーキバイキング行かない?」 「…お前一昨日ラーメン大盛り挑戦だとか言って引きずり回した癖に、今日はケーキかよ」 一応自分の昼飯として持って来た売店の総菜パンをもぐもぐと頬張る椎名からのお誘い。 一昨日行ったラーメン屋で初めて知ったのだが、この身体の何処にそんなに入るんだと言うくらいの椎名は大食漢だった。隣でダイ〇ンの様な吸引力でラーメンの麺を啜っていくコイツを見て、俺の中にある男子高校生特有の放課後の食欲等綺麗に消え去ってしまった。 「て言うか、先輩と一緒に帰りたいってのが本音かなぁー。ついでにデート出来て最高じゃん、みたいな」 「……でぇと」 「それにさぁ、先輩ともっと話したいじゃんか。先輩も俺の事知って欲しいしさ」 「…何で?」 「先輩は可愛い後輩の事知りたくないのかよぉー」 ぴえん顔をするんじゃない。 軽いノリだけれど、こんな事を言い出したのはこの間最近は一人で帰っていると言ってしまったからだろうか。 もしかして、ぼっちの可哀そうな先輩とでも思われているのかもしれない。 まぁ、でも買い食いなんて篠田と別れてから殆どしていなかったから、素直に楽しかったから、結局今回も頷いてしまうのだ。 ***** 大体第一印象としては、こんな男だとは全く思わなかったのだけれど。 屋上に初めて上った昼休み。 適当な場所に座り込んで弁当を食っていると後頭部に感じた視線。それを辿ると昇降口の上からこちらを見ていた椎名と眼が合った。 一人でそんな高い場所から見下ろしてくる眼。 何の感情も無い様な眼だったけれど、じぃっとこちらを見る色合いが明らかに警戒色だと理解した。でも俺のやりたい事は弁当を食うだけだったので無視して弁当を食べ続けた。 しばらくは後頭部に視線を感じる日々が続いていたが、俺も俺のやりたいように本を読んだり、体を動かしたりと時間を過ごしていると、不意に話しかけてきたのだ。 『先輩、名前教えて』 本当に唐突に。 『俺はね、椎名武流』 そこからは怒涛の質問続きだった。 『いつも何の本読んでるの?』 『毎日お弁当なの?』 『何でたまに手広げてたの?誰かと交信してた?』 …ずっと気になっていたのだろうか。 ぼそぼそとそれに答えていけば、椎名の表情も緩やかに笑みを浮かべる様になってきて、思わず見惚れてしまった程。 だから、しばらく経った頃だろうか。 聞いてみた。 『…お前、何でいつも一人な訳?友達居ないのか?』 『……………………』 たっぷりの間を開けた後、 『ひ、ひどくない、先輩っ友達位いるってぇ』 悲哀に満ちた声音だったが、満面の笑み。 言動が全く違う反応に、こちらまで笑ってしまった。 久々何の気負いも無しに笑った気がする。 ****** 「あれ?林、それってパニー!?」 通学鞄として利用しているバックパックにつけられたストラップ。放課後椎名と一緒に行ったゲーセンで景品としてもらったものだ。と、言っても椎名がゲットしたものだったのだが、2つ取ったから記念に先輩にあげると勝手に付けられた物。 それを目敏く見つけた後ろの席の安藤がいいなぁーと羨ましそうに眺めてくる。 「これ、すっごい人気のキャラクターでさぁ!俺も欲しいと思ってたんだよなぁ」 「パニーって言うんだ、これ」 「知らんかったの?」 「貰い物だから」 つか、こんなぶっ細工なパンダなんだかウサギなんだか分からん生物が人気なのか。いや、可愛らしいとは思うけども。 「林ってあんま、そういうの興味無いよなー。何が好きとかある訳?」 「あー…」 そう言われると、趣味とか特別ある訳じゃない。 (俺って、) 廊下側の席で楽しそうに談笑している篠田と佐藤の姿が目に入ると、嫌でも思う。 (本当…つまんない男) ****** 今日は弁当箱を二つ持ってきた。 それを前に目を丸くする椎名は可愛い。ついでに長めの前髪をちょんまげにして結んでいるのも、これまたギャップ萌えを的確に狙ってきている。 「え、え、これ、おれ、の?」 「いるのか、いらんのか?」 「食べますっ!!!」 食い気味で目の前のそれに飛びつく椎名に若干引き気味だったが、いただきます!と手を合わせる姿はきちんとしている。ついでにと持ってきた緑茶もあるのでそれも分けてやった。 「あー、美味しいーっ…先輩のお母さんって料理上手だよねぇ。今度ご挨拶とかしたいなぁ。って事でお家にお呼ばれしますね」 「それ、俺が作ってるんだけど」 「え」 「弁当、俺が作ってるんだよ。うち、父親だけだから」 「…甘い卵焼きも?」 「おう」 「唐揚げも?」 「うん」 「え、え…えー」 食べる手はそのままに頬を染めて、俺を見詰める椎名のキラキラとした眼。 「やばいじゃんっ、先輩、嫁になるしかないじゃんっ」 「…気付いてるとは思うけど、俺もうツッコミ放棄してるからな」 「じゃ、そのまま話進めようね、先輩っ」 お父さんにご挨拶かぁー、と言いながらぴょこぴょこ揺れるちょんまげに釣られて視線が揺らぐ俺は、適当にはいはいと返事をして、自分の分の弁当を開けた。少し焦げてしまっていた唐揚げだが、相変わらずもっもっと頬を膨らませて食べる椎名はご満悦の様で何よりだ。 ***** 昨日は買い物に付き合えと、連れ回された。 行く先行く先、全くテイストの違う場所で…まぁ全部椎名のスタイルと顔で腹も立たない程似合っていたのだが、 『これ、どう?』 『こっちのがいい?』 『先輩だったら、どっちにする?』 等の問いに全くファッションセス等皆無な俺はド〇小西でもピー〇でも、この際お〇ぎでもいいから助言が欲しいと切に願ったのだが当の椎名と言えば、ただ純粋に俺の意見が聞きたいだけのようで、取り合えず…と、選んだ方に満足そうに笑みを浮かべていた。 (最近椎名とつるんでばっかりだ…) それこそ篠田と別れてからは放課後即直帰だったのが嘘みたいに。 いや、篠田ともここまで一緒に居なかったかもしれない。彼は確かに明るい男だったけれど、実は繊細でものすごく気を遣って接してくれていたのが感じ取れた。 俺はそれに甘えていたのかもしれない。 もっと、 (もっと歩み寄れたら良かったのかもしれない) 友人と恋人では距離感も価値観も違っていたに違い無いのに、それに気づかなかったんだ。 佐藤がそれを埋めてくれたのであれば、感謝するしかない。 ほんの少しだけ、友人に戻れないのは残念だなと思うけれど、今更どうしようもない… なんて、思っていると制服に突っ込んだスマホが震えた。 【先輩、委員会終わった?俺玄関で待ってるから(b*'3`)b】 「…ぇえ?」 半ば無理矢理に交換された通信アプリのアカウント。 『これで家に帰っても先輩と話せるねぇ』 えへへ、と眼を細められ結果こうしてメッセージのやり取りもするようになってしまったのだが、いや、それよりも、だ。 【お前、まだ学校居るの?俺今日委員会で遅くなるって言ったよな?】 予想外に遅くなってしまった委員会。どうでもいい事を議題にしてくれたお陰で久々に俺のイライラスイッチがオンになりそうだった。もう外もカラスが飛んでいても分からない位暗い。 (なのに、なんで…) 【だって、今日金曜じゃん。土日会えないから】 また震えたスマホに表示される文字。 え、 (…こ、コイツ…、) 顔に熱が集中するのが分かる。 普通男相手にこんな文章送らないだろう、いや、送られたとしてもこの俺の反応は正解なのか? 流石はイケメン。美形な男は何をしても様になるし、こんな軽いノリで同性相手をここまで揺さぶる事が出来るらしい。 けれど、 (う、れしい) 自然と速足になるのを抑えられない。 まだ部活や、同じく委員会等で残っていた生徒達を抜きながら、玄関に辿り着くと長い足を持て余して傘立てに腰を下ろしている椎名が居た。 「あ、せんぱーい」 ひらりと手を振る椎名に周りに居た生徒が俺と奴を交互に見比べたりもするが、本人は一切気にもせずガバっといつも通りに抱き付いてくると、 「待ちつかれたぁー先輩、お腹空いたぁー」 ぶちぶちと文句を垂れてくる。 いや、て言うか… 「委員会あるって言っただろ…スマホにも送ったろ」 「これは、あれだわ。先輩の手料理でも食べさせて貰わないと駄目なやつだわ、絶対無理だわー」 話を聞かない呪いにでもかかってるのか、コイツ。人の話まともに聞くと死ぬの? いくらいつもよりも人気が無いとは言え、玄関故に他の生徒達が通りすがりに何だなんだと向ける目が痛い。 あぁ…もう… 「…飯、食いに来るか?」 「…へ?」 「父親も今日は夜勤だし…お前の親御さんがいいなら、うちで飯食ってい、」 いいよ、と続く言葉は目の前で光の速さでスマホを操作する真顔の椎名の奇行により、続けられなかった。 「おっけーー!!親に連絡したっ!!」 「……そ、それって許可貰った訳じゃなくね?」 「大丈夫、俺んとこ割と放任主義っ」 自然と後ずさりしてしまう俺の手をがっしりと掴んで離さないばりの勢いに少し早まったかな、なんて思ったがどこか調子の狂った鼻歌を歌い出し、と椎名のメッセンジャーバッグに付けられた揺れるお揃いのパニーストラップ。 (何だかなぁ…) 「…言っとくけど、特別なもん作れないからな。普通だぞ、普通」 「全然大丈夫っ、楽しみぃ」 結局駅までそのままだったのだが、 (やっぱり悪い気はしない…) なんて、思ってしまう俺だった。 ***** そう、悪い気はしなかったのだが、しかし、だ。 「…林、お前一年の椎名と付き合いあるの?」 週明けに『おはよう』の挨拶も無く、急なこれ。毎度お馴染み後ろの席の安藤。 「……は?」 「お前ら…金曜日玄関先でいちゃこらして、手繋いで帰ってたって噂されてんぞ」 何、それ。 「つか、一年の椎名って言ったら有名じゃんか。芸能人並みの顔とスタイルとかって、他の学校にも男女問わずファン居るって話だもんな」 「へ…そ、そうなのか?」 「そうだよっ、顔がいいってのは羨ましいよなぁ…つか知らなかったのか、そっちにビックリだわっ!で!真相はっ!?」 「…し、りあい」 「知り合い?」 「あー…先輩後輩の関係?一緒に遊んだりとか」 「……まじか」 どこか呆けた様にこちらを見る安藤に首を傾げる。一体何をそんなに驚く事があるんだ? いや、いや、まぁ、いいや。なんて、曖昧に話を切り上げた安藤はどこか納得していないような表情ではあったけれど、いいなら、まぁ、いいか。 (……ん?) ぐるっと辺りを見回す。 首筋に視線を感じた様に思ったけれど、 …まぁ、いいか。 トントン、とリズム良く階段を昇って行けば、屋上へ繋がる扉がある。 (…今日は先に来てるか?) 授業が押して少し遅れてしまった俺の手には今日も弁当箱は二つなのだが、それとは別に紙袋が一つ。 はぁっと息を整え、扉に手を掛けた時、 「…柊介」 「…し、のだ?」 背後からの声。 振り向けば、階段からこちらを見上げてくる篠田が居た。 久しぶりに真正面から顔を見た気がする。篠田の名前すらもうかなり久しく呼んでいなかったから、一瞬戸惑ってしまった。 と、言うか。 (何で?) 何でここにいるんだ。 何しに来た訳? ドアノブに手を掛けた侭、固まっている俺を少し怪訝そう眼で一瞥すると、すっと視線を落とした。 「…………」 「…………」 マジで何? 人を呼び止めておいてダンマリって何だよ。 視線を落としたまま、いつもの陽キャラは何処に行ったのか。もじもじと手摺を撫で続けている篠田にいい加減俺もイライラとした小さな負の感情が沸き上がる。 あのさ、 痺れを切らして、俺から突破口を見つけようと口を開いた瞬間。 「遅いよ、せんぱぁい」 「っぐ…!」 屋上側から開いた扉。 そこからぬっと出て来た手に俺の口が塞がれ、聞きなれた声が耳元を霞めた。 (椎名…っ) 矢張り先に屋上に来ていたらしい。もしかして、俺が遅いから心配になってきてくれたのかもしれない。 口元を抑えられている為に視線だけを向けると、ふふっと形の良い唇が弧を描くが、ふと俺の手元を見るとぱぁっと子供の様な表情へと変わった。 「先輩、その紙袋もしかして俺の忘れ物?」 「そうだよ…お前普通に下着忘れるってどういう事だよ。洗濯してたのに…」 「有難うーっ、お泊りって久しぶりだったからテンション上がっちゃってたのかも」 あぁ、そう… 結局金曜日俺の家で飯を食った後、泊って帰りたいっ!!と駄々をこね始めた椎名。散々小一時間程経ち…お約束と言うか、根負けした俺は新品の下着と洗い立てのスウェット等を貸した後、制服から下着と洗濯したのだが…。 畳んでいた洗濯物の中から何故かご丁寧に下着だけ忘れていったこの男。 (おっちょこちょいとか意外…) そういうとこもギャップで可愛らしい、なんてギャップ萌えに弱い俺に対する挑戦状なのかよ。 と、そこまで椎名と話をして、ようやっと気付いた。 はっと階段の方を見ればあからさまに驚きを大売出しにした篠田の顔。 いや、強張りついていると言った方があってるかも。 忘れていたつもりは無いが、何だか気まずい雰囲気になっている気がする。つか、篠田ってマジで何しに来た訳?佐藤と飯食ってる時間じゃないわけ? 「じゃ、先輩。飯食おう。先輩の弁当」 「え、あっ、」 ぐいっと肩ごと抱かれて、屋上へと引っ張られるがチラッと篠田を見遣れば、未だ俺を見ていたが、 ――バタン 閉じられた扉にそれも遮られた。 「先輩、誰あれ」 「……クラスメイト」 「ふーん、何か変な感じだったよなぁ」 「そう、かな?」 「何って言うか、うーん…気持ち悪い感じがした」 早速俺から弁当を受け取って、いただきますと手を合わせ食べ始めた椎名は珍しく眉間に皺を寄せている。いつもみたいに頬をパンパンにさせているあたり、弁当がまずいからと言う理由での皺ではないようだ。 「兎に角さぁ、先輩あいつとあんまり関わり合いにならない方がいいよ。近づかないで欲しいな」 「おー…」 俺の勘、結構当たるよーなんて、ニヤリと笑い唐揚げを食べる後輩に『篠田は何をしたかったのだろう』なんて疑問も、 (じゃ、まぁいいか…) と、俺も早速弁当を開けた。 ***** 授業中、ふっと外を見遣れば体育の授業でサッカーをやっている学年が見える。少しだけ眠いと思っていたから気分転換に観察でも、と見ていると椎名が居た。 一年生の授業だったのか…。 (そういや、俺らもこの間サッカーだったっけ…) 球技が苦手な俺はあまり役には立つ事も無く、流石の篠田はどんどんパスを回してはゴールに向かって目立っていたが、椎名も別の意味で負けてはいない。 無駄に長い手足に小さい頭。遠目でも目立つスタイルは流石だ。 いまいちヤル気が無いのか、見学組の椎名はだるそうにジャージのポケットに手を突っ込んだまま数人のクラスメイトと試合組を見ながら何やら喋っている。 (一、二か月前までは、全然知らなかったのになぁ…) 今では昼休みから放課後、土日まで過ごす様になってしまったとは。 彼の真意と言うか、本音は分からないところだが、何か俺と縁があったのだろうと思う。 これからも続く縁だと嬉しい。そんな風に人を思える様になったのは少し気恥ずかしいと笑えてくる。 「……え?」 「…え?」 「……い、ま…レア物を見た気がする…」 後ろの安藤が何かそうポツリと呟いた中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。 ***** 【助けに来てー】 「……………」 【どこに?】 思った事をそのまま打ち込む。 【西校舎の学習室ー森ゴリに捕まって反省文書いてる…】 「…………」 コイツは一体何をしたんだ。 生徒指導の森ゴリに捕まって、その上反省文。面倒な事になってないといいけど。 「…仕方ない」 授業も終わり、クラス内では数人の帰宅部組が残って談笑しているだけ。その中には篠田と佐藤も居たが、俺はさっと身支度を整えると後ろでぐちぐち独り言を言いながら日誌を書いていた安藤へ 「じゃ、また安藤」 「…えっ!あ、うん」 と、挨拶もそこそこ。驚いている様子の安藤を置いて、足早に教室を出た。 西校舎の学習室野前では、椎名が丸めた紙でポコンとはたかれて、去っていく森ゴリの背中に舌を出していたところだった。 「……一体何やらかしたんだよ、お前は」 「あ、せんぱぁぁいっ」 呆れ気味に近づけば、ガバっとそのまま抱き付かれ自分の頬を俺の頬に当ててくる椎名は聞いて聞いてーと眉間に皺を寄せる。 イケメンの肌は肌触りも良けりゃ不快感も無いってか。 「小テストを白紙で出しただけなのに、担任が森ゴリにチクってさぁっ!中間期末ときちんとやってるから、いいじゃんねぇ!」 「…………お前が完全敗訴じゃねぇか。何できちんとしないんだよ」 「だってー仕方なかったんだって。俺のクラスから運動場が良く見えてさぁ」 何だそりゃ。 運動場が見えたら小テストしないとか何の言い訳にもならんだろうが。 「…兎に角、やるべきことはきちんとしろよ。森ゴリって言ってたから心配したじゃん」 「…心配?」 「そうだよ」 喧嘩の一つでもやったのかと思った。 今のご時世、サシのタイマンであっても、夕焼けに染まった河原演出でも、クロスカウンターで同時に倒れたとしても、当人同士『お前やるじゃんっ』なんて事で収まる事は無いだろう。 「…うーん、ごめん。説明足らずで…」 「謝るとこ、そこじゃねぇしっ」 意外と柔らかい頬を思いっきりつねって元来た道を戻ってやれば、大げさな程に痛がりながら椎名がまた背中に乗り掛かって来た。 普通に重い。 でも、何だか心地よい重さにふっと知らず知らずのうちに苦笑いに似た笑みが漏れる俺に安堵からか、笑ったのか、耳元に椎名の息が降りかかる。 (くすぐったい…) 他人様が見たら二度見するであろう体勢で後輩を半ば引き摺り、『今日は俺の家に来ない?』『…今度な』なんて、玄関へと向かって行く途中。 「…あ」 「あ」 バッタリと出会ってしまったのが、篠田。 向こうも帰ろうとしていたのか、玄関に進む方向が一緒と来たもんだ。 (………何?) 篠田の眼がじっとこちらを見詰めている。 どんな感情の色なのか、分からないそれ。 その視線が気まずい。無意識にぎゅっと俺の首に回っていた袖を掴むと、椎名も不躾に注がれる視線に気付いたのか、しばしの沈黙の後口を開いた。 「……この間のやつだ」 「あ…そう、つか一応先輩だからな、お前」 ふーん。 覚えていた割にはまるで興味も無いと言った口ぶり。そして、ぐるっと背後から周り俺の手を取ると、 「先輩、ね、帰ろう」 返事も待たずに歩き出したが。 「…マジでお前って何な訳?」 ―――――は? 酷く刺々しい声に思わず振り返れば、ぎりっと唇を噛み締めてこちらを見詰める篠田と眼が合った。いや、見詰めるとかじゃ、無い。 睨み付けると言った方が合っている。 いつもニコニコとした安心させる太陽のみたいな笑顔とか、人を惹きつける柔らかい雰囲気とか、そんなもの見当たりもしない。 (…、なに、) 今まで見た事の無かった篠田のそんな形相に一瞬だけ肩が竦んだ俺をコイツは益々睨み付けてくる。 「お前さぁ…俺と別れてまだ一か月程度だよな…それで次の男とかどんだけ節操無いんだよっ」 「は…はぁ!?」 「しかも…お前俺と付き合ってる時にだって、手繋いだ事あったかっ?お前から話しかける事だって滅多に無かったっ!弁当って何っ!?この間だって、下着とか、って…何だよっ!」 椎名の前で何を言うんだっ 篠田と付き合っていた事なんて椎名は知らない。知ったところで椎名が差別する様な男だとは思わないけれど、それでも何となく心苦しく感じてしまう俺は篠田を兎に角宥めようと思うが、それに反する様にコイツの感情は止まらない。 「俺が別れようって言ったって、顔色一つ変えないで面倒臭そうにしてた癖によぉ!」 「……えぇ」 そんな風に思われていたのか…。 別に面倒臭そうにしていたとか、そんなつもりじゃなかった。 本当にそんなつもりは、 「次の男が居たから俺なんてとっくに用無しだったって事なのかっ!?」 「…っ、違うっ」 そんな訳ないっ。 「大体そいつ一年の椎名だろ…っ、お前騙されてんじゃねぇのっ!?」 「は…?」 俺の事はいいとして、椎名の事をそんな風に思われるのは心外だ。次の男だとか、全く関係ないのに巻き込みたくも無い。 久々に頭に来た。椎名に捕まれていた腕を振り払って篠田の方へと身体を向けた俺は訂正しようと近づいた。 けれど、 「先輩。近づかないで、って言ったよね」 再び痛みが走る位掴まれた腕。 「…え、」 一瞬目に映った椎名は、初めて会った時の様にガラス玉の様な虚無な色をしていた、と思ったが、 「えー?つか、元カレって奴?何?先輩が振られたって事?じゃ、あんたもう全然関係ないただの他人じゃん。一々口出すなよ、うぜぇ」 ぎゅっと眉間にこれでもかっ!って位に皺を寄せて嫌悪感がひしひしと伝わる。 「し、椎名…」 だから、一応先輩… 「振った男なのに未練あるとかぁ?マジきもぉい。普段陽キャ気取ってる奴に限って女々しいんだよねぇ」 …言いたい放題だ。 篠田を見遣れば、顔面を引き攣らせ、赤くなったり青くなったり、口をパクパクと開閉させている…。 「俺と一緒に居るのがムカつくの?手作り弁当が羨ましいの?泊まったりとかが悔しい訳ぇ?」 ――もう関係無い奴なのに? 嘲笑うみたいな表情にびくっとしたのは俺の方。 わなわなと肩を震わし、俯いた篠田はそれに気付いていない。 そんな篠田に向けて、はぁーっとわざと大袈裟な溜息を吐く椎名は再び俺に手を伸ばして、 「帰ろう」 と一言だけ言ってきた。 何だろう…いつものスキンシップの延長戦。なのに、この手を取るのを一瞬躊躇ってしまった。色々な感情が混ざり合って、気分すら悪くなる。 なのに、 「雅樹ぃ、ごめんね、遅くなっちゃって。ノート見つからなくて」 その場にそぐわない明るい声が聞こえ、ハッと眼を向ければもれなくトテトテと擬音が付いてくる小走りで佐藤がやって来た。 どうやら忘れ物でも取りに戻っていたらしいが、ニコニコとした愛らしい笑顔は俺と椎名に気付くと『あ…』と篠田の腕にしがみ付き、伺う様に上目遣いで警戒している小動物のようだ。 そんな佐藤には全く興味が無いらしい椎名は、一瞥しただけで躊躇していた俺の手を取ると引っ張りながら玄関を後にした。 最後に、『先輩』に対して挨拶をして。 「じゃあ、『何でもない先輩』さようならぁ」 ***** (どうしよう、どうしよう) 吐きそうだ。 すっかり暗くなった外では分からないだろうけど、きっと俺は酷い顔をしている筈。あ、作りとかではなく、色合いで。 俺の手を引っ張る椎名の顔が見えないのが余計にそれを煽る。 星が一つ二つと見え始めた空を見上げて、心を落ち着けよう。 (謝るべきだ…うん…) これしかない。 男同士のゴタゴタに巻き込んでしまうなんて、迷惑もいい所だろう。 椎名くらいの男だったら、女なんて選り取り見取り。それが男相手に、なんて。 しかも… (失望された、かも) ぐるぐる。 頭も胃のあたりも気持ちが悪い。じわぁっと目元に熱が溜まってくる。 「椎名、あ、のさ」 「先輩さぁ」 「…あ、はい」 「アイツのどこ好きだったの?」 くるっと振り向いた椎名は少し拗ねたみたいに唇を尖らせていた。 「好きって、言うか…」 憧れていた、と言うのが強いかもしれない。でも告白されて、正直嬉しかった。屈託なく笑う姿に見惚れた。すぐに人が集まってくる穏やかな性格が誇らしかった。 このまま俺も篠田をそういう意味で好きになれるのだろうと疑っていなかった。ゆっくり、歩く速さで。 「でも、俺って…扱いにくい、から、篠田が気を遣い過ぎて…」 本当に俺は扱い辛い、面倒でつまらない。愛想も良くなきゃ、教えられる様な楽しい事も知らない。ボキャブラリー、語彙力皆無。 そんな俺を篠田は好きだって言ってくれたのに、何も返せていなかった。 きっと俺は椎名にも何もしてあげれない。 ぼろんとたっぷりの水分が落ちていく。視界がぼやけて、思考力も低下してしまいそうだ。 「ふざけんなよ、何であんたがアイツの為に泣くんだよ」 低い声が耳に届く。 でも何年かぶりの涙は、車と同じで急に止まってはくれないらしい。ビスビスと喉の奥から変な音すらする。 しかも、掴まれた手が痛い。俺の手で握力測定でもしてんのか。 「言っとくけど、先輩は扱いづらくないよ」 「っ、」 「アイツはね、先輩が自分の思い通りに動かないから苛立っただけ。そういう男なだけ」 「思い…通り…」 「あんたの事諦めたんだよ、所詮それだけの気持ち」 「…ほう」 ずびっと鼻を啜れば、ようやっと椎名が笑った。 ニヤっと。 「少なくとも俺は先輩をつまらないとか思った事無いし、扱いづらいなんて考えた事も無い。だから、俺を信じて、ねぇ、先輩」 近いと思う程顔を近づけられて、頬同士が擦れ合う。椎名の綺麗な顔に俺の涙がついてしまい、今更ながら泣いてしまったのが恥ずかしい。 それでも、それ以上に感じるのは、安心感だった。 さっきまで俺を渦巻いていたモノが少しだけだが、落ち着いたみたいに引いていくのを感じる。 絡まった糸がするすると解けていく、そんな感じ。 誰かに肯定されたい訳じゃなかったけど、椎名の言葉にこんなに安心出来るとは思わなかった。 「椎名、迷惑…掛けて…ごめんな」 「迷惑掛かってないって」 「いや、でも男同士の痴情の縺れなんて…お前関係無かったのに…」 「あんなの縺れの内にも入んねぇよ。て、言うか先輩さぁ、」 ぐいっと両手で顔を挟まれた俺に至近距離の椎名の顔。 整い過ぎたそれに、瞬きも忘れてしまい凝視すればフヒっと笑われ、指先で少し残っていた涙の残骸を拭き取ってくれる。 「俺の嫁にって言ったじゃん。だから、俺部外者じゃないからねぇ、関係無いとか、言わないで。覚えといてよ」 「………お、う」 何を言い出すのかと思えば、確かにそんな事言われた様な…。 俺の返答に満足したのか、椎名はお腹空いたーと再び俺の手を握り直して引っ張って行く。 「やっぱ先輩さぁ、何か作ってよぉ、俺の家でー」 (あぁ…) やっぱりコイツは変わってる。 「椎名」 「うん?」 「何食べる?」 だから、もう少しお前の事が知りたいって思うのは普通の事だろう? こんなに安心させてくれる事に、いつかちゃんと礼を言えたら―――。 まだ臆病なのは変わらないけれど、お前と一緒に居れたら変われる気がする。 きっと間抜けな顔で笑っている俺をポカンとした表情で見る椎名はそれでもやっぱり綺麗で。 お前の隣に堂々と歩ける様になりたい。 そう思いながら、生姜焼き…と呟く後輩を可愛いとまたギャップ萌えしてしまうのは内緒にしておこう。
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