取扱注意

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見慣れたバックパック。 取りに戻るだろう、その時にもう一度チャンスがある筈だ。 そう思いながら、握りしめたそれを薄らとした笑みで眺めていた篠田は廊下を眺める。 人気の少ない校舎で人が近付けばすぐに分かる。 (早く戻ってこいよ…) 待ち人はただ一人。 先程まで一緒に居た、クラスメイト、いや、元恋人と言った方が正しいだろう。尤も、恋人らしい事と言ったらプラトニック過ぎた付き合いで下校時間を一緒に過ごした、位のもの。 今頃になって悔やまれる。 もっと出来る事もあった筈なのに、と思わず力の入る拳内にあるこの鞄の持ち主を思い出しながら少しずつ廊下を進む。 取りに戻ってくるならば、彼は向こう側から来るしかない。この教室に戻る道はこの一本しかないからだ。 しかし、 きゅ…っと死角から鳴り響いた足音。 その音を辿った先に居たのは、 「あれぇー、篠田、先輩でしたっけぇー」 出来る事ならもう二度と話したくもない、見たくもない男。 「…椎名、」 恐ろしい位整った顔立ちで、にこっと微笑みながら近づいてくる後輩に、隠そうともしない苦々しいと言わんばかりの表情を見せれば、大袈裟に肩を竦められた。 「何ですか、そのゴキブリでも見たような顔ー。すっごいショックなんですけどぉ」 「…何の用だよ」 間延びした喋り方が矢張り気に入らない。 ぎりっと睨み付けるも、それを一蹴する笑み。 「それ、取りに来ましたぁ」 「…は?」 それ、と指差されたのは自分が持っている黒いバックパック。誰のとは言わない、椎名に苛立ちが募る。 (アイツ…椎名に助けを求めたのかよ…っ) 何でこんなに態度が違うんだ。 自分では駄目で、この後輩ならば何が許せると言うんだ。 全力で拒絶された時の痛みを何故分かってくれないんだ。 (折角、俺が、) 「悪いけど、これは俺が渡す。アイツと話があるから」 ちゃんと伝えようと思っていたのに。 と、そこでふと違和感に気付いた篠田がゆっくりと椎名へと視線を上げた。 「………お前」 「何ですかぁ」 「どうして、俺が持ってるって分かったんだ…?」 何故、 「この場所へ…来た?」 答えは、一つしかないではないか。 三日月の眼は、笑ってなんかいないではないか。 ――――ヒュっ 風を切った様な音がした、なんて思う事も許されない一瞬。 視界がぶれ、腹、そして背中に走った激しい痛みと衝撃に篠田はぐぇ…っとしゃがれた声を上げ、廊下に突っ伏した。 何をされたのか、全く分からなかったが、痛む身体を何とか叱咤し、ぐりっと眼だけを動かし、見上げた先に楽しそうに笑う椎名が見下ろしている。 蹴られて、吹っ飛んだ。 そう理解出来たのは、椎名の心底丁寧な説明によるもの。 「本当さー、俺言ったよねぇ。林柊介に近づくな、って。だから吹っ飛ばされるんだよぉ」 じりっと近寄り、しゃがみ込む椎名は痛みに歪む篠田の顔を覗き込む。 「本当、頭すっかすかだよねぇ、大人しくあの顔だけのヤツと乳繰り合ってればいいのによぉ」 底冷えしそうな感情の読み取れない眼と粗野な物言いだが、そんな雰囲気を自ら壊す様に椎名は毒気のない純粋な笑顔を見せた。 「でもね、今回だけは見逃してあげる」 声音も一気に高いモノへと変わり、篠田は意味が分からないと眼を瞠るも、そんな事相手等どうでも良い様に篠田は笑う。 「だって、あんたのお陰だもん」 「…は、?」 「先輩が、林柊介が、俺が居ないと駄目って気付いてくれたのは、あんたのお陰。どうしよう、すげー嬉しい」 興奮しているのか、うっとりと頬を紅潮させ、口角を上げる男は蹴られた弾みで篠田が手放した鞄を自分の元へと寄せ、それに赤くなった頬を当てた。 愛おしむ表情だが、そこに微笑ましいだとか、心和ませるだとか、そんな言葉は全く当て嵌まらない。 むしろ、痛み以上に背中を走る悪寒に篠田の顔色がどんどんと宜しくないモノへと変わっていく。 「あんたを拒絶した先輩がさぁ、俺の名前を一生懸命呼ぶ姿とかめっちゃ興奮したぁー。おろおろして、俺の姿見るなり、泣きそうになってる顔とか、その場で押し倒してやろうかな、なんて思う位でさぁ」 まるで独り言の様に、けれど群衆を前に演説するかのように、昂った感情をそのまま声に出す椎名の眼にはきっと何も映っていない。 彼以外。 「…お、前、見てた、のか、ずっと」 息をするのもしんどかった痛みがだいぶ落ち着き、ようやっと声を絞り出し、信じられないといった眼を向けるも、それも馬鹿にするように嘲笑う椎名は 同じ男から見ても綺麗な顔立ちだと言える。 でも、それ以上に見えるのは、明らかに執着心。 「見てたよー。あんたが襲い掛かろうものなら、未成年、正当防衛、それらを全部盾にして、と思ってたけど先輩のしっかりと否定と拒絶、そんで俺を庇う姿を見てたら、それこそ興奮しちゃって、パンツ汚すかと思ったわぁ」 あれは久々焦ったーとケラケラ笑う椎名は、一通り笑い終えるとそのまますっと立ちあがった。 「まぁ、そういう訳だから」 どう言う訳だと聞きたい。 出来るものなら、胸倉の一つでも掴んでやりたい、と思う篠田だが、身体は動かない。 痛みから、ではない。 「ほんっとー次は無いよ。…次、何かしでかしたら、お前みたいなのでも全然いける男共んとこに投げ入れるからな」 それはそれで楽しいかも、とふふっと笑う姿はきっと傍から見たら心惹かれるものなのだろう。 綺麗な顔立ちに、バランスの取れた肢体。 「じゃあね、先輩」 ひらりと手を振る姿もまるでドラマや映画のワンシーンのよう。 立ってるだけで人を惹きつける、視線を集める、そんな選ばれた人間なのに、 (…無理、だ) 恐怖から何もできない。
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