キャプテンの憂鬱

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キャプテンの憂鬱

1b6ff57b-be50-4c41-aa36-1c00c4a2ed01  七月六日。一日の職務を終えたマイケル(Michael)は自室への廊下を一人歩いていた。その背中が幾分か寂しそうに見えるのは、きっと気のせいではないだろう。  明日はマイケルの誕生日で、会社からもバースデー休暇で休みを貰っている。だが、そんなものを貰ったところで一人することもないのが現実だった。  『Queen of the Seas Ⅱ《クイーン・オブ・ザ・シーズⅡ》』のキャプテンを引き継いで数ヶ月。恋人のクリストファー(Christopher)とはサウサンプトンに船が帰港した数日しか時間を共に出来ていない。  たった数ヶ月のことだというのに、すでにマイケルの心は寂しさで押し潰されてしまいそうだった。いや、その前の一年間が、幸せすぎたからかもしれない。  初代『Queen of the Seas』の時代に初めてキャプテンの職に就き、新たに就航した『Queen of the Seas Ⅱ』では二代目のキャプテンを拝命した。自らが望んだ仕事で、しかも自らが目指した地位を手に入れたマイケルである。  だがしかしクリストファーが組織のトップに立った今、二人を隔てるのはどこまでも広がる紺碧の海だった。  こうなる予想は出来ていた。覚悟も、もちろんしているつもりだった。けれどもいざ離れ離れの生活を送るようになってみれば、毎日が味気なくて仕方がない。  クリストファーと離れて暮らさなければならない事は、この船の就航が決まった時から決定していた。次のキャプテンを育てるという最後の仕事をまっとうしなければ、マイケルは船を降りる訳にいかない。それに、前キャプテンであり、クリストファーとマイケルの義理の兄でもあるフレデリック(Frederic)のおかげで昨年は丸々一年の休暇をもらい、マイケルはフランスで幸せな日々を過ごしもした。  ――お互い仕事だ。仕方がない。  あっという間に自室へと辿り着いてしまったマイケルは、鬱々とし気分のままドアへと鍵を差し込んだ。否、差し込もうとしたのだが...。突然開いたドアの中へと腕を引き込まれたかと思えば一瞬のうちに浮遊感に見舞われる。  いったい何事かと見開いた目蓋の奥、茶色い瞳には居るはずもないクリストファーの姿が映っていた。 「はっ?  な…っ!?」 「遅いぞミシェル。待ちくたびれた」 「クリス…ッ、何故…」 「お前に一人淋しく誕生日を過ごさせるとでも思ったか?」  温かなクリストファーの腕に抱えられ、マイケルは白い制服を纏ったまま寝台の上に降ろされた。 「Buon compleanno」  クリストファーの腕に嵌められたデジタル時計が小さな電子音を鳴らすのと、同時に告げられたイタリア語。誕生日おめでとうというその言葉に、マイケルは腹の奥底から熱い何かが込み上げるのを感じた。  手を伸ばせば届く距離。マイケルは両腕をめいっぱい伸ばしてクリストファーを抱き寄せた。 「っ…クリス! クリスッ!」  名前を呼ぶたびに嬉しさがこみ上げる。すぐそばにある熱を確かめるかのように、マイケルは恋人の躰を必死に抱き締めた。 「おいおい、俺の躰を抱き潰す気か?」  くつくつと喉の奥を鳴らすような笑い声さえも愛おしい。 「離して…欲しいのか?」 「いいや? もっとだミシェル」 「ん。愛してる…アモーレ…」  強請るように囁けば望み通り口づけが降ってくる。マイケルは息をするのも忘れて恋人の口腔を貪った。 「ん…ぅっ、…っ」  吐息とともに唇の端から唾液が滴り落ちる。息苦しさを感じ始めた頃合いに、マイケルは長い口づけから解放された。  クリストファーの指先が優しく滴り落ちた唾液を掬い上げる。 「ずいぶんな歓迎ぶりだな。そんなに溜まってたのか?」 「っ他に言いようはないのか!?」  クリストファーの明け透けな言いように、マイケルが一瞬にして冷めた事は言うまでもない。先刻とは一変、ぐいぐいと胸を押し返そうとするマイケルにクリストファーが笑う。 「わかったからそう可愛い真似をするなよミシェル。余計に苛めたくなる」 「もうお前なんか知らん! 着替えるからそこを退け!」  制服が皺になると訴えれば、クリストファーの口角が一層可笑しそうに持ちあがった。 「なら、俺が脱がせてやる」  押し返そうとするマイケルなどものともせずに、クリストファーが手を伸ばした先はもちろん上着のボタンなどではなくベルトの金具だ。 「クリス…ッ! お前という奴はどこまで節操がないんだ!!」 「そんなものがあった(ためし)があるなら言ってみろ」 「開き直るなこの節操なし!」  甘い雰囲気などどこへやら、わなわなと唇を震わせるマイケルはだがあっという間に下半身をむき出しにされ、挙句に下肢へと顔を埋めたクリストファーに雄芯を咥えられて言葉を失った。 「ッ…ふ」  思わず漏れそうになる吐息を両手で塞ぐ。閉じようとした膝はあっさりとクリストファーの手に掬い上げられ、逆に大きく開かされることとなった。 「クリス…っ、待…って…」  思いのほか弱々しい自身の声音に羞恥が募る。それよりも何よりも、すぐにでも吐き出してしまいそうなほど高ぶる雄芯が恥ずかしい。わざとらしく水音を響かせて屹立を吸い上げられるたびに、腰が跳ねるのをマイケルは止められなかった。 「んっ、…ァッ、クリ…スぅ…」  赤茶色の髪の中に長い指が滑り込む。引きはがそうと髪を掴んだ瞬間、反り勃った屹立を強く吸い上げられてマイケルは堪らず白濁を吐き出した。 「ん――ッ! ――…ッふ」   辛うじて両手で塞いだ唇から吐息が漏れる。ごくりと喉を鳴らす音が耳に届いて、マイケルはきつく目を瞑った。眦を微かに濡らした透明な雫をクリストファーの舌先が掬い上げる。 「泣くほど()かったか?」 「……黙れ」 「そう怒るなよミシェル。最愛の相手が目の前に居たら欲情するのが男ってもんだろう?」 「そうやっていつまでも丸め込めると思うなよ…」  マイケルが悔し紛れに低く呟けば、ふわりと優しく抱き締めてくるものだから手に負えない。 「なぁミシェル。お前が欲しい」  欲にまみれたクリストファーの声が悪魔の囁きの如く耳朶に響く。無駄に色気ばかりを振り撒く恋人の腰を、マイケルはぐいと引き寄せた。腰を滑った指先が服の上からクリストファーの双丘をきつく掴む。 「良い…ミシェル…」 「そうやって誰彼構わず誘惑してないだろうな…」 「してるように見えるか?」 「見える」  マイケルがきっぱりと断言すれば、珍しくもクリストファーが困ったような表情でこつりと額をぶつけてくる。 「俺がこうして誘惑したい相手は、お前しかいないっていうのにな」 「お前の口説き文句が信用できるか」 「なら、どうしたら信用するんだ?」  自嘲をはらんだ顔で問いかけられればマイケルは言葉に詰まった。いったい、どうすればクリストファーを信用できるのかわからない。  常時一緒に居られるのならまだしも監視できるが、離れ離れの生活を送る今となってはそれもままならない。  マイケルの口から、本音が零れ落ちる。 「俺だってお前を信じていたい…」  絡ませた左手の指先をぎゅっと握れば薬指に嵌めたウエディングバンドが微かに触れ合う。小さいながらも美しい教会で、交換した指輪に誓った言葉を思い出す。  いついかなる時でも互いを信じ、支え合い、愛し合うと、そう誓ったはずではなかったかと。  いつの間にかマイケルの眦から零れ落ちた雫をクリストファーの指先がそっと拭った。 「愛してるミシェル。お前だけだ」  すぐ目の前にあるグレーの瞳が、痛いほど真っ直ぐにマイケルを見つめていた。 「クリス……ごめん…」 「謝るなよ。これは俺が蒔いた種だ」  相変わらず自嘲を纏うクリストファーの台詞に、マイケルはふるふると首を振った。違うと、そう伝えたくて。 「…違う。俺だってちゃんとお前を信じるって……あの時誓った…」 「そうだったな」  ふっと表情を和らげたクリストファーは、どさりとマイケルの横に倒れ込んだ。それこそあっという間にマイケルを胸の上へと乗せてしまったクリストファーが、大切そうにこげ茶の頭を抱え込む。 「ミシェル、俺はお前を裏切らない。他の何よりも、お前との誓いを大事にする」  頬に触れたクリストファーの胸から聞こえてくる鼓動に安心する。いつもより速く、そして力強い音がマイケルの不安を拭い去っていくようだった。 「ん…。俺も、クリスを信じるよ」  マイケルが言えば、温かな手がこげ茶の髪を愛しむように優しく撫でた。    ◇   ◇   ◇  翌朝。マイケルが目を覚ますと隣にクリストファーの姿はなかった。一瞬、夢を見ていたのかと不安になって部屋にクリストファーの痕跡を探してしまう。  ぐるりと部屋を見回せば、テーブルの上に小さな包みを発見してマイケルは飛び起きた。  淡いブルーの包み紙に、濃紺のリボン。その下に、小さなカードが挟まれている。  包みを片手にカードを開けば、誕生日を祝うメッセージが短く綴られていた。  ――もう帰ったのか…?  せめて目覚めるまでは一緒に居て欲しかったと、思いはしても伝える術もない。落胆したマイケルはベッドの端に腰かけて、手の中の小さな包みをじっと見つめた。 「クリス…」  ぽつりと、言葉とともに零れ落ちた涙はあっという間に淡いブルーの包みを大粒の水玉模様へと変えていく。一度零れ始めた涙がどうにも止まらなくて、マイケルは小箱をぎゅっと握り締めた。だが、くしゃりと曲がったリボンに慌てて手を開く。  ――せっかくクリスが用意してくれたのに…。  曲がってしまったリボンをそそくさと直していればドアの開く音がして、マイケルは勢いよく顔をあげた。 「ッ…クリス!!」  ドアを開けて立つクリストファーは一瞬怪訝な顔をして、それからふっと小さく笑った。 「どうやら誤解をさせたようだ」  マイケルの元へと歩み寄ったクリストファーが、色を変えた包みに苦笑を漏らす。 「置いて行かれたとでも思ったのか?」  素直にマイケルが頷けば、クリストファーは困ったような顔で手に持った紙袋を見下ろした。その様子に、朝食を調達しに行っていただけだと知らされる。 「寂しかった…クリス…」 「せっかくの誕生日に、朝からそんな思いをさせて悪かったな」  くしゃくしゃと髪を撫でるクリストファーの手は相変わらず温かくて、それだけで寂しさなどどこかに吹き飛んでいった。  部屋に備え付けのソファはひとつだけで、食事の乗ったテーブルをマイケルがベッドに寄せようとしていれば後ろから腰へと回された腕に引き寄せられる。 「何をしてる」 「何って…座る場所を作ってる」 「場所ならあるだろう?」  ここに。と、そう言ってソファのひじ掛けに腰かけたクリストファーに抱え上げられ、マイケルは朝から顔を真っ赤に染めることとなった。ついでに袋から取り出した焼き立てのパンを口許に運ばれる始末である。  些か恥ずかしい気がしなくもないが、どうせ誰も見ていないというクリストファーの言葉にマイケルが唆された事は言うまでもない。  マイケルが朝食を食べながら涙の滲んだ包みを開けば、中には美しい色の石があしらわれたカフスボタンとネクタイピンがちょこんと鎮座していた。 「ルビーか?」 「お前の誕生石だと聞いた」 「……誰に…」  思わずマイケルの声が低くなるのは致し方のない事か。いったい誰に聞いたのだとすぐ間近にあるクリストファーをじろりと睨む。  だが、クリストファーは軽く苦笑を漏らしただけであっさりと情報源を吐いた。 「おふくろにな」  歯がゆそうな顔をして白状したクリストファーによれば、誰かに贈り物を選ぶのは得意でないらしい。そこで、こっそりと義理の母であるレティシアに相談したのだとクリストファーはマイケルに打ち明けた。  おかげで若い頃のアドルフの話までをも聞かされたと渋い顔をしながらもどこか嬉しそうに話すクリストファーに、マイケルはこてんと寄り掛かった。 「ありがとうクリス。大事にする」 「どういたしまして。それと、生まれてきてくれて、一緒に居てくれてありがとうミシェル」  七月七日。とある国では織姫と彦星が天の川を挟んで年に一度の逢瀬を許され、願いを書いた短冊を笹の葉に吊るして祝う風習があるという。この『Queen of the SeasⅡ』にも、いつだったかフレデリックが始めた『The star festival』と銘打たれたイベントが毎年恒例となっていた。思い思いの願い事が書かれた短冊がデッキに用意された木々を彩る。  その晩、さらさらと海風に揺れる木々と短冊の奏でる音の中で、マイケルはクリストファーとともに幸せな時間を過ごした。 END
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