2.生まれてから中学生になるまで

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2.生まれてから中学生になるまで

私が生まれたのは、2006年の夏先。 私の母は昔から、私を妊娠して私が障害児だと 知った時、不安で堪らなかったと私に言う。 父親が居ないなら尚更。 産まれる前から障害が分かっていたため、母は 大学病院で診てもらい、私はそこで生まれた。 0歳。 私は生まれてすぐに、大後頭孔狭窄という合併 症になって、生まれた時にも診てもらってい た、大学病院に入院をした。 だが、その大学病院では私の病気をよく知って いるドクターは居なかった。 母は次に神奈川にある県立病院に行き、私を診 てもらえないかと受診をした。 すると、すぐにその病院で手術をすることが決 まり、私はその病院に入院することになった。 その病院が、今も私が通院を続けている病院 で、4日後からは入所が決まっている病院だ。 1歳。 0歳から何度も手術を続けた結果、私は無事に退 院をすることになった。 手術が成功したのだ。 麻痺なども残すこともなく、母もお医者さんも 大喜びをしたそうだ。 2歳。 検査入院や通院はまだ続いていたが、私は同い 年の子供と全く変わらない、普通の生活を送る ようになった。 狭いアパートで母と2人きりだったが、夕方にな ると祖母が家に来てくれていた。 そしてこの頃から、母は患者の会に入った。 3歳。 私は保育園の体験保育に通い始めた。 月に1、2回保育園に通い、私はそれが物凄く楽 しかったのを覚えている。 そこで母は、私と私と同い年の子の体力や身長 の差に驚いたのだが、私は驚いている母を前 に、同い年の子に負けないくらい元気だったの だ。 4歳。 検査入院が終わり、私は体験保育で行っていた 保育園に入園した。 運動会は友達と走るのに苦戦して、先生たちを 心配させた。 でも私は、本番で最後まで走ることができてい た。 5歳。 保育園では、先生の目の届かない所で友達と遊 ぶことが増え、友達と鬼ごっこや戦隊ものの真 似をして遊んだ。 すると起こったのは、足の遅い私を鬼にして遊 ぶという、小さい子の意地悪な遊びだった。 私は一生懸命に友達を追いかけたが、友達を捕 まえられるはずがなかった。 また年長になった私は、年小よりも小さい子た ちのお世話係が好きで、先生からも小さい子を 着替えさせるのが上手とよく褒められたのを覚 えている。 それは自分が友達よりも、着替えなどをするの に介助された期間が長かったからなのでは、と 母は言う。 6歳。 私は小学校に行くために、狭いアパートから少 し広めのマンションに引越しをした。 小学校では、事前にどのクラスでどんな風に過 ごすかを考えていたのだが、入学する直前に ADHD(発達障害)の子が同じ学校の同じ普通 級に入学することになってしまったため、先生 と母が考えていたことは、全て変更された。 ADHDが悪いという訳ではないのだが、あまり にも予想外なことだったので、母は学校に怒っ てしまった。 7歳。 小学校では何かと上手くいっていなくて、特に 移動教室が大変だったことを覚えている。 他にも、担任の先生から支援級に薦められてし まったり、支援級の子と喧嘩になってしまった ことがあった。 新しく入ってきた1年生からは、背が小さいと笑 われ、私はそのことで家で泣いてしまってい た。 8歳。 この頃も、まだ学校生活に慣れていなかった。 教室では大人しく、休み時間は図書室に行くよ うになっていた。 でも、小2の途中から特別指導の先生が来て、そ の先生はどうやったら学校が楽しくなるかを考 えてくれた。 9歳。 小3、小4の頃には、私は学校に慣れてきてい た。 担任の先生も私をフォローしてくれていて、私 は学校が楽しいと思えた。 この頃から成長期が始まり、身長は1年で10セン チ近く伸びた。 小4の秋から、叔母にお下がりでスマホを貰っ た。 私はスマホに釘付けとなり、ネットサーフィン が好きになった。 また小学校の歯科検診の時に、歯科矯正を始め るようにと薦められた。 10歳。 身長は110センチくらいになった。 学校も楽しくて、運動会もみんなと同じように できたと思う。 でもここで母への反抗期が始まり、私は家で暴 力的になっていた。 通院する時や外出先でも母にきつく当っていた ため、母はアイコンタクトを取るのが難しかったと思う。 またこの頃から、県立病院の中にある歯科に診 てもらい、医学的な歯科矯正を始めた。 11歳。 私の小学校最後の年は、3人の女子にいじめられ るようになってしまった。 学校が終わって家に帰ろうとすると、後ろから 彼女たちが着いてきたり、自分のスマホを勝手 に見られたりしていた。 この頃から、もう女子と関わりたくないと思っ てしまった。 また携帯には各アプリにロックを付けて、自分 以外の誰かに見られないようにした。 学校以外のことだと、小6の夏から冬にかけて塾 に行った。 塾を辞めた理由は、塾の受講費を払っている と、医療費が払えないということだった。
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