住民説明会

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住民説明会

 その老人の熱弁は二十分は続いただろうか。竜神沼(りゅうじんぬま)が長年に(わた)って、防火用水としていかに地域の人々の為に役立ったかを熱く語った。 竜神沼の周辺の住宅地では家屋(かおく)が密集し、火事が発生した場合、延焼(えんしょう)懸念(けねん)される。その為、火事が発生した家屋の周辺に充分に放水する必要がある。その消火活動の為に、竜神沼の豊富な水がおおいに役に立ったという体験談は傾聴(けいちょう)に値するものだった。  室内を見渡すと、次に発言を求める市民はいない。孝一(こういち)は、前方テーブルの中央に座る坂本課長を見た。課長はさっきから、自分の腕時計を凝視(ぎょうし)したままだ。勤続三十年を迎えた時に、奥さんから買ってもらったご自慢の時計だ。いくらスイス製の高級時計とはいえ、(ねん)ずれば時間が早く進むわけではない。会議室の壁時計は五時十五分を過ぎていた。今日の住民説明会のまとめに入るのに、今が絶好のチャンスなのだが。  孝一は坂本課長の役不足をあらためて思った。自分が進行役だったら、もっと段取り良く進める事ができた。住民説明会が始まってもう四時間が経っているのだ。当初の予定終了時刻は三時だった。今日が二回目の説明会なのだ。前回初めての説明会で五時間を(つい)やしたが、反対派が意見の集約に納得せず、急遽(きゅうきょ)二回目を開催することになった。自分なら一時間もあれば、反対派のガス抜きをしてもっとうまく取りまとめる事ができただろう。反対派に思いのたけを語らせて、最後の締めくくりは、 『皆さんのご意見を、この計画に反映させます。』 とか言って、相手を適当に持ち上げておけばいいのだ。  孝一の心の声が届いたのか、坂本課長が唐突(とうとつ)に立ち上がった。 「本日は様々なご意見を頂戴(ちょうだい)いたしまして、本当に有難うございました。前回ご発言できなかった方々のご意見も頂戴いたしまして、誠に(みの)りある住民説明会になったと思います。さっそく持ち帰りまして、担当部署(たんとうぶしょ)で前向きに検討(けんとう)させていただきます。」  坂本課長はそう言うと、深々と頭を下げた。頭頂部(とうちょうぶ)バーコードは、スーパーのレジを通過(つうか)出来るほど、いささかの(みだ)れもなくきっちりと(くし)(ととの)えてある。 「何が前向きに検討させて頂くだよ。結局、計画は見直さないって事だろう。」  最前列の一番左で立ち上がった老人が、両手に持ったプラカードを上下に振りながら怒鳴(どな)った。前島儀助(まえじまぎすけ)、七十八歳。元小学校校長で、埋め立て反対派の副会長をしている。 今日は会長の梶山(かじやま)は来ていない。なにか所用(しょよう)ができたのか。梶山がいないおかげで、今日は反対派にまとまりがないのも事実だ。こちらとしては理路整然(りろせいぜん)と反対意見を述べる梶山がいない方が、議事(ぎじ)を進めやすい。 最前列に陣取(じんど)る反対派八人の経歴は、孝一の頭に全て入っている。そして一人一人の弱点も。たしか副会長の前島は奥さんを三年前に亡くし、一人暮らしのはずだ。息子が二人いるが二人とも県外で働いている為、前島と同居はしていない。 ちなみに前島儀助の弱点は万引きだ。過去にホームセンターとスーパーでそれぞれ一回摘発(てきはつ)された事がある。店の恩情(おんじょう)警察沙汰(けいさつざた)になっていないから、本人は世間(せけん)に知られていないと思っているだろう。 いずれ、この()(ふだ)を使う時がくるだろう。その時は前島儀助は今と同じように、身の潔白(けっぱく)を訴えて怒鳴るのだろうか。 孝一はうろたえて必死に弁明する前島の顔を想像して、思わずほくそ笑んだ。 「そうだ、そうだ。」  会議室の二十人程の人間が、前島に賛同の声を上げる。最前列から二列目のほぼ中央で、一人の小柄な老婆が立ち上がった。
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