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結界突破
雷一の体を軽い抵抗感が包み込む。例えるなら、プールの水の中に入って行く感じだろうか。左足も踏み込んだ。全身が結界の薄い膜の中に包み込まれた。雷一は本当に水の中にいる気がしてきた。雷一はなぜそう思うのか気づいた。さっきまで聞こえていた車の音や町の喧騒が消えたからだ。
雷一は何だか大きな水槽の中にいるような気がしてきた。前方にゆらゆらと外の景色が見える。
「さあ、今度は結界の外に出よう。」
狛犬が声をかけてきた。雷一は狛犬の声がちょっとうわずっているように聞こえた。狛犬も緊張しているのかもしれないと雷一は思った。
「わかった。行こう。」
雷一は頷くと、右足を前に踏み出した。しかし、右足が前に出ない。今度は左足を出した。やはり、前に出ない。流れるプールの中で、水の流れに抵抗して逆に歩こうとしている感覚だ。
「だめだ、足が前に出ない。」
雷一が左肩の狛犬を見ると、雷一を見つめる狛犬と目が合った。
「結界は入るのは簡単だけど、出るのが難しいんだ。じゃあ、次の手段だ。」
狛犬は雷一にそう言うと、何かぶつぶつと唱え始めた。
「何をするの。」
雷一の質問に答えずに、狛犬は一心不乱に何か唱え続けている。雷一が聞いたことがない言葉だ。狛犬の体が少しづつ輝いてきた。最初は白っぽく輝いていたのが、段々と黄金色になってきた。
雷一は驚きと興奮で叫んだ。
「うわー、変身してる。」
雷一の声に、狛犬はちょっとムッとした顔をして言った。
「変身じゃないよ。お母さんに習った術だよ。体内エネルギーの純度を高めてるんだ。」
狛犬はそう言うと、さらに大きな声で術を唱え続けた。
雷一は左肩にいる狛犬がまぶしいくらい金色に輝いているのを見て、ちょっと感動していた。狛犬は母親と毎日厳しい修業を続けていたに違いない。だから強い絆で結ばれているのだ。だからよけいに母親に会いたいのだろう。あらためて、雷一は何とか狛犬を母親に会わせてあげたいと思った。
「よし。じゃあもう一度、挑戦しよう。」
雷一はそう言うと、結界の壁に右足を踏み出した。今度は踏み込める。
「いけるよ。」
雷一が狛犬を見ると、狛犬は前を見て頷きながら、術を唱え続けている。
雷一は左足を大きく踏み込んだ。顔に結界の壁がまとわりつくのを感じながら前に進むと、視界が開けた。
国道に出ていた。道路の向かい側にスーパーの広い駐車場が見える。
急にいろんな音が周りから聞こえてきた。車の走行音、スーパーの店員の呼び込みの声、たくさんの人々のざわめきの声。
雷一は急に浴びせられる様々な音のシャワーに、体が汚されていくような錯覚を覚えた。さっきの結界の中の無音世界が神聖な感じがして、少し残念な気持ちになった。
「ありがとう。僕を結界から出してくれて。」
声に反応して雷一が左肩を見ると、狛犬が口を左右に大きく広げて笑っている。雷一も狛犬の顔を真似て笑った。雷一はほっぺたが妙にひきつって、うまく笑えなかった。
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