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紅白歌合戦
「前半戦は白組が優勢かねえ。」
清子は番組がニュースに切り替わった所で、ちゃぶ台から立ち上がった。耕吉は横に置いていた新聞を広げると、テレビ欄を見始めた。
「紅組のトリ、石川さゆり。」
嬉しそうな耕吉の声に、台所から清子が答えた。
「そうだよ、トリはさゆりさんだよ。勇太の大好きな天城越えを歌うんだよ。それなのに、あの子ったら。大晦日に何処をほっつき歩いてるんだろうねえ。もうすぐ九時だよ。すき焼きの準備も出来て、後は肉を入れるだけなんだよ。まったく、来年の四月から中学生だっていうのに。」
新聞から顔を上げた耕吉が、テレビのリモコンを両手で持つと音量を上げた。
「先程入りました情報に寄りますと、贈収賄疑惑で光南中央警察署の任意の事情聴取の後、行方をくらましていた光南市の緒方市長が自ら警察に出頭した模様です。出頭した光南中央警察署前から中継です。」
清子が台所から、慌てて居間に駆け込んできた。
「はい、光南中央警察署前です。先程、緒方市長が複数の人間に両肩を抱えられて、光南中央警察署に出頭した模様です。緒方市長は警察署の玄関脇に設置してある車イスを借りて、署内に入ったそうです。脚に怪我をしている模様ですが、命には別状はないそうです。脚の怪我の程度は不明です。緒方市長に一緒に同行した複数の人間は、誰かは判ってはいません。その中に大型犬もいたとの情報があります。緒方市長が飼っていたペットかもしれません。一緒に逃亡した私設秘書のS氏は現在も行方が分かっていません。今の所は以上です。」
清子はニュースが光南市の天気予報に変わると、ちゃぶ台の上のリモコンの音量を下げて立ち上がった。
「緒方市長が自首したんだねえ。大晦日になって、やっぱり逃げ切れないと思ったんだろうねえ。年末の切りのいい所で、潔く罪を認めて年を越した方がいいよ。まだ若いんだから、もう一度やり直せばいいじゃないか。ねえ、あんた。」
清子の呼びかけに、耕吉は深く頷いた。その時、電話が鳴った。
「噂をすれば、何とやらだよ。」
清子は、テレビの横の電話を取った。
「はい、小林です。ああ、勇太。あんた今、どこにいるんだい。もう紅白歌合戦が始まってるよ。何だって、友達をこれから連れてきてもいいかって。」
清子は耕吉に目配せした。耕吉は黙って頷いた。
「お父さんがいいよって。それで誰を連れてくるんだい。雷一君と雷一君のお父さん。いいよ、雷一君だったら大歓迎だよ。でも、すき焼きの肉が人数分は足りないねえ。もちろん豚肉だけど。」
「うどん、足す。」
耕吉はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。清子が頷きながら、耕吉の脇に立って耕吉の体を支えた。
「お父さんが肉が足りなければ、うどんを足せばいいって。え、雷一君のお父さんが牛肉を買ってくれるって。それはありがたいけど、無理しないでくださいっていいなさいよ。国産じゃなくてもいいからって。煮込めば、味はそんなに変わらないから。大人数で食べれば、外国産だって充分美味しいんだから。」
「食後、デザート。倉庫。」
耕吉は少し右足を引き摺りながら、歩き出した。
「食後にデザートがあった方がいいね。倉庫に贈答用のマンゴーがあったんじゃないかい。あんた、無理しないでね。えっ、何。雷一君のお父さんが、父ちゃんは赤ワインが好きか聞いてくれって。」
耕吉は振り向くと、嬉しそうに二度頷いた。
「父ちゃんは食用アルコールなら何だって好きだよ。くれぐれも、雷一君のお父さんに無理しないでくださいって言うんだよ。国産で充分ですって。みんなで飲めば味はそんなに変わらないんだから。ああ、あんた達は飲めないねえ。ガッハッハ。」
耕吉は土間にゆっくりと腰掛けると、一語、一語をはっきりと言った。
「今年の大晦日は賑やか。楽しいね。」
清子は涙ぐみながら、嬉しそうに頷く。
「えっ、犬も連れてきていいかって。もちろん、大歓迎だよ。母ちゃんはワンちゃんが大好きだから。会ったら、喉仏をグリグリしてやるよ。えっ、犬が話ができるって。母ちゃんも話せるよ。ウオォーン。」
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