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メンチカツ
雷一はスーパーの駐車場を出て立ち止まると、大きく深呼吸をした。涙はどうにかぎりぎりで、体の中に引っ込んでくれたようだ。
「よし、帰ろう。」
雷一は自分自身に言い聞かせる様に声に出して言うと、歩き出した。
元々、狛犬が結界から出る手伝いをするだけだったのだ。その後の母親を探すのは約束したわけじゃない。自分より体力があって車の運転ができる大人の方が行動範囲が広いので、あの狛犬の母親を探すのに向いていると思う。それに自分は来年の四月から中学生になるのだ。三学期はやらなければならない事がたくさんあるだろうから、せっかくの冬休みに面倒な事には関わりたくない。雷一はそう自分に言い聞かせた。一日に色々な事を経験したせいか、どっと疲れが出てきた。
『かごめかごめ』のメロディがどこからか聞こえてきた。夕方の五時を知らせる合図だ。
「さっきのスーパーで、晩御飯のおかずを買っておけばよかったな。」
雷一はそう呟きながら、今晩のおかずを何にするか考えた。これから家に着くまでに、立ち寄れる店を頭の中に思い浮かべる。
「そうだ、今日は寿ミートのメンチカツにしよう。」
雷一は寿ミートのメンチカツが大好きだった。がぶっと頬張ると、口の中で肉汁がジワーと広がる。ソースも何もかけなくても牛肉のミンチと玉ねぎの甘さが絡まって、幸せな気持ちになる。他の店のメンチカツと違って、冷えてもおいしかった。
「あれだったらお父さんのビールのつまみにもなるし。」
我ながらグッドアイデアだ。気分がちょっと良くなってきた。
「僕だってやる時はやるんだよ。」
「パン。」
雷一は両手を胸の前で叩いて、運動会のかけっこの様に走り出した。寿ミートのメンチカツは早く行かないと、閉店前に売り切れる場合があるのだ。以前並んだ時、自分の前で売り切れて雷一は仕方なくビーフコロッケを買って帰った事がある。ビーフコロッケも充分おいしいのだが、メンチカツのように頬張った瞬間に胸の中に幸せの風船は膨らまなかった。
「よし、近道しよう。」
雷一は次の信号を左に曲がり、角から二軒目の花屋と三軒目の薬局の間の狭い路地に入った。路地の先は高層マンションを建設中で、その工事現場を通り抜けると寿ミートはすぐ先だった。マンションの裏口に置いてある青色の簡易型トイレの脇をすり抜けて、マンションの建築現場に入った。工事を請け負っている大人たちはもう帰ったのか、誰もいなかった。束ねて積み重ねてある細長い鉄柱や青いビニールシートを被せてある何か大きなかたまりの横をすり抜けて、マンションの表口へ向かった。
「キキーッ。」
道路へ出た瞬間、左側で自転車のブレーキを踏む鋭い金属音がした。振り向いたと同時に、聞き覚えのある怒鳴り声が響いた。
「バカ野郎。急に飛び出して来たら危ないだろうが。」
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