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鉄拳制裁
三輪車に跨って、顔を真っ赤にした勇太がいた。雷一はうなだれて、思わず呟いた。
「今日はついてないなあ。」
雷一の声が聞こえたのか聞こえないのか、勇太がまくし立てる。
「おい、雷一。急に飛び出してきやがって。俺様の人一倍鋭い反射神経がなかったら、ぶつかってたぞ。荷台の商品が台無しになるところじゃねえか。」
勇太はそう言うと、三輪車の後ろの荷台を振り返った。雷一も思わず三輪車の荷台を覗き込んだ。プラスチックのかごの中に袋ごとに分けて積んである野菜は無事のようだ。
「俺はお前と違って、放課後にぶらぶらしながら帰る暇がないんだ。食うために稼がなきゃいけないんだ。学校帰りに寄り道して、何をやってやがるんだ。」
三輪車から降りた勇太が、雷一の目の前に仁王立ちした。左に曲がった鼻がひくひくしている。今日の昼休みは雷一にボールを当てたうれしさでひくひくしてた鼻が、今は怒りでひくひくしている。勇太が首に下げている集金袋も左右に揺れている。雷一はそれを見て去年の夏休みを思い出した。
八月最後の登校日、勇太は学校に来なかった。先生が勇太は大怪我したので休む事になったと言ったので、クラスは騒然となった。配達の帰りに三人組の高校生に絡まれて、集金したお金をカツアゲされそうになったらしい。勇太が断ると、三人組は殴る蹴るの暴行を働いたそうだ。集金袋を胸の中で離さず、隙を見つけて勇太は家に帰ってきたと勇太の母親が電話で先生に連絡してきたらしい。
登校日の帰りに、雷一はクラスの何人かの友達と勇太の家にお見舞いに行った。
「一人はぶっ飛ばしてやったんだけどなあ。相手が高校生三人だとちょっとキツイよ。」
顔中に包帯を巻いた顔で、勇太は笑っていた。その時の乱闘で鼻骨が折れたらしい。警察には被害届を出したが、結局、相手の高校生三人組は捕まらなかった。
その時以来、勇太はトレーニングを始めた。空手や柔道の道場に通うにはお金がかかる。勇太はもっぱら腕立て伏せやスクワット、鉄アレイで体を鍛えているという話だ。
あの頃は勇太の家にお見舞に行くほど仲が良かったのにと思うと、雷一は寂しかった。いつから勇太とはこんなに仲が悪くなったのだろう。
「おい、俺の話を聞いてんのかよ。」
雷一は勇太に胸倉をつかまれて、建設中の高層マンションのエントランスの前に引きずられて行った。雷一は百五十五センチ、クラスで男子十八人中前から三番目、見上げる勇太は列の一番後ろだ。おそらくもう百七十センチを超えて、百八十センチに近いと思う。
「お前は何でいつもドジなんだよ。すぐ諦めて逃げやがって。」
勇太は右の握り拳で、雷一を殴ろうとしている。雷一はその言葉は、以前勇太に言われた覚えがあった。たしか五年生の時だ。しかし、それが何についてだったのか思い出せなかった。
「わからないなら、お仕置きだ。」
雷一は思わず目をつぶった。一発殴られた後、おおげさに転がりまわって、隙を見つけて逃げようと思った。
『やっぱり僕は閃きの天才だ。』
雷一は目をつぶり、奥歯を噛みしめて衝撃に耐える準備をした。だが勇太はなかなか雷一を殴らない。
「何だよ、どうしたんだよ。」
勇太がぶつぶつ言っている声がする。誰か助けに来てくれたのだろうか。雷一は恐る恐る目を開けた。目の前の勇太が雷一に向かって右の拳を振りかざそうとしているのだが、ガッツポーズを取っている様に振り上げた拳が雷一に下りてこない。
「ちくしょう。手が思うように動かねえ。何で動かねえんだ。」
勇太が後ろを振り返って言った。
「何だ、このブルドッグは。」
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