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命名
雷一は振り返ると、狛犬に話しかけた。
「お腹すいてないかい。お礼においしいメンチカツをおごるよ。これから一緒に買いに行かないか。」
狛犬は大きくうなづいた。満面の笑顔で大きな尻尾を振っている。
「それじゃあ、どうぞ。」
雷一が左肩を下げると、うれしそうに狛犬が走ってきて飛び乗った。狛犬の体は、雷一に飛び乗る瞬間に子犬の様に小さくなっていた。
「カッコイイー。」
雷一の感嘆の声に、狛犬は照れ臭そうに笑った。小さくなった尻尾が左右に振れている。
雷一は歩きながら、狛犬に自己紹介を始めた。
「僕は風間雷一、十二歳。時恵ばあちゃんの話だと、僕が生まれた日は大雨で雷が凄かったらしい。僕が生まれた瞬間、特大の雷が落ちて街中が停電になったんだって。それで一番の雷が落ちた日に生まれたって事で、雷一って時恵ばあちゃんがつけたんだ。でも学校じゃ果物のライチと同じ発音なんで、そっちのライチって言われてからかわれるけどね。」
狛犬は雷一の左肩の上で、雷一の話をじっとを聞いている。雷一は向こうから歩道を走って来る自転車のおばさんを、横に避けて歩きながら話し続ける。おばさんは不思議そうな顔で雷一を見ながら、走り去った。
「雷で病院の手術室も停電になったんだって。パニックになった病院の先生に代わって、時恵ばあちゃんが僕をお母さんから取り上げてくれたらしい。それで時恵ばあちゃんが僕の名づけ親になったんだ。」
雷一が左肩の狛犬を見ると、にこにこ聞いている。
「ねえ、君の名前は何ていうの。」
雷一の問いかけに、狛犬は一瞬ビクッとした。そしてもじもじしながら小さい声で言った。
「・・・・」
その時、通りの向こう側から猛スピードのトラックがクラクションを鳴らしながら近づいてきたので、雷一には狛犬の声が聞き取れなかった。
「何?ごめん、聞き取れなかった。」
困った顔をした狛犬は覚悟を決めたように大きく頷くと、今度は大きな声ではっきりと言った。
「僕の名前は真王丸力之介。」
「え、何。シンノウマルリキノスケ?」
雷一は外国人のように、カタコトの日本語で一語一語を言った。漢字が思い浮かばない。
「お母さんはそんな長い名前で、毎日君の事を呼んでいたの?」
「その名前は僕が大きくなって立派な狛犬に成長したら、正式に受け継ぐ名前なんだ。」
「じゃあ、普段は何て言われてたの。」
狛犬はまた、もじもじしながら小さい声で言った。
「・・・・」
今度は雷一はしっかりと聞こえたが、わざと聞こえないふりをした。雷一は笑いたいのを我慢しながら、左耳に左手を当てて言った。
「え、何?もう一回言って。」
狛犬は雷一を一瞬睨みつけたが、投げやり口調で言った。
「坊や。」
雷一は今度は我慢できずに、大声で笑った。
「百十二歳になる狛犬が坊やだって。百十二歳が坊やって。」
雷一は腹の筋肉が痛くなって思わず前かがみになると、左肩の狛犬が恨めしそうにじっと見ている。
「ごめん、ごめん。お母さんにとっては、君は可愛い坊やだからなあ。じゃあ、僕が君に人間界で使う名前を付けてあげるよ。」
「名前?」
怪訝そうに狛犬は首を傾げる。
「君の正式な名前は立派だけど普段は長くて呼びづらいから、気軽に声を掛けられる名前にしよう。こうしよう。君は小さいけど力強くて頼りになるから、小力。」
「コリキ?」
雷一は狛犬の碧い瞳を見つめて、もう一度言った。
「そう。小さいけど頼りになる、力持ちの小力。」
狛犬は気に入ってくれたようだ。尻尾を左右に振ると、大きな口を横に広げて微笑んだ。
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