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リベンジの願掛け
勇太は、雷一の亀の子作戦を前にして、最初は大声でどなり続けた。
「ひきょう者。」
「いくじなし。」
「オカマオンナ。」
ありとあらゆる、勇太が思いつく罵詈雑言を並べ立てる。亀のように首をすくめ、丸まってうづくまる雷一の周りを回りながら。その間にも、休み時間終了のベルは刻々と近づいている。一瞬の背中の痛みを我慢すれば、雷一の作戦勝ちだ。運よく背骨に当れば、皮膚の痛みはもっと少なくて済む。急に勇太のどなり声がやんだ。雷一が耳を澄ませると、勇太があきらめたような口調で言った。
「わかったよ。俺の負け。お前の作戦勝ちだよ。もう、昼休みが終わっちゃうよ。」
ボールを手放す音がした。
「やったー、亀の子作戦が成功したー。」
雷一が叫びながら顔をあげた瞬間、正面からボールが向かってきた。ものすごいスピードボール。
「バチーン」
雷一のおでこにヒットしたボールが地面に落ちた瞬間、昼休みの終わりを告げるベルが鳴り始めた。
「ひっかかったな。弱虫亀の追い出し作戦、大成功―。ちょっと早いけど、俺からのお年玉だ。ガッハッハ。」
雷一がひりひりするおでこをさすりながら見上げると、勇太が左にちょっと曲がった鼻をひくひくさせながら高笑いしていた。
雷一は宝来神社の頂上にたどり着いた。参拝客は誰もいなかった。
五年生の時は、夏休みにこの境内でみんなでドッジボールをしたものだ。あの頃は勇太も仲よく遊んでいた。
「なんで僕を目の敵にするのかなあ。」
雷一はぶつぶつ呟きながら、鳥居にむかって歩いた。十メートル程先に向かい合った狛犬が鎮座している。
雷一はいつもの儀式に入った。まず右側の狛犬の前に立った。左の前足の下にソフトボールのような球を置いている。PKをこれから狙うサッカー選手のようだ。雷一は狛犬に近づくとその顔をじっと見た。そして両手の指で口を広げ、その狛犬の顔を真似て唸った。
「あー。」
次に向かいに座る狛犬に向かう。参拝客に撫でられて両足の表面がつるつるしている。顔をじっと見つめると、今度はその狛犬の顔を真似て口をへの字に結んで唸った。
「うーん。」
雷一はこの神社に来ると行う一連の儀式を終え、参道を本堂に向かった。今日の一番の目的だ。左のズボンのポケットから、小さくたたんだ紙切れを出した。破ったノートに勇太の悪口をびっしりと書いてある。
雷一は周囲に誰もいないのを確認すると、大声で言った。
「どうか、勇太に天罰が下りますように。朝起きたら、おちんちんの先っちょが痛くなってますように。おさい銭は今度来るときに必ず持ってきます。」
雷一は紙切れをきれいにたたみ直すと賽銭箱に投げ入れ、柏手を大きく二度打って深々とおじぎした。勇太が朝、布団の中でおちんちんを押さえながら転げまわっているのを想像したら楽しくなってきた。雷一はふいに誰かに見つめられている気配を感じて振り返った。
誰もいない。
「この神社は、本当に人気がないなあ。」
雷一は呟いた。この宝来神社に人は住んでいない。社務所もないので、お守りやお札もこの神社では買えなかった。人気がないのはそれもあると雷一は思っていた。月に何度か、近くの黄金神社から神主さんが掃除に来るらしいが、それ以外はこの神社を訪れるのは、団子ばあちゃんの様な熱心な参拝客だけだ。
以前、ここの賽銭箱のお金を盗ろうとした小学生が、化け物に襲われたという噂がクラスで流れた事があった。
「暗くなる前に帰ろう。」
雷一は本堂の左側に回った。本堂の裏に細いけもの道があった。そこを下ると国道に出る。そのけもの道を使えば、小学校の指定した登下校ルートより、家までだいぶ近道になるのだ。その時、遠くで犬の鳴き声が聞こえた。腹をすかせて食べ物を探しているのか、悲しそうな、か細い泣き声だ。
「最近、野良犬が増えたので、帰る時は気をつける様にしてください。」
校長先生が終業式で言っていたのを雷一は思い出した。
雷一は足早に、けもの道を下り始めた。昨日の雨で足元がすべる。
その時、後ろにまた気配を感じて振り返った。今度はいた。
子犬だ。悲しそうにこっちを見ている。
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