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狛犬の任務
雷一は、目の前の狛犬の碧い瞳をじっと見つめた。相変わらず吸い込まれそうな感覚になるが、妙に気持ちが落ち着く気もする。
雷一は狛犬をジロジロと観察した。狛犬の外観は、ちょっとブルドックに似ている。どんぐりまなこが愛らしい。太く短い眉毛が、目力をより後押ししている。大きな鼻はちょっと上を向いていて、口は大きく横に広がっている。大きな耳は横前方にちょっと垂れている。ブルドッグと違うのは、首の周りから胸にかけて、ライオンのようなりっぱなたてがみが生えている所だ。前足の感じはライオンに似ている。指は短いが逞しい。尻尾は跳ね上がって、背中にくっつくように長い。
雷一が落ち着いて話が聞ける状態になったと思ったのか、狛犬が静かに語り始めた。
「君は気づいたみたいだけど、僕はこの神社に住む狛犬なんだ。代々何百年もこの神社と森を守ってるんだ。」
狛犬は話しながら、雷一の目を覗き込むようにじっと見つめている。雷一は狛犬の時々横に広がる大きな口元を見つめながら、恐る恐る質問した。
「何で君が神社を守らなきゃいけないの。それに君は今何歳なの?」
狛犬は左にちょっと首を傾げ、困ったような顔をした。そして雷一の目を見つめて再び話し出した。
「僕もお母さんから聞いた話なんだけど、神社がある場所は元々悪霊が出没しやすい場所だったらしい。時空間が歪んでいるというか、磁場が乱れているというか。そこで特殊な能力を持った人間がそうゆう場所に神社を建てて、狛犬に結界を張らせて警護せているんだ。僕達の仕事は、神社の門番として町全体を見守る事なんだ。」
「狛犬に結界を張る能力なんかあるの?」
雷一の心を見透かしたのように、狛犬は笑いながら言った。
「これで信じられるかな。」
狛犬は雷一に顎をしゃくった。すると雷一の体が地面からすうーと浮いた。さっき狛犬が地面から少し浮いていたのは、これだったのかと雷一は思った。たった数十センチだが地面の上に浮いていると思うと不思議な感じだ。
「いいかい?」
狛犬は雷一に念を押すと、空を見上げた。次の瞬間、雷一は狛犬と一緒にガラス張りのエレベーターに乗った様な感覚で百メートル程上空に昇った。森のてっぺんに立ったようだ。森林公園の先に小学校のグラウンドが見える。
「わかるかい、薄い膜があるのが。」
狛犬が前足で上空を触ると、空気が震えた。雷一が目を凝らして見ると、透明なラップのような薄い膜が森全体を覆っているのがわかる。
「これが僕とお母さんが張っている結界さ。これで神社を守っているんだ。」
狛犬の鼻が、自慢げにさらに広がった。
「神社を建てたのは、はるか昔、悪霊との戦に勝った侍じゃないかな。詳しいことはお母さんに聞かないとわからない。狛犬の像を建てたのは、僕たちの姿が見えない人間に、僕たちが神社を守っている事がわかるようにする為だったらしい。それと僕は今年で百十二歳になるよ。だから雷一君のちょうど百歳年上かな。」
雷一は狛犬が自分の名札を見ている視線を感じた。雷一は狛犬がさっきから、『お母さん』『お母さん』と連呼するのが鼻についた。ちょっと意地悪を言いたくなった。
「百年以上生きてるんなら、自分ですぐに見つけられるだろう。大事な、大事なオカアサンを。」
雷一は最後はお母さんにアクセントをつけて言った。狛犬はそれに気づかないのか、眉間にしわを寄せて答えた。
「僕はまだ、自分の力だけじゃこの結界の外に出ることが出来ないんだ。人間の、それも君のような能力者と一緒じゃないと無理なんだ。」
狛犬がまた、雷一の目を覗き込んで訴えてきた。
「いやあー、僕なんか無理だよ。」
雷一はそう言いながら、能力者と言われて満更悪い気がしなかった。雷一は小学校入学以来、人に褒められたことは一度しかない。
「君は問題の答えがわからなくても、元気に手を挙げるのがいいな。」
三年生の時の担任の黒木先生の言葉だ。褒められたのがうれしくて、雷一はそれからも元気に手を挙げていたが、ある日クラスの女子にあだ名を付けられた。
『冷凍コロッケ』
その心はただ揚げるだけ。そのあだ名が定着してクラスの女子にからかわれるようになって、雷一は授業中に手を挙げるのを止めた。問題の答えがわかっていても。そして人の褒め言葉を鵜呑みにする事もやめた。褒められるとろくな事がない。
雷一は質問した。
「君はこの森を出て、どこに行くつもりなの。お母さんを探す当てはあるの?」
狛犬はまた小首を傾げて考えていたが、雷一の目をじっと見ると言った。
「正直当てはない。ただ、お母さんの近くに行くと、お母さんの気配というか、波動が伝わってくる。だから捜し歩いていれば、いずれお母さんの所へ辿り着けると思うんだ。」
雷一はその答えを聞いて、ちょっとあきれた。当てもないのにやみくもに探し回ろうというのか。いつか見つかるという根拠のない見込みで、延々と探し続けて見つからなかったらどうするんだろう。それまでの努力が無駄に終わるだけじゃないか。何でそんな行き当たりばったりの計画に、自分が付き合わなければならないのか。
雷一はどうやってこの申し出を断ろうかと考え始めた。集中すると無意識にいつもの癖が出た。思案顔の雷一を、狛犬がじっと見つめているのに雷一は気づかなかった。
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