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方針転換
彼は少年が迷っているのを感じた。いきなり神社の狛犬に話かけられて、この森から抜け出す手助けをして欲しいと頼まれたら、誰だって面食らうだろう。さっき少年の瞳の奥に見えたはずの白い光は消えていた。爪を噛みながら思案する少年に、彼は同情と憐れみを感じた。そして母親のある言葉を思い出していた。
『坊や、あなたもいつの日か、霊力のある人間と出会うかもしれない。でも覚えていて。霊力のある人間に勇気があるとはかぎらないから。人間は基本的にみんな勇気を持っているわ。でもそれをちゃんと発揮できる人は少ないの。
特に自分の命に係わる大事な時には。』
彼はこの少年に期待するのをやめようと思った。この少年には荷が重すぎる。この少年には霊力はあるが、自分の身を顧みずに勇気を発揮するという能力はないだろう。
まず、この森から抜け出すのが第一だ。その手助けだけを、この少年にしてもらおう。森を出てから、母親を一緒に探す人を新たに見つければいいのだ。
「ねえ、雷一君。まず、この森から僕を出してくれないかなあ。」
少年は上目使いに彼を見ると、爪を噛むのを止めて大きくうなずいた。
「いいよ。この森から出るぐらいの手伝いだったら、僕にも出来ると思う。
一緒にお母さんを見つけるのは難しいけど。宿題とか部屋の片づけとか、僕も色々と忙しいんだ。それに来年の四月から中学生だし。」
少年は自分自身を納得させるように頷いている。彼の判断は正しいようだ。彼は少年に、再び猫なで声で言った。
「じゃあ、僕が君の肩の上に乗るから、君はそのまま歩いてこの森を出てくれないかな。それで僕はこの結界から出ることが出来ると思うんだ。」
少年は自分が手伝う内容が、思っていたよりも簡単だったので拍子抜けした様だ。
「いいよ。いつでもどうぞ。」
少年はちょっとおどけた様子で、左肩を下げて身構えた。
「ありがとう。」
彼は礼を言うのと同時に、少年の左肩に飛び乗った。
「よし、準備OK。出発だ。」
彼は少年を励ます様に、わざと大きな声で声をかけた。
少年の肩は小刻みに震えていた。
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