変身

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変身

 孝一(こういち)は、二人の仲の良い同僚から、緒方市長の贈収賄(ぞうしゅうわい)疑惑の顛末(てんまつ)を聞き出した。県警は複数のタレコミ情報を元に、半年以上前から(ひそ)かに緒方市長の周辺の内偵捜査をしていたらしい。副市長の谷川さんや公設秘書を務める青木さんから、任意で事情聴取を行った様だ。また警察庁や警視庁と連絡を取って、光南市に赴任する前の前任地の関係者まで対象を広げて、任意で事情聴取をおこなったらしい。捜査がなかなか進展しなかったのは、緒方市長の重要な業務は、そのほとんどを個人秘書の佐久間が(にな)っていたので、核心部分に関して、タレコミ情報を裏付ける重要な証言や証拠が入手できなかったからの様だ。ここにきて年末に捜査が急展開したのは、来年の夏に予定されている県知事選挙を控えて、現職知事や保守系の県会議員が、市長がもし逮捕された場合の知事選への影響を恐れて早目に決着をしたかったからではないかと、孝一の同僚の一人は推測していた。孝一は能天気に動き回っていた自分の行動を恥じた。  昨日の午前中、孝一は雷一を宝来神社に送った後、スナック『陽炎(かげろう)』のマスターを訪問した。マスターには空洞の崩落事故で佐久間が行方不明になったと報告した。本当の事は話さずに、警察の事情聴取の時に喋った内容に合わせた。マスターは佐久間との別れを予期していたのか、取り乱さなかった。マスターは佐久間の勘定の『付け』は(かたく)なに受け取ってくれなかった。 『お勘定はご本人から直接頂きます。いつまでも待ちます。それに、これをカタに預かってるから。』 マスターはホワイトボードを持った左手を伸ばして、孝一に見せてくれた。マスターの薬指に、鮮やかな赤色のルビーの指輪が輝いていた。 「背中を丸めながら 指のリング抜き取ったね  俺に返すつもりならば 捨ててくれ」 孝一は涙を流しながら、唄った。マスターは寂しそうに笑った。  孝一が店を出ると、マスターから携帯電話にメールが届いた。 『年が明けたら、またお店に来てくださいね。良いお年を息子さんとお迎えください。』  孝一は佐久間の願いを叶える事は出来なかった。あの空洞の中で、佐久間は孝一の腹を蹴り上げるふりをして助けてくれた。下から見上げる孝一の顔に、怒鳴りながら泣いている佐久間の頬から涙が落ちてきた。佐久間は悪霊に洗脳されて悪事に加担していたが、最後に正気に戻ったと孝一は思いたかった。 「風間さん。『()るを知る』って、ご存じですか。」 佐久間の投げかけた言葉が、孝一の頭の中でリピートされる。 「佐久間さん。俺はこれからどうすればいいんだ。」 孝一の胸の中に充満した思いが、思わず口から溢れ出た。 「フゥー。」  孝一は長い溜息をつくと立ち上がり、食堂を出て時恵の病室に向った。ナースセンターの前で、雷一(らいち)が待っていた。二人並んでエレベーターホールに向いながら、孝一が尋ねた。 「おばあちゃんの具合はどうだった。」 「おばあちゃんはよく眠っていたよ。」 雷一は孝一の顔を見ずに答えた。孝一には、雷一の目が少し赤い様に見えた。時恵の病室で一人で泣いたのかもしれないと思った。エレベーターホールの横にちょっとした休憩スペースがあった。入院患者のお見舞いに来た子供達だろうか、小学校低学年と(おぼ)しき二人の男の子がじゃれ合っていた。背の高い方の男の子が、 「へんしーん。」 と叫んで、戦隊ヒーローの変身ポーズをやり始めた。隣りで弟だろうか、お兄ちゃんの真似をして、 「へんしーん。」 と言いながら、同じようなポーズをとった。 「左手が違うよ。」 お兄ちゃんが弟に、右手と左手を顔の前で交差する手順を教え始めた。雷一がエレベーターのボタンを押すと、孝一に向き直った。雷一は孝一の目を見つめて、言った。 「お父さん、変身できる?」 孝一は一瞬戸惑(とまど)ったが、笑顔で答えた。 「仮面ライダー1号はできるぞ。」 孝一はちょっとおどけて、変身ポーズをとった。雷一は孝一の変身ポーズをじっと見ていたが、首を振った。 「違うよ。お父さん自身が、今度は本当に正義の味方に変身できるの?」 「えっ。」 孝一は思わず、雷一の顔を見つめた。雷一の顔は笑っていなかった。瞳の奥に白い光が見えた。それは静香(しずか)時恵(ときえ)の瞳に宿る光と同じだった。 「今度の戦いは、命がけの最終決戦になると思うよ。僕はお父さんと一緒に、悪霊をぶっ倒したいんだ。」 雷一は孝一の目をじっと見つめている。孝一は雷一がちょっと怖く感じた。雷一は自分を父親として認めるのか、見定めようとしている。孝一は父親として、今が正念場だなと思った。 「うん、できるよ。たぶん。いや、絶対。」 孝一は、自分に確認する様に大きな声で答えた。孝一は、急に膝ががくがく震えてきた。孝一は両手で膝がしらを押さえて、言った。 「雷一。宝来(ほうらい)神社に行く前に、ちょっとホームセンターに寄りたいんだけどいいかな?」 「うん。別に構わないけど、どうしたの?」 「新年を迎える前に、ちょっと買っておきたい物があるんだ。」 孝一は雷一の質問にはっきりとは答えずに、先にエレベーターに乗り込んだ。雷一はエレベーターのボタンを押すと、言った。 「お父さん。天国で見守ってくれているお母さんの為にも、頑張ろうね。」 孝一は、無言で頷いた。
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