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エネルギー
雷一は飛び乗った狛犬があんまり重くないので、思わず左肩を見た。狛犬は雷一の左肩に乗っているが、微妙に宙に浮いている。狛犬が乗っているというよりも、狛犬と雷一の左肩が一体化しているという感じがした。
雷一は左肩がほんのりと温かいのを感じた。以前、時恵ばあちゃんに貼ってもらった湿布の様な温もりだ。
「じゃあ、このまま山道を下って、国道に出ればいいんだね。」
雷一が左肩を見ると、狛犬が無言で頷いている。緊張しているようだ。
さっき、狛犬は今年で百十二歳だと言っていたが、人間で言うと何歳になるのだろうかと雷一は考えた。犬の一年は人間の七年ぐらいになるとテレビで解説していたのを思い出した。生まれて五年の犬は人間の三十五歳くらいになるという計算だ。狛犬も犬と一緒だと考えると、百十二を七で割ればいいのだろうか。
「えーと、百十二割る七はいくつだっけ」
雷一は暗算が苦手だ。今回は三桁だからよけい難しい。
「十六かな。」
狛犬がすぐ答えた。計算が早い。
「十六歳か。」
左肩の狛犬の顔をチラッと見た。人間で言うと高校一年生になる。
でも高校生が母親の事をあんなに、
『お母さん、お母さん』
っていうかなと雷一は思った。
甘えん坊の百十二歳かと思うと、雷一は何だか可笑しかった。
「もうすぐ国道に出るね。」
狛犬が声をかけてきた。車の走る音が段々大きくなってくる。あと三十メートルぐらい下ると国道に出る。
「結界を抜ける時、ちょっと衝撃があるかもしれない。」
狛犬が雷一の方を見て言った。雷一は間近で見る狛犬の顔が、少しこわばっているのがわかった。
「衝撃って?」
「結界はさっき上空で見せたように、薄い膜の様に覆っているから、そこを突破しようとすると僕たちを撥ね返そうとすると思うんだ。」
「じゃあ、どうするの?」
「僕に考えがある。」
狛犬は雷一に向かって微笑んだが、顔がこわばったままだ。その顔を見て雷一の顔もこわばってしまった。山道を下りて、国道の前まで来た。目の前にラップのような薄い膜が立ちふさがっている。雷一は今日こうやって目の前に結界が見えるのは、狛犬の霊力の影響だろうなと思った。なぜなら、今まで自分一人でこの森の近道を通り抜ける時には見えなかったのだから。
「じゃあ、これから僕の言うとおりにお願いします。」
狛犬は雷一の方を向いて、ペコリと頭を下げた。大きな両耳がダラリと下に落ちた。
「わかりました。」
雷一もペコリとお辞儀した。
「ううーん。」
狛犬は低く唸り始めた。徐々に唸り声が大きくなってくる。狛犬の唸り声に連動する様に結界の膜が震えだした。雷一の左肩がだんだん熱くなってくる。
「雷一君。気持ちを集中して、僕にエネルギーを送ってくれないか。」
「エネルギーを送るって、どうやって?」
「君の左肩に意識を集中して、気を送る感じかな。」
雷一は戸惑った。自分にできるだろうか。そもそも自分にエネルギーがあるのだろうか。
雷一の気持ちを見透かしたように狛犬が声を掛けてきた。
「大丈夫、君ならできるよ。僕が見つけた能力者なんだから。」
雷一が狛犬の顔を見ると、もうこわばっていなかった。碧い瞳の奥から強い意志を読み取れる。雷一を信じてくれている顔だ。雷一は何だかできそうな気がしてきた。狛犬が自分を頼る気持ちに応えてあげたかった。狛犬をお母さんに会わせたかった。
雷一は左肩に意識を集中した。そして自分のこの強い思いが、左肩から狛犬に伝わりますようにと願った。
狛犬の唸り声に低い重低音が重なってきた。結界の薄い膜の震えが大きくなっていく。雷一は自分の願い、いやエネルギーが狛犬に伝わっていくのを感じていた。
「さあ、進もう。」
狛犬が雷一の方を向いて促した。雷一は頷くと、結界に向かって歩き出した。
「結界の中に入ろう。」
前を向いたまま、狛犬が雷一を促す。
「わかった。」
雷一は頷くと、結界の薄い膜に右足を踏み出した。
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