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「…ぶぇくしゅんっ!」
さして可愛くもないクシャミが唐突に出る。古い木造の校舎なものだし、ふいに散ったホコリが鼻を刺激したか。
心做しか、板が軋むような音も耳に届けられ、やはりボロが原因なのかなと小首を傾げる。
『…む』
ふと、霞ヶ浦くんの方を見ると、いたく険しい表情で眉をひそめていた。一体どうしたのかと尋ねようとした時…、
『──伏せろっ!』
「えうっ!?」
言葉とも言えない驚きが口から飛び出るのと同時に、頭よりも体が脊髄反射で指示に従って動く。
と、その直後。何かが階段の踊り場の壁を破裂させ、ヒュン、という風切り音の後に、頭上を何かが掠めていく。
「……は?」
呆気にとられた私の目には、細く黒い…自分の髪がはらはらと散っていくのが見えた。
それを確認するのとほぼ同時に、壁を突き抜けた何かは階段下の階へと着地する。
その余波で、まるで重機にぶら下げている鉄球をぶち当てたような、けたたましい煙と破砕音が巻き起こる。
「……な、にが?」
…言葉が続かない。脊髄に氷を突っ込んだように、血の気が引いていく。私は恐る恐る、眼球だけを動かして辺りを見回す。
「な……」
──息が詰まる。私は自分の目に映る光景が、とても現実のそれと呑み込めずにいた。
「ナニアレェ!!?」
全身真っ黒の、人の形をした何か。まるで地面にいる影をそのまま引き剥がして膨らませたかのような化け物。
ヒトと違うモノがあるとすれば、両手脚の先端が肉厚な草刈り鎌を幾重にも並べたような形を取っていることだ。
「……ひっ」
何より、ゾッとするのは。黒塗りにしたのっぺらぼうの《口》に当たる部分が、鋸のような歯を見せ、妖しく歪んで吊り上がるのだ。
「まっ…て? なんなの、アレ…?」
『やつはタタリガミ。君たちで言う怨霊、というやつだな』
震えながら絞り出した疑問に、一歩前へ出る霞ヶ浦くんが答える。
『立てるな? ならすぐに逃げろ。死ぬぞ』
「───え」
告げられた言葉の意味が入ってこない。あまりの超常現象を前にして、脳が拒絶反応を示している。
「──っ!!」
そんな思考停止した頭へ冷水を浴びせるように、草刈り鎌の柄が伸びて、刃先が私目掛けて飛んでくる。
考えるよりも早く体が動く。が、踵が微かにめくれた床板に引っかかり、足を滑らせて尻餅をついてしまう。
しかし、運良く間一髪のところで目標だった喉元を外し、代わりに頬を掠めていく。
『──っ、平気か!?』
「…ん、大丈夫。かすり傷だから」
さっき壁をぶち破ってきたからわかるが、あいつは幽霊のくせにあれで実態あるものに干渉できるようだ。
切り傷から一筋の血が滴り落ち、その痛みが逃避しかけた現実に突き返させる。
「…考えてみれば、花ちゃんも私のことを触れるんなら、アイツもできて当然か…」
ふと、さっき話題に上がった件の黒歴史…もとい、幽体離脱した時の出来事を思い出す。
霧慧さん以外の人は知らないが、ここ最近の経験を見るに、幽霊たちは人に触れたり干渉できるらしい。
でも、私は幽体離脱しても悪寒を覚えさせる程度しかできず、物体に触ることはできなかった。
幽霊が生者にどこまで干渉できるのか、その辺には何が関係しているのかどうかは、今議論する時ではない。重要なのは、目の前の事態だ。
少なくとも、老朽化した校舎の壁や床板を、恰もシュレッダーに掛けるような勢いで塵芥にできるあのバケモンが、普通じゃないってことだけは確かだった。
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