助け船は泥舟か

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『へくちっ』  放課後。人気のないトイレに、可愛らしいくしゃみが響く。 「なんだ花、夏風邪か?」  興味本位で尋ねるのは、学校指定の制服とは異なる身なりをした青年だった。  彼の些細な質問に対して、ひょっこりと首を出し、ため息混じりに黒髪の少女が返す。 『そんなわけ無いでしょ、タカオくん。花ちゃんは幽霊だから風邪なんて引きませんよ?』  だろうな、と青年は肯く。その心内には、幽霊がパフェやクレープを大食いする話もそうそうないだろう、という考えもまた過ぎっていた。  それを知ってか知らずか、もうひとりの黒髪の少女は細目で睨む。 『ていうか、なんでこっち来ないんです? ビミョーに話しづらいんですが』 「…ハル。お前は男に女子トイレ入れと言うのか?」 『そんなの気にしなくたっていいじゃないですか〜、生きた女の子はいませんよ?』 「や、そういう話じゃないんだが…」  これ以上は話が脱線しそうだ、と危惧する青年はハルの言葉を無視して、彼女の隣にいる花へ質問を投げかける。 「んなことより、詳しい話を聞かせてもらおうか?」  向けられた視線をかわしつつ、開け放たれたドア一枚越しに声をかけられ、花はそれに応える。 『うん、ここから見えるあそこに向かってほしいんだ』  そう言われ青年は廊下の窓を、ハルはトイレの小窓から、それぞれ向こう側の景色へ目を向ける。  指差す方向には、まるで時代から取り残されたような、古ぼけた木造の建築物がそびえ立っていた。 『…うーわ、花ちゃんマジで言ってます? あからさまに?』  ハルの声色があからさまに一段落ちる。青年の方からでは窺えないが、表情豊かな彼女が相当渋い顔をしているとそれとなく察する。 「…おれにはお前たちとは違って、どうヤバいのかはわからん。だが、あそこにある旧部室棟から厭な気配が漂っているのはなんとなくわかる」  その上で、と前置きをして。青年はドア一枚越しからでもわかるように、普段とは声色を変えて発する。 「…花。そんなところにトーシロひとり放り込んだのか?」 『……それは』  微かに漂う怒気に、答えを口にしようとしたその時、ふいに足元が振動する。宙に浮いたふたりが首を傾げるなか、よろめく青年。 「……っ! 地震、か?」 『や、ちょっと違うかな…?』  ドアから半身をすり抜けて声をかけるハルは、青年にもわかるように窓から見える景色の向こうを指差す。  人差し指の先にある、件の古い建造物。そこから、地鳴りと共に土煙が立ち籠めていた。 「おい、どうなってる? 今、解体工事は絶賛中止中じゃなかったか?」 『…あー、これは』  意味ありげに呟く花の様子から、青年は今起きている状況をそれとなく想像する。 「…おい、ひょっとすると、ひょっとするぞ」  鏡を見なくとも、自分が険しい顔をしているとわかる。その自覚から、今すぐにでも向かおうと踵を返そうとする。 『わかった。花ちゃん、悪いけど、ちょっと先に行ってくる』 …が、それよりも早く。彼の表情から察知したハルは窓から身を乗り出すと、スイミングの要領で校舎の壁を蹴り、垂直方向に飛んでいく。  階段を降りていく必要のない彼女からすれば、目視できる距離ならば簡単にショートカットできるのだ。 「……あっ。くっそ、あのバカ! 先走んなっての…!」  一瞬、あまりの即決を目にし呆気に取られた青年は、悪態をつきながらも遅れてその場を後にする。 『…なーんか。かなり面倒なことになってない?』  その後ろ姿を、花は怪訝そうに見送るのだった。
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