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迷宮①
目を開けると、そこには白い天井があった。
「ああ!良かった!!」
突然掛かった声に、私は目をさまよわせる。
見ると左側には白衣を着た男性と、やはり白い服の女性。
そして右側には、驚くほど見た目の整った男がいた。
スッと鼻筋が通っていて、唇は程よく厚みがあり好感が持てる。
切れ長の奥二重の目は涼やかで、そのせいか少し冷酷にも見えた。
だけどその反面、髪はボサボサで無精髭も見える。
着ているスーツも何日も同じものを着ているかのように、たくさんのシワが出来ていた。
更には目の下にクマが出来ていて、顔色も悪い。
せっかくのイケメンが台無しね。
と、状況がわからないくせに心の中で思った。
「ここがどこかわかりますか?自分の名前が言えますか?」
白衣の男性が尋ねた。
白い部屋、白衣。
もう彼が医者で、後ろの女性が看護師だということはぼんやりとした頭でもハッキリとわかる。
だけど、私は医者の質問に答えることが出来なかった。
「ここは……あの……私は……」
そう……何もわからなかった。
今いる場所がどこかも、そして自分の名前さえも。
言い淀む私に、医者が言った。
「無理しなくていいですよ。頭を打っていますから、記憶があやふやなのかもしれない。後でもう一度検査しましょう」
「はい……」
消え入りそうな声で答えると、医者は右の男に声をかけた。
「また後で来ますので」
「はい。ありがとうございます」
男はスッと姿勢を正し、深々と医者に頭を下げる。
ヨレヨレのスーツなのにそうして立つと男の体格の良さと姿勢の良さが浮き彫りになった。
もともと風を切って歩くようなタイプの人なんだろう。
私とは正反対の……。
そう考えると、ふっと何かが頭に浮かびかけて、すぐに消えた。
医者と看護師は連れだって去っていき、病室には正体不明の男と私の2人きり。
この人、一体誰なんだろう?
そして、自分に何があったんだろう?
何もわからずに男を見ると、彼は近くの椅子を引き寄せて、私の左隣に座った。
「大丈夫か?何か、欲しいものはあるか?」
「いえ……別に……あの……」
「ん?」
男は更に近付いて、私の手を握った。
全く知らない人にもかかわらず、嫌悪感がまるでない。
それどころか胸が締め付けられる感じがした。
男は間近で見ると、本当に端正な顔立ちをしている。
一瞬問いかけたことを忘れてしまうほどの容姿に気圧されていると、今度は男がこちらに問いかけた。
「何があったか……覚えているか?」
その低い声のトーンに、少し既視感を覚えた。
だけど、やはりすぐに消え、果てしない靄が私の頭を覆う。
「ごめんなさい。何も……わからない。自分の名前も……何があったのかも……」
すると男は目を見開いた。
驚きか、怒りか、悲しみか。
どの感情かはわからなかったけど、あり得ない事態が起きている、そう認識はしたようだった。
「私の名前は?あなたは誰なんです?」
最低限必要なことだけ私は尋ねた。
今一番重要なことは、この正体不明の男のことだ。
病室に駆け付けるくらいだから、そんなに他人ではないだろうけど……ひょっとしたら兄だろうか?
いや、それにしては似てない……似てない?
何故そう思ったんだろう。
私は自分の顔すらわからないのに。
「君は……一色百合」
「いっしき……ゆり」
ゆり。
その言葉には懐かしさがあった。
親しい人からずっと呼ばれていたような安心感。
しかし反対に「いっしき」という名字の方にはある種の違和感があった。
違和感と少しの疎外感。
どうもしっくりこない、というような印象を受けた。
「あなたは?誰ですか?」
私の問いに、男はさっきよりもショックを受けたように押し黙った。
辛そうに目を伏せ、ゆるゆると首を振る。
そして、まるで何かに懺悔をするように俯くと改めて私の手をキツく握り直した。
「俺は……一色蓮司、君の夫。君は、俺の妻だよ」
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