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其の壱 苧環勝のケース⑩
何かの見間違いかと思い瞬きを繰り返す。だが、確かにそこにいる。白髪の少年は、その小さな体からおぞましい気配を放っている。
「お、お前! どこから入ってきたんだ!? 妻から離れろ!?」
俺の声は完全に上ずっていた。
(一体何が起こっている!? この少年は何者だ!? なぜ髪が真っ白なんだ!?)
俺の頭には様々な疑問符が浮かんでいた。ここ最近の一連の事件から、俺はおかしくなったのか。そもそも、こんな深夜に、俺の家に、異様な風貌をした少年がいるという事がおかしなことだ。現実離れしている。
(俺は悪い夢を見ているのか…?)
混乱している俺をよそに、少年はゆっくりとこちらを向いた。真っ白な髪と肌とは対照的に、漆黒の瞳がこちらを覗く。そして、またゆっくりと俺の方に手を伸ばした。
次の瞬間、俺の体は後方に吹っ飛んでいた。
「ガアッ!!!?」
腹部に、まるで車に跳ね飛ばされたような重い衝撃が走る。俺は潰されたカエルのような呻き声をあげ、そのまま受身も取れずしたたかに地面に打ち付けられた。
「っぐあああああああぁぁぁ!!!!!!」
衝撃と痛みに悶えていると、少年は不気味な笑みを浮かべながら一歩、また一歩と確実にこちらへ近づいてきた。
(この痛み、夢じゃない!? 信じたくないがこれは現実だ!!)
俺は地面に手をつき、体を確かめながらゆっくりと立ち上がる。全身がひどく痛むが、動かない箇所はない。立ち上がるついでに、すぐ近くにあった椅子を片手で持ち上げた。
(こいつが何かは分からないが、撃退するしかない!!)
覚悟を決め、叫び声を上げながら手に持った椅子を思いっきり振りかぶり少年の頭へ振り下ろす。
グシャアッ!!!
派手な音を立てて椅子が少年の頭部にめり込む。手には確かな手応えがあった。だが、椅子はもとより、少年には傷一つついていない。少年の皮膚は、まるで鋼鉄で出来ているように椅子の衝突をものともしていなかった。
少年がうっとおしそうに椅子に触れると、椅子はみるみるうちに朽ち果てていく。
「あ、ああ...」
眼前で起きた衝撃的な出来事に、俺は意味をなさない声を漏らすと、椅子の残骸を投げ捨てて、外へ向かって走った。
「う、うわ、うわあああああぁぁぁぁ!!」
絶叫しながら玄関を出て、暗闇の街を走り抜ける。後ろを振り返ると、闇に白く浮かび上がる影が見えた。
やはり、俺を追ってきている。
(間違いない、あいつの狙いは俺だ。もし妻も標的になっているなら、俺が帰ってくる前に危害を加えているはずだからな!)
絶叫して無様に逃げたのはフリだ。あの少年に力では適わない事を悟った俺は、逃げを選んだ。
(そして、あいつは俺を吹っ飛ばした時に笑っていた。それはつまり、他者をいたぶって楽しむ、そういう感情があるんだ! だったら無様に逃げる俺を放ってはおかないはず。危険な賭けではあったが、あいつは俺を追ってきた!)
そしてあの少年は常にゆっくりとした動作しかしていなかった。走り続けていれば追いつかれることはない、そう思いひたすらに走り続けた。ああいう手合いに距離の有利が働くかは分からないが、ひとまず視界から少年は消えていた。
走り続けた俺は、隣町の繁華街に来ていた。ここは所謂夜の街で、この時間でもそれなりに人がいる。流石に体力が尽き、息を整え歩きながら考える。"あの少年は何者なのか"。すでにある程度の当たりはつけていた。少し前に、妻と話した事を思い出す。
~~~
「ねぇ、勝は都市伝説ってあると思う?」
「都市伝説? 昔流行った口裂け女とか人面犬とかのアレか? なんでまた急に」
「パソコンで調べ物してる時に、たまたまそういう話をまとめたサイトを見つけたの!」
「お前、怖がりなくせに」
「怖いもの見たさってやつ! 最近の話は結構リアリティがあって…」
~~~
都市伝説。人々によって口伝された怪異や超常現象の話。信じられないが、あの少年の存在はそういったものに当てはまると思う。都市伝説は、様々な形で人々に伝えられ、畏怖されてきた。それ故に。
(そういう話には、その脅威を回避する術があることが多い!)
例えば、吸血鬼は十字架やにんにく、口裂け女はポマードや犬が弱点といったように、怪異には得てして何らかの回避方法があるものだ。ただ、あの少年から逃げ回っている間にその術を見出すことは、正直難しい。だが、怪異には定番とも言えるシチュエーションが存在する。
①一人の時に遭遇する
②夜(特に丑三つ時と呼ばれる時間)に遭遇する
今回の場合、そのほぼ両方が当てはまる。つまり、この両方を回避できれば、直面している窮地を凌げるのではないかと、そう考えた。
だから俺はこの場所に来た。深夜でも常に人がいるこの場所なら、あの少年も手が出せない...は...ず。
ふと、十メートル程先を歩くサラリーマンの集団とキャバ嬢が目に映った。そして、その隙間から覗く白く小さな影も。
「糞っ!!!」
吐き捨てるようにそう言うと、俺はまた走り出した。とにかく人がいる方へ走り続ける。少年の姿が時折見え隠れしたが、俺のところまでたどり着くことは無かった。
徐々に空が白んでいく。ビルの隙間からは、眩くも優しい太陽の光が漏れ出してきていた。長い長い夜がついに明けたのだ。手元の時計は、午前六時半を示していた。
そしてその頃には、少年の姿はもう見えなくなっていた。
俺は適当な路地に入り込むと、そのまま座り込んで動けなくなった。一生分の体力を使った気分だ。息を整えながら、再び考えをまとめる。
(潔子の一件と、あの少年の登場は偶然じゃない。どうやったかは分からないが、あれは潔子が俺に差し向けたものに違いない)
俺に対する潔子の呪い。それが不気味な少年を象って俺の前に現れた。それが真相だろう。今回は逃げおおせたが、放っておいたらまた襲ってくる可能性が高い。
「畜生、ああいうのって神社で除霊とかしてもらえるのか!?」
これからの事を考え、俺は頭を抱えた。だが、結局素人が考えても仕方ないことだと思い至り、疲労で震える両脚に力を込めて顔を上げた。
目の前には、あの真っ白い髪の少年が立っていた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」
今度は本当に絶叫する。少年はその小さな右手で俺の頭を掴むと、万力のように凄まじい力で締め潰そうとする。想像を絶する痛みに悲鳴と嗚咽が漏れる。
(い、痛い痛い痛い痛い痛い!!! 考えが甘かった!! こいつに俺が考える常識なんて通用しないんだ!!!)
少年の腕を掴み必死で抵抗するも、全く意に返さない。痛みに耐えかね、脳が意識を手放しかけている。その時、視界の端に少年の左手が見えた。何か紙切れのようなものが握られている。写真だ。しかも、その写真には見覚えがあった。
(あれは…俺と美心の写真!?)
結婚したての頃、妻と撮ったツーショットの写真だ。見間違えるはずはない。何故少年がこの写真を持っているのか、その意味を考えた時、俺の意識は急速に覚醒した。
(こいつの標的は、俺だけじゃない!! こいつは俺の後に美心もその手にかけるつもりだ!!)
少年の腕を握る腕に力が戻る。それだけは、それだけは絶対にさせない。
「お、お前が何者か知らんが、美心にだけは手を出させない!! お前が美心を手にかけようとしたら、俺がお前を殺してやるぞ!!!」
俺の渾身の言葉も、少年はまるで意に介さない。ただ、ぐにゃりと口角を上げて歪んだ笑みを見せた。
パチュン!!!
「…え?」
あたまのなかできいたことのないおとがひびく。しかいがまっかにそまる。
「あーーー」
おれのいしきはそこでえいえんにとぎれた。
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