其の弐 桃日絆希と篠懸才児のケース⑥

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其の弐 桃日絆希と篠懸才児のケース⑥

 次の日。  私は、再び篠懸探偵事務所に訪れていた。昨日はもう遅くなっていたので、あのあと少し話をしてから帰らせてもらった(というか帰らされた)。今日は依頼を始めるにあたっての手続き等々をするとの事だった。  煤けたビルの二階に上がると、やはり人の気配はない。他のお店は本当にやっていけているのだろうか? 一応やってはいるみたいだけど。フロアを奥に進んで突き当たりにある木製のドアをノックすると、「どうぞ」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「失礼します」  事務所に入ると、篠懸さんは窓の近くにある自分のデスクに座ってノートを眺めていた。部屋の中からはうっすらコーヒーと煙草の匂いが漂ってくる。篠懸さんは体は動かさず、目だけを私の方に向けてつまらなそうにこう言った。 「なんだ、お前か」 「なんだとは何ですか! わたしはお客さんですよ!」 「お客さんにも質と格ってもんがある。まあいい、そこにかけてくれ」 「むぅ~」  私は頬を膨らませながら入口側のソファに座る。  篠懸さんは、私を気遣ってか窓を開け部屋の空気を逃がした後、A4サイズの紙を数枚持ってきて私に手渡した。 「これは?」 「今回の依頼を受けるに当たっての契約書と誓約書だ」 「へぇ、探偵さんに依頼するのもこういうのが必要なんですね」 「探偵だからって何でもしていいって訳じゃない。探偵業法って言ってな、探偵業も法律で定められた基準みたいなのがある。その契約書はそういう内容を書いたものだ。ま、要はお互いの了承があって依頼を受けますってのを証明するためのものだ」 「は、はぁ」 「そんなに難しく捉えなくてもいい。例えばお前が持ってる携帯も、キャリアと契約する時に同じようなものを書いただろ? そういうものだと思えばいい。書き方は俺が教えてやる」  篠懸さんに書き方の指示を貰いながら、思う。篠懸さんはとても人だ。もう私の性格を把握しているようで、冗談や皮肉を交えながらも押さえるべきところはちゃんと伝えてくれる。そういうところは、やっぱり探偵なんだなと感じる。よくよく見れば、スーツをしっかり着こなしていて清潔感があるし、背は高いし、顔もまあまあイケて…… 「何だ、人の顔をジロジロ見て。二度は説明しないからちゃんと聞いとけよ」  絶対に本人には言ってやらないけど。そんなこんなで契約書も書き終わり、本格的に篠懸さんと依頼内容の話に移った。 「今回の依頼内容だが、白粉想代香という女の子の死の原因を突き止める、だったな」 「はい。よく想代香の名前を覚えていましたね」 「ああ。お前の話を聞いた後、俺なりに調べてみた。これを見てくれ」  篠懸さんは、私に開いたノートの一ページを見せてくれた。そこには、想代香の死の事が書かれた新聞記事の切り抜きと、ニュースで流れた内容をまとめたメモが貼り付けられていた。 「こ、これ! 昨日のうちに調べたんですか!? 仕事早すぎです!」 「いや、前から依頼とは別にこういう事件の内容をまとめてたんだ。まさか役にたつ時が来るとは思わなかったがな」 「確かに、想代香の事が書いてありますね...。少し読んでいいですか?」 「ああ」  私がその記事をまじまじと読んでいると、篠懸さんはコーヒーを淹れてくれた。 「想代香の死亡推定時刻は午後一時ごろ。この日は平日だから学校があるはずですよね?」 「そこは俺も気になっていた。外出しているから病気で休んだという訳でもなさそうだ。想代香という子は学校をサボるような子だったか?」 「いえ、ちゃんと学校に通う真面目な子でした」 「そうか...。なら取り敢えず考えられるのは、その日、そこで誰かに会う約束をしていた可能性があるって事か」 「学校でいた時に何かあった可能性は?」 「それも無くはないが...。気を悪くしないで欲しいが、お前、その子の遺体を見たか?」 「……見ました。想代香が死んだその日に病院で」 「その子は"制服"だったか、"私服"だったか、覚えてないか?」 「...確か私服でした」 「やっぱりな。だとすれば想代香という子は、その日サボるべくして学校をサボった。そして、自分の意志で公園に行き"何者"かと会った、しかもその子が知っている人物とだ」 「何でそこまで言い切れるんですか?」 「ここを見てくれ。遺体の状態について書いてある。凶器で心臓を一突き。それ以外の外傷はないときている。これは、その子が抵抗をしなかった事を意味している。もし見知らぬ人物がいきなり襲いかかってきたら、普通は反射で手が出るんだ。それがないってことは、その子の見知った人物の犯行である可能性が高い」  私は篠懸さんの推理を聞いて目を丸くしていた。すごい。たったこれだけの情報でここまで分かるなんて。私のそんな心持ちを察したのか、篠懸さんはただ、と続けた。 「このくらいの事は、当然警察も把握しているはずだ。それでも犯人を特定出来なかったとすると、そこによほどの事情がある」 「よほどの事情...?」 「凶器と目撃証言だよ。これが全く見つからなかったから、警察もお手上げ状態なんだ。まず凶器だが、人の胸の辺りに拳大の穴を空ける凶器なんて俺は見当もつかない。相当でかい装置か何かじゃないと物理的に無理なはずだ。次に目撃証言だが、第一発見者がその子を見つけた時には既に息を引き取っていた。これが午後四時頃。時間帯もあって、この間に人通りはほぼ無かったんだろうな。結局犯人らしき人物を見たという人はいなかったそうだ」 「つ、つまり...?」 「これ以上は、俺もお手上げって事だ」 「えぇ~!!?」 「まあ落ち着け。ここからが俺の仕事だ。あとは殺害の動機だが…。これは前に聞いたように思い当たる節はないんだろ?」 「はい。想代香が他人に殺されるような事をしたとは思えません」  はっきりとそう言い切れる。想代香の事は、誰よりも私がよく知っているのだから。でも、そのおかげで余計に想代香の死の理由に遠ざかっている気がする。少しぬるくなったコーヒーを飲み干して、そんな迷いを紛らわせた。 「分かった。ともかく、まずは手がかりを探さないとな。お前も心当たりがあったら教えてくれ」  篠懸さんは私と自分のカップを持つと、ツカツカと洗面台の方へ歩いて行った。 「あ、わたしがやりますよ!」 「お前は一応客人だ。いいから座って待ってな」 「あ...」  私は、なんだかやるせない気持ちになって立ち尽くしていた。篠懸さんが探偵として優秀な人だというのは、これまでのやり取りで十分過ぎるくらい分かった。でも、"私自身"が、何も出来ていない。さっきなんか、ほとんど篠懸さんの話を聞いていただけだ。 (私がやらなきゃいけないって決めた事なのに...。このままじゃ最後まで篠懸さんに頼りっぱなしになってしまう。私に出来る事も、ちゃんと見つけなきゃ!)  そう決意を新たにした時、開けっ放しになっていた窓から一陣の風が吹いた。肌寒い空気が部屋に駆け抜ける。ノートのページがペラペラと音を立ててめくれ、篠懸さんのデスクに置いてある紙が数枚地面に舞った。  私は急いで窓を締め、資料をデスクに戻して再びソファに座った。私に出来ることって…こんな事なの!? 神様!?  心の中で私に小さな仕事を与えた神に訴えながら、篠懸さんがまとめたノートのページを戻す。その際に、なんとなく他の事件について目を通していると、不意に衝撃が走った。 「こ、これ…!」  私は直ぐに篠懸さんを呼んだ。
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