其の弐 桃日絆希と篠懸才児のケース⑲

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其の弐 桃日絆希と篠懸才児のケース⑲

「ううっ、寒っ!」  首元に巻いたマフラーを口元にあてがう。もう十一月も終わりを迎えようとしていた。本格的に気温が下がってきて、昼間でもかなり肌寒い。時折吹き抜ける風は、私の体を震わせるには十分過ぎるくらい冷たかった。  私はスイートピーの花束を手に、想代香のお墓参りに来ていた。小高い丘に広がる墓石群の中の一つに、想代香は眠っている。お墓参りのシーズンではないためか、人気(ひとけ)は全くない。  スイートピーは、生前の想代香が好きだった花だ。薄桃色の小ぶりな花びらが風に揺れて、優しい甘い香りを放っている。スイートピーは本来春の花なのだが、お花屋さんに行ったらすんなり手に入れることができた。そういえば、春になったらスイートピーの花畑に行こうって想代香と話したっけ。  懐かしい記憶に想いを()せながら、墓石の群れを横切っていく。ここに来るのも、もう何度目か。最初は内香(のぶか)さんに付き添ってもらっていたが、想代香のお墓の場所もすっかり覚えてしまったので、今では一人で来ることが多い。あ、あったあった。 「やっほ、想代香」  想代香の眠る墓石に声をかける。返事が返ってこないのは分かってるけど、それでも話しかけずにはいられない。もしかしたら、私の声が届いてるかも…なんて思ったりして。  花束を新しいものに取り替え、持ってきた手ぬぐいでお墓をきれいにする。その間に、これまでの事を話した。私にきっかけをくれたおじさんの事、篠懸さんとの出会い、そして"あの少年"の事も。 「わたし、あの子を前にした時怖くて怖くてしょうがなかったよ。想代香は怖くなかったの?」 「そっか、怖くないわけないよね」  当然、そこには誰もいないし、何の声も聞こえない。傍から見たら、私が独りでしゃべっているように見えるだろう。実際そうだし。でも、私にだけは分かる。聞こえる。想代香の想いが、その声が。 「それでさ、気がついたら篠懸さんに服を脱がされてて...」 「そう! その時の慌てっぷりったら、おかしくて、おかしくて...」  誰もいない墓地に、私の笑い声だけが(むな)しく響く。 「アハハハ......はぁ...想代香...」  じわり。  私の目から熱いものがこみ上げてきた。 「何で...何でわたしなんかのために死んじゃったんだよ...」  ぽたり、ぽたり。  (あふ)れ出した"それ"は、私の頬をなぞり地面にシミを作っていく。私はそれを(ぬぐ)うこともせず、両の手をぎゅっと握り締めた。 「想代香のバカ!!!!!!!!!!」  私は想代香のお墓に向かって思いっきり叫んだ。心の器から溢れた感情と涙は、留まるところを知らない。 「わたしがっ! わたしが想代香が死んでまで、あの人たちに恨みを晴らすことを望むと思ったの!!? だったら想代香はバカだ!! 大バカだ!!」 「そんなの、そんなのもうどうでも良かったんだよ? わたしはただ、想代香にそのことを打ち明けて、もっと深い仲になりたかったの。お互い何でも話せるような、そんな仲に...。ただ、それだけだったのに...」  段々弱々しくなっていく声。怒り、後悔、自責、そして悲しみ。様々な感情が綯交(ないま)ぜになった心を保てなくなった私は、とうとうその場に崩れ落ちた。両手で顔を覆うと、指の隙間から涙がこぼれ落ちていった。 「わたしは...グスッ...想代香と一緒にいられれば、ただそれだけで良かったんだよ」  それだけ言うと、私は想代香のお墓の前で嗚咽(おえつ)を漏らした。想代香、ごめんね、私のせいで。想代香が死ぬことはなかったのに、本当に、本当に...。 ザアアァァァァァァ...!!  その時、一陣の風が吹いた。木々の揺れる音と共に、あるが私の鼓膜を揺らす。 『ごめんね』  はっと顔を上げる。今、確かに聞こえた。心地よく耳に響く聞き覚えのある声。間違いない。想代香の声だ。 『今まで、ありがとう』  風が届けたその声は、私の心に強く、深く響いた。先程までの独り語りとは違う、本物の想代香の声。それは、寂しくも、温かい、私のかけがえのない親友の声だった。 「そよか、想代香あああああぁぁぁぁぁ!!!」  私は、とうとう声を上げて泣き崩れた。 ◇ 「そう...。想代香はそんな事を」 「はい、確かに聞こえたんです。わたし、変なこと言ってますか?」  内香さんは首を横に振った。 「絆希ちゃんに聞こえたなら、それが想代香の本心だわ」  内香さんはにっこりと微笑んだ。その表情には、懐かしい想代香の面影がある。やっぱり親子なんだなぁ。 「内香さん、わたし」 「?」 「わたし、想代香が死んでから、ずっとずっと何かに(とら)われていたような気がして...。それは想代香が大切だったからこそなんですけど」 「うん」 「でもこれからは、前に進みたいと思います。想代香の分まで、これからの人生を、もっともっと大事にしていきたいです」  むぎゅ。 「わ」 「ふふ、それでいいのよ、絆希ちゃん」  内香さんの胸元に抱き寄せられてしまった。そのまま優しく頭を撫でられる。少し恥ずかしいけど、心地よい。しばらくその感覚を味わった後、内香さんに声をかける。 「内香さん」 「なぁに?」 「お腹、すきました!」 「うん! ご飯はもう準備してあるわよ!」  内香さんが作るご飯は、やっぱり美味しかった。
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