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其の壱 苧環勝のケース④
家に帰る頃には、空は茜色に染まっていた。妻は俺が約束を破ったことにぶーたれてへそを曲げていたが、代わりに行きつけの中々予約が取れないレストランに連れて行くことを伝えると、何とか機嫌を取り戻してくれたようだった。
「着替えと化粧済ませてくるから、ちょっと待っててね!」
そう言うと、そそくさと寝室に向かっていった。待っている間に、携帯を操作して天竺にメッセージを送る。内容は、潔子との面会の段取りについてだ。
『今日はありがとう。やっぱり俺からは連絡を取りづらいから、間を取り持ってくれると助かる』
返事は直ぐに返って来た。
『りょ』
『アザミには私から伝えておく! しばし待たれい!』
やれやれ、頼もしい限りだ。そうしていると、準備を終えた妻がにょきっと顔を出して携帯をのぞき見ようとして来た。はっとして思わず画面を隠していまう。
「誰に連絡してるの~?」
「今日会った友達だよ。今困ったことがあるみたいで、相談に乗ってたんだ」
咄嗟に嘘をついた。相談に乗ってもらったのは俺の方だが、それを妻に伝えたらその内容を聞き出そうとしてくるに違いない。
(余計な心配をかけさせる事になりかねないからな)
いずれ全てが終わったら打ち明けようと思うが、今はまだその時ではない。認めたくはないが、自分の蒔いた種でもあるので極力自分でなんとかしたい。
「大丈夫、美心に心配はかけさせないから」
「本当かな~?」
妻はやや不満げな様子だったが、深く追求はしてこなかった。やはり、よく出来た妻だ。頭を優しく撫でてやると、少し気分が良くなったようだった。そのままレストランへと向かい、食事をとる頃にはすっかりいつもの様子に戻っていた。
「ねぇ、勝は都市伝説ってあると思う?」
「都市伝説? 昔流行った口裂け女とか人面犬とかのアレか? なんでまた急に」
「パソコンで調べ物してる時に、たまたまそういう話をまとめたサイトを見つけたの!」
「お前、怖がりなくせに」
「怖いもの見たさってやつ! 最近の話は結構リアリティがあって…」
どういう流れで見つけたのか、今日は都市伝説について熱く語ってきた。食事中にする話ではないと思ったが、妻は一度話し出すと止まらない性格なのでこういう時は聞き手に徹するようにしている。
妻の話をひとしきり聞いていると、胸ポケットに入れていた携帯が震えた。最早定番となった鬼メールの嵐が始まるかと思ったが、それ一回きりで追撃はなかった。そういえば、今日は携帯が大人しい。できれば毎日こうであって欲しい。
(多分、天竺からの連絡だな)
思い当たる節はそれしかなかった。妻にお手洗いに行くと伝え、席を立つ。トイレの個室に入り携帯を確認すると、やはり天竺からのメッセージが来ていた。
『アザミと連絡がついた。来週土曜の午後一時、場所はAnemoneでどうかって』
Anemoneは学生時代によく通っていた喫茶店であり、潔子と最後に喧嘩別れした場所でもある。なるほど、その場所でもう一度やり直したいということか。実に潔子らしい、浅はかな考えが透けて見える。勿論、俺に潔子とやり直すつもりは一切無い。俺の主張はただ一つ、この迷惑な行動を辞めてもらう。ただその一点だ。
『分かった、それで構わない。潔子にもそう伝えてくれ』
返信を返すと、深く深呼吸をした。
(後は、当日潔子がどのような行動を取るかだ。事の次第によっては警察沙汰に発展しかねない。念の為にボイスレコーダーを調達しておこう)
顎に手を当てひとしきり考えを巡らせた後、妻をほったらかしにしていることを思い出し、慌てて席に戻る。だが、時すでに遅し。妻は頬を膨らませてこっちに目線を合わせてくれない。妻のご機嫌を取る作戦の方は失敗に終わった。
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