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其の壱 苧環勝のケース⑥
潔子と会った次の日。
妻は珍しく外出しており、久々に一人の時間を過ごすこととなった。昨日のことがあった手前、家にいても落ち着かず散歩に出かけた。昨日とは打って変わって今日は良い天気だ。
あれから、潔子は沈黙を守っている。ひどい別れ方になったが、これで俺に愛想を付かせて新たな道へ進んでもらいたいと切に願う。当て所なく歩いていると、近所の公園にたどり着いた。滑り台や鉄棒などの遊具がある、どこにでもあるような公園だ。昼間だというのに人気のないところが哀愁を誘う。今の俺にはぴったりの場所かもしれない。
(少し休んでいこうかな...)
公園の中に入ると、先客がいた。ベンチのすぐ横で、制服を着た女の子がうずくまっていたのだ。何事かと思い、思わず声をかけた。
「君、大丈夫かい?」
うずくまっていた少女がこちらを向いた。その目は赤く腫れていて、頬には涙の跡が伺えた。
「あ、すまない。余計なお世話だったかな?」
少女は首を横に振ると、すくっと立ち上がって一礼した。
「すみません、ご心配おかけしました」
「いや、いいんだ。何かあったのかい?」
「いえ...あの...あまり気持ちのいい事ではないので...ご迷惑かと」
きっとこの少女にとって尋常ならざる事があったのだろう。そのまま立ち去っても良かったのだが、少女の泣き顔が昨日の潔子とダブって見えた。
「こんなおじさんで良ければ、聞かせてくれないかな? 話すだけでも気分が晴れることもある」
「いいんですか? じゃあ...」
俺は少女の話を聞くことにした。正直に告白すると、そうする事で昨日自分がした行いに対する罪悪感を、少しでも晴らしたかった。ベンチに座りお互い自己紹介をした後、少女は語り始めた。
聞くところによると、少女はつい先日、まさにこの場所で親友を失ったのだという。自分が想像していた以上に重たい話だ。多感な時期に近しい人を失うのは、相当にショックなはずだ。
「友人はいつもわたしの事を気遣ってくれて、本当に良い子でした。そんな子が、何で死ななければならなかったのか、わたしには分からなくて...」
少女の目には涙が浮かんでいた。友人の死に対して、ここまで深く悲しみ、それを今も受け入れられず嘆く少女。俺の目には、それがとても尊いものに見えた。自分は決して立派な人間とは言えないが、一人の大人として真摯に受け答えをしなければならない。そう思った。
「人は、いつか必ず死ぬものだ。皆、それは分かっているはずだけど、いざその場面に出くわした時、素直に受け入れられる人は少ない」
「…はい。わたしもそうです」
「君の友人がなぜ死ななければならなかったのか、私はその問に答えることはできない。その答えを見つけることが出来るのは、君だけなんだ」
「わたしだけ…ですか?」
「そう。生きていれば、いつか必ずその答えにたどり着く日が来る。だから一生懸命に生きるんだ! 君の友人も、それを望んでいるはずだ。そのくらいは、私にも分かる。君もそう思うだろ?」
「…っはい!」
柄にもなくクサい事を言ってしまったが、少女にはその言葉が響いたようだった。それから少し話をした後、少女は瞳に溜まった涙を拭い、よし、と気合をいれて勢いよく立ち上がると公園の入口まで一気に走っていった。
「おじさん、ありがとー!」
少女は大きな声でそう言いながら俺の方に手を振った後、また何処かへ走り去っていった。
「なんともさわやかな子だ。彼女の爪の垢を煎じて潔子に飲ませたい」
そんな冗談が言えるくらいには、俺の心も晴れていた。
◇
家に帰り、しばらくして妻が帰ってきた。俺は、妻に潔子の事を話そうと決めた。さっき自分が言った事ではないが、人間いつ何が起こるか分からない。話せる事は、話せるうちにと思ったのだ。
「美心、ちょっと話があるんだが…」
「ごめんなさい、今は気分が悪くて、また今度にして」
それだけ言うと、妻は寝室に閉じ篭ってしまった。
明らかに様子がおかしい。何かあったのかと聞いても、何もないの一点張りだ。妻は中々頑固なところがあるので、こうなったら話してはくれないだろう。一旦それ以上追求はせずリビングに布団を敷いて寝ることにしたが、ただならぬ妻の様子に、俺は一抹の不安をよぎらせていた。
そして、その予感は最悪の形で的中することとなる。
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