秋の雨

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秋の雨

 どんな雨風にも負けない様に、頑丈に建てた家だったが、それでもいつかはガタが来る。客間の天井の雨漏りを修理し終えると、劉徳は注意深く脚立を降りた。今の所はこれで全部だ。 「全く、この家も年を取ったもんだ」  営んでいる茶房の方へ顔を出すと、食事を終えて帰ろうとしている常連と鉢合わせた。船大工をしているその男は、よく日に焼けた顔に苦笑いを浮かべていった。 「雨漏りかい? そりゃあ仕方ねえな。もう2週間も降ってんだから」 「河の方はどうだね」 「仕事が増えるばっかりさ。じゃ、ご馳走様」  男が戸を開けると、むわっとした湿気と強い雨音が飛び込んでくる。まだまだ止みそうもなかった。  秋の長雨は恒例だが、こんなに強く降り続けるのは珍しい。妻が後ろでため息をつく気配がした。 「あなたも食事にされますか?」 「いや、後でいい。シンが戻ってきたら一緒に食べるよ」 「ああ、そうだ、手ぬぐいを出しておかないといけませんね」 「頼むよ」  この町は交通の要地だ。特に運河の近くには、船でやってくる商人達を迎えるための宿屋や大きな食堂が多い。困りごとがあれば手伝ってくるようにと、劉徳は朝からシンを使いに出していた。まだ帰ってこないということは、やはりあれこれ頼まれごとをしているのだろう。もう少し待って帰ってこなければ、自分も様子を見に行ってやらねばなるまい。  シンを養子に迎えてから、もうすぐ丸二年が経とうとしている。秘かに病を患っていた彼の父は、冬を超えることが出来ず、客間で息を引き取った。すでに母も亡くしていたシンの悲しみ様は見ている方もつらいものがあったが、葬儀を終え養子となってからは、少しずつ笑顔を見せるようになった。この町にもすっかり馴染み、最近ではもう知らない人の方が少ないだろう。都育ちの品を保ったまま、近頃ぐんと背が伸びた彼のことを、あちこちの娘が噂していると聞いた。 「父様、母様、ただいま帰りました!」  勢いよく戸が開いたと思うと、濡れネズミになったシンが飛び込んできた。 「お帰り、ずぶ濡れじゃあないか。お前、うんと大きな手ぬぐいを持ってきてくれ」 「待って父様、母様も。二人にお願いがあるんだ」 「お願い?」  シンはもと来た方向を指さして言った。 「さっき河で、大きな船がひっくり返ったんだ。みんな投げ出された」 「ええっ」  この雨で水量が増え、波が立ったのだろう。似たような事故は聞いたことがある。 「漁師さんが網を投げてくれて、みんな引き上げたんだけど、男の子が一人気を失ってて。連れの人もいないし、うちに連れてきて介抱してあげたいんだけど……いいかな?」  劉徳は妻に湯を沸かすように言うと、すぐにシンとともに雨の下へと飛び出した。  シンの言う「男の子」は、劉徳が思っていたよりもう少し大人だった。二十歳にならないくらいだろうか。小さな軒下に寝かされ、青い顔でぐったりしているが、呼吸は落ち着いていた。一見細身だが骨格はしっかりしていて背丈もあり、老人と少年では抱えられそうにない。胸には大きな荷物を二つも抱えていて、これまたかなり重そうだ。  結局、知り合いの息子を呼んできて背負ってもらうことにした。二人はそれぞれ彼の荷物を抱え、止まない雨の中を急いで帰った。 「悪かったな、雨の中呼びつけて。親父さんにもよろしく言っておいてくれ」 「なんの、これくらい。しかしこいつもラッキーだったな。おいシン、こいつが起きたら目いっぱい褒美をねだれよ」 「そんなことしないよ」 「荷物も大きいし、金持ちの息子かもしれないぞ。もしそうだったら知らせてくれな。じゃ、俺は戻るよ」 「ありがとう」  夫人は青年の濡れた着物を手早く脱がせ、湯に浸した手ぬぐいでその体を拭いた。引き上げられた時のものか、青年の体には無数の傷がついている。いくつか大きな傷もあり、しばらく血がにじんでいた。  青年が目を覚ましたのは、その日の夜だった。 「起きないで! 荷物はここだよ!」  シンの声にはっとし、寝る支度をしていた劉徳と夫人は客間へ向かった。   「気が付かれましたか。シン、そんなに押さえるんじゃない」  ほとんど覆いかぶさるように青年を抑えつけていたシンをはがすと、まだ青白い顔が呆然とした表情でこちらを見た。 「あの……こちらは」 「ここは河西の町です。船がひっくり返ったのを覚えておられるかな」 「ああ……俺、投げ出されて……」 「そうそう。体はどうです? 腹は減ってないかね?」 「全身、痛くて……腹はすごく減ってます……」  腹が減っているなら、まあ、とりあえず大丈夫だ。  夫人が粥を食べさせてやると、顔色も大分ましになった。よく見ると、この辺りではあまり見かけない、彫りの深い顔立ちをしている。すっきりした都顔のシンとは対照的だ。  食事がすむと、青年は「劉奇」と名乗った。 「おや、ご縁だな。うちと同じ苗字だ。年は?」 「今年で十七になります」 「そうか。シンの三つ上だな。こっちはシン、うちの倅です」  青年が視線を向けると、ずっとそわそわしていたシンはぴんと背筋を伸ばした。 「シンは幼名です。劉方といいます」 「ああ、そうだった、すまんすまん。この子が君を見つけてきたんだよ」 「そうでしたか。本当にありがとうございます。荷物まで持って来てくれて。これが流されていたら、もう一度河に飛び込むところでした」 「失礼だが、その荷物は?」 「両親の遺骨です」  やはりそうか。隣でシンがさっと俯いた。 「2年前、2人とも流行り病で亡くしました。故郷が南の町なので、そこに墓を立てたくて」 「成程、孝行者だ」 「とんでもない。……俺だけ生き残ってしまいましたから」 「一緒に死んでしまうよりよっぽど孝行だよ」 「……それに、こんなに人様にご迷惑をおかけするなんて」 「そんなことは気にしなくていいんだ。さ、今夜はもう遅い。旅の疲れもあるだろう、まずはお休みなさい。シン、こら、泣くんじゃない。お兄さんが困るだろう」  こらえきれずしゃくり上げたシンに、泣きそうになっていた劉奇は却って頬を緩めた。 「優しいんだな、ありがとう」 「いっ、い、いいえ……」 「旦那様、奥様、ご迷惑をお掛け致します。この御恩は必ずお返しします」 「ゆっくり養生しなさい」 「おやすみなさい、明日またお粥を持って来ますからね」 「はい。お休みなさい」    翌朝、大きな傷が膿んで熱を持ち始め、劉奇はしばらく起き上がることが出来なかった。寝込んでいる間に秋は過ぎ、また厳しい冬が忍び寄る。劉徳は無理に発とうとする彼をなだめ、冬の間この町に留まらせることにした。彫りの深い顔立ちは、この町では人目を惹く。シンがいつもまとわりついていることもあって、彼はすぐに町中の噂になったのだった。                    
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