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十二頁 猫 伍 『闇の中へ』
十二頁
猫 伍
『闇の中へ』
し、視界が揺れている。ね、猫の身に何が起こっているのか?
「あぁぁぁあ、へ?」
眼前には、め、女神、と兎咲と天羽。あれ、わんちゃんは?
「犬養泣いてたね。まぁ、憐れに泣いてたね」
女神の艶々とした声で、しっかりと目覚める事が出来た。
「へ? わんちゃん泣いてたの? 何で?」
わんちゃん何か辛い事あったのかな? まぁ、猫には関係の無い事だけれど。
「あんたが暴露しちゃったからだよ。あんた達もう友達には戻れないよね」
はぁっはぁ。め、女神と普通に会話が出来てる! 嬉しい。
わんちゃんと友達に戻る? そもそも友達って程でも無いんだよ。
「犬養さん。本当に傷付いてたみたい。大丈夫かなぁ……」
ヤカンを鳴らすなよクソ天使が! お前の声はピーピー鳴って頭が痛くなるんだよ。
「自業自得だとも思うけど、佑羽がそう言うなら心配になってくるねぇ。猫宮さん? 追いかけてあげなよ」
誰を?
「何の話しですか?」
猫は、普段から現状を把握する能力が欠けていた。
「犬養さん。泣いて走り去っちゃったから、追いかけてあげて欲しいなぁなんて、へへっ」
またわんちゃんの話しか? 記憶が無いので分からない。猫は告白したんだよねぇ? なのに、何故、主役はわんちゃんなのか? 猫の告白への返事はしてくれないのかなぁ?
あと、天羽よ、お前に指図される筋合い等無い。お前には兎咲という女との仲を取り持ってやっただろう? 今後無いよ? お前の様な貧弱で、幸の薄そうな女を好いてくれる奴と出会う事なんて。
猫が、引き合わせてやったんだよ。お前が女神に言い寄って迷惑を掛ける前にね。あの女神を前にしていたら、誰だっておかしくなる。身の程を弁えず、告白などしたりするのだろう。あっ、猫もそうか。
まぁ、取り敢えず、振られて辛い思いをさせない為に猫は動いてるんだよ。だから、お前もいい加減、猫の為になる事をちょっとでも言うんだよ!
「別に、わんちゃんを追い掛ける義理なんて無いんだよ」
小刻みに震えている天羽に言ってやったんだよ。腕を掴まれて嬉しそうにしてた兎咲が気持ち悪かった。
「追い掛けてあげなよ! 可哀想じゃん」
「はい! 追いかけます」
考える間もなく返事をしてしまったんだよ。それほど、女神の言葉は偉大なんだよ。
……
嫌なんだよ。離れたくないんだよ! 女神と共に居る空間を、もっと味わっていたいんだよ!
「はい携帯持って立って、さよなら」
わ、別れ際にさよならと言ってはいけないルールをエヴァが作ってくれたのに、女神は簡単に約束事を破るんだよ!
「わ、別れ際に——」
「早く行きなよ! 追い付かなくなるよ!」
振りでも無かったんだよ。残念ながら、消えたわんちゃんを探すしか無かった。
「あ、あ、さよなら…」
名残惜しいものの、女神の居る教室を後にした。学校の校門を出た所で、わんちゃんに電話を掛けてみた。
だって、何処に居るかも分かんない人を探すなんて面倒臭いんだよ。
そこで、電話に出なければ帰って、電話には出たけど来なくていいなら帰って、来て欲しいなら行かないとかなぁとは思っていた。
電話はすぐに、留守番電話サービスに繋がれた。圏外と言っていたし、猫に出来る事はもう無いんだよ。
……
圏外?
あれ? 最近は地下鉄の中でさえ電波が通るのに、圏外か……
猫は、仕方なく蛇喰商店街まで歩を進めた。
蛇喰商店街入口、と堂々と書かれた門を潜り、暫く歩いていると、前回の様に雨が降り始めた。取り敢えず傘を、と思った所で、わんちゃんがびしょ濡れになって泣いている姿を目に収めた。
近寄って手を取るまで、わんちゃんは猫の気配にすら気付いて無かったようだ。
「ヒィィィィィィイ」
「わんちゃん! こっちに来るんだよ!」
あの日、小鳥と立ち寄った廃墟へとわんちゃんを連れて行った。以前の様に上手いこと傘を貸してくれるだなんて思ってはいなかった。
でも、このまま野良犬の様に、雨に打たれて弱っていくわんちゃんを見たくは無かった。
「猫宮、あんた……」
わんちゃんはドブネズミの様に濡れていたので確かでは無いのだが、猫が自発的に探しに来たのだと勘違いして、泣いていた様に思う。
猫は、何も言わず、悟った様な表情を浮かべた。声に出すと、そんなに熱い想いで来た訳じゃ無い事を見抜かれそうで怖かった。
「おやおや二回目だねぇ。風邪引かない様にねぇ」
「ヒィィィィィィイッ!」
初めてのわんちゃんは、悲鳴を上げ、体勢を崩して尻持ちを着いた。
「い、いつも助かるんだよ。お婆さん」
傘は前回同様一つしか貰えなかったのだが、バスタオルを一枚くれた。猫はあまり深く考えず濡れた身体を拭いて、わんちゃんを起こしてそのバスタオルで身体を拭いてやるのだが、尻持ちを着いた時に泥まみれになっていて、ここまで汚くなってしまったんなら、もう拭かなくてもいいんじゃないかな? と思ってしまった。
傘を差して、歩こうと促すのだが、わんちゃんの震えが止まらない。
「あぁぁぁぁぁぁぁあ、な、七不思議だ。蛇喰商店街の七不思議だぁぁぁぁぁあ」
わんちゃん、何か知ってるのかな?
「どうしたの? わんちゃん」
「七不思議なんだよぉ! 傘を貸すお婆さんっていう、七不思議なんだ!」
でしょうね! ってか、七不思議の内容知ってるのか!
「後は、どんな七不思議があるの?」
「とある区間だけ降り続ける雨、傘を持っているのに差さない少女!」
傘を持ってるのに差さない少女って、なに? ちゃんと傘を差した方が良いんだよ。
「わんちゃん何でこんな所来たの? この商店街は、呪われてるんだよ?」
「いや、何も考えずに歩いてたらこんな所に居た……」
可愛いっ、来るつもり無かったんだ? 勝手に怖い所入って勝手に苦しんでたんだ? わんちゃんも可愛い所あるんだなぁ。
「わんちゃんの携帯が圏外だから、ここに居るって分かったんだよ」
「えぇぇぇえっ?」
わんちゃんはすぐさま携帯を見て、圏外になっているのを確認した。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
どう考えても異常な反応だった。
「ど、どうしたのわんちゃん? 気味が悪いのだけれど……」
「じゃ、蛇喰商店街の七不思議は、全て知ってしまうと殺されるんだ」
「こ、殺されるって、誰に!」
「だ、誰かに……」
だ、誰かに! なにそれ? その人は何故そんな事をするの? もし、していたとしたらもう捕まってるんだよ。
「そんな、どうやって殺すんだよ?」
「た、多分、呪いとかで……」
やれやれ、わんちゃんはいつもいつも、何を言っているのやら。
「呪いを使える人なんて居たら、この世の中狂ってしまうんだよ」
猫は、何かを忘れていた。
「あ、あぁあ、あれ!」
わんちゃんは目を血走らせて叫んだ。
「えっ? どうしたのわんちゃん?」
わんちゃんは下ろしていた手をゆっくりと上げて指をさした。猫はその指の方向を辿る。
「あっ、あっ、あっ、あれ! あれあれあれあれアレェ! アレェェェェェェエ?」
うるさいなもう。いつまでもトリップしていないで冷静になるんだよ。呪いだとか何だとか、わんちゃんもそっち系の人だったのか。
あれ? わんちゃんも?
猫は起きた出来事をちょいちょい忘れてしまう癖があった。なので、その子の存在をすっかり忘れてしまっていた。
さした指の方向を見ると、小鳥が、傘を持っているのにも関わらず、雨に打たれながら軽やかなステップで回っていた。
「ニィィィィィィィィィィイッ!」
猫は、悲鳴を上げそうになったのだけれど、手で口を押さえて、何とか叫びを漏らさない様にした。しかし、全身に鳥肌が立ったときに、ブゥワッッというけたたましい音が鳴った様な気がして、発狂しそうになった。
「踊ってる踊ってる踊ってる踊ってる踊ってるぅうううう?」
わ、わんちゃんには静かにして欲しいんだよ! ジョジョかと思う程連呼するんだよ!
「わ、わんちゃん! だめ! 見つかったら、今度こそ殺されるんだよ!」
わんちゃんは杉良太郎ばりの流し目で猫を見た。
「今度こそって、なに?」
「あ、あの子が、小鳥優子なんだよ」
「へっ?」
わんちゃんは自我を取り戻したのか、猫の手を引いて廃墟の中へと誘い、外からこちらが闇に紛れて見えない様にした。
「小鳥優子って、あんたが言ってたヤバい奴だよね? 何でちゃんと教えてくれなかったの!」
喫茶店でわんちゃんは、とっちらけた顔で聞いていた癖に、こんな窮地に追い込まれてから堂々と猫を責めるんだよ!
「猫言ったもん。小鳥がヤバいって言ったもん!」
「ここまでヤベェ奴だと思わないじゃん! あんたの伝え方が下手だからいけないんでしょ!」
「わんちゃんだって! ちゃんと猫の話し聞こうとしてたの? 責任転嫁するのはやめて欲しいんだよ!」
「あんたさぁ、相手が理解出来る様に話しをしようと思った事があるの? そういう自分の怠慢を棚に上げて責められるのマジありえないんだけど!」
「ね、猫だって、猫だって伝えようと努力したもん! でも、猫は頭が悪いから、そういう事上手くいかないんだよ」
「ほらまたそうやって仕方が無い事だって言って逃げ様としてる! あんたさぁ、はなから諦めてんだよ。猫はこうだから、みんなが頑張って猫の言いたい事を察してくださいってさぁ!」
「猫は! 猫は、そんなつもり無いんだよ」
「そんなつもりが無くても、そうなってんだって言ってんだよ! あんたがちゃんと伝える努力を怠ったいざこざを、これからもあんたの周りの奴がケツ拭いていくのかって言ってんだよ!」
「そもそもは、わんちゃんがこんな所に迷い込んだのが事の発端なんだよ!」
「あっ……まぁ確かに。でも今話してんのはそんな事じゃない! このままでいいのかって言ってんの!」
ぜ、全然、全然逃がしてくれない。このまま首を絞められて殺されるんじゃないかと思った。
今は、小鳥よりもわんちゃんの方が怖いんだよ。
「でも、猫は、それが出来ないから……」
「出来ないって思い込んでんだよ。あたしは、あんたは頭が悪いって思ってるけど、そこまで出来ないとは思ってない! 普通に喋れるし、色んな意味で面白いと思うし、あたしは、あんたが努力していないだけだと思う」
頭が悪いとは思っているのか……随分と高い位置から人を見下す女なんだよ。
猫が何の気無しに外を見ると、小鳥が数メートル程の距離まで近付いて来ていて、闇に紛れる猫達を凝視していた。
「イィ、ニィィィィィィィィィィイ」
「はっ? どうしたの?」
猫は、右手で小鳥を指さした。
「イヤ……イヤァァ——」
わんちゃんが叫びそうだったので、右手で口を押さえた。
間一髪、声は漏れなかったのだと思う。
小鳥は、濡れた前髪で目線が窺えないものの、この廃墟の闇の中に関心がある様で、じりじりと近付いて来ていた。
わんちゃんと目を合わせて、意味は分からないけど二人で頷き合った。いつの間にか繋いでいた手を、恋人の様に絡ませた。
もう、逃れられないのだと悟った時、闇の奥から声が聞こえた。
「こっちへおいでぇぇぇ」
「ヒィィィィィィイッ!」
意識の外から響く声に、二人で思わず声を上げてしまった。小鳥はじわじわとこちらへ向かってくる。でも、こっちへ来る様に促した声は、明らかに七不思議の傘を貸すお婆さんの声だった。
猫は、わんちゃんに成り行きを託した。猫の事を下に見ているのであれば、こういう時程しっかりして欲しいと思うばかりだった。
わんちゃんの決断は、小鳥を避けて、闇の奥へと進む事だった。
猫達がそちらへ向かうのが見えていたのか? 「こっちへこっちへ」と誘うお婆さんの声を道標にして、ゆっくりと歩を進めた。
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