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十三頁 犬 肆 『七不思議V S七不思議』
十三頁
犬 肆
『七不思議VS七不思議』
不気味な声を頼りに進む道は恐ろしかった。
右手で床を探りながら進んで、左手は、猫宮の右手を強く握った。
こんな変な奴だけれど、今のあたしにとっては唯一の味方だと信じる事の出来る奴だ。逸れない様に、手の汗が混じる様な不快感も厭わず強く握り締めた。
突として眼前に眩い光が差し込んだせいで、その先に何があるのか分からなかった。でも、追ってくる小鳥の足音が近付いて来ていたので、その光の中へと恐れながら踏み込んだ。
「よく来たねぇ、そこの押し入れの中へお入り」
部屋か? 部屋なのかここは? 下は畳の様な感触がする。押し入れに入れと? 嫌なんだけど? 知らない人の部屋の、汚いかもしれない押し入れに入るなんて嫌なんだけど?
「わんちゃん早く」
うっすらと見える猫宮は、もう身体の半分は押し入れの中だった。
この女には、不潔という概念が無いのか? 埃かぶった謎の物で手が汚れてしまうじゃないか。しかし、もうじき小鳥という奴がこの部屋の中を覗くかもしれない。
あたしは、決断をしなければならない。この押し入れに入るのか、拒否するのか。
ってか、小鳥って奴なんなんだよ! クラスメイトなんだよね? 何で逃げなきゃいけないの? 明日だって顔合わせるんだし、堂々としてりゃいいんだよ。
そうだ、あたしは何を怖がっている? 変に気負いせずに、「あっ、初めましてぇ」くらいの軽いノリで切り抜ければいい。そうだ、そうしよう!
ガッタガタガタ、ガッタガタ、バンバンバン、ガッタガタガタ
ヒィィィィィィイッ!
襖を、ガッタガタガタバンバンバンと叩いて来やがる! なんなんだよ、なんなんだよコイツ!
あたしは、先程までの威勢は何処へやら、一目散に押し入れの中へと避難した。
「危ない所だったんだよ、入るのが遅いんだよ!」
猫宮に叱られてしまった。糞っ、何でコイツにそんな事言われなきゃならないんだ! ってか、何かこの押し入れの中臭うんだよ。
んっ? 違うなぁ、これって、臭いの元コイツだなぁ。今日水曜じゃん。月曜火曜分のアレの臭いな訳ね。今日ずっと最悪だな! 学校ある日で一番不潔な日にこんな事なんのかよ!
「烏丸さぁん? 烏丸のお婆ちゃん開けてぇ」
襖の向こうから、小鳥らしき女の声が聞こえてきた。
「ヒィィィ」
猫宮が押し殺した声で唸った。
「どうしたの?」
「前に、あのお婆さんに傘を貰った時は、あのお婆さんの事なんて知らないと言っていたんだよ」
もう、なんなの? 謎が謎を呼ぶんじゃないよ。
小鳥の襖を開けてとの要望に、お婆さんは返事をした。
「誰も来ていないよぉ」
下手くそだな! 小鳥は別に誰か来たかなんて聞いてないだろ!
「本当に? 私と同い年くらいの子が二人くらい来てない?」
「知らないねぇ」
「そっか、じゃあこの襖の鍵を開けてくれるかな?」
襖には鍵が掛かっていたのか、それを無理矢理開けようとしてあんな音が鳴ったのか。普通は襖に鍵なんか付いて無いから、本当にギリギリの所だったな。
「はいよぉ」
いや、開けるんじゃないよ! 適当に理由付けて断れば良かったのに。
カチャッ、ガラガラガラガラ、ビタン!
凄い勢いで開けるな……心中穏やかでは無い事が伝わるよ。
「明るい所で会うのは久しぶりだねぇ、元気にしてた? 烏丸さん」
「おかげさまで、元気に過ごしていますよぉ」
こうして蛇喰商店街の七不思議、傘を持っているのに差さない少女VS傘を貸すお婆さんの構図が完成した。
「悪いのだけれど、部屋を調べさせてもらうね」
傘を差さない少女の先制攻撃。ここまでの流れを考えると、傘を貸すお婆さんはあたし達の味方なのだろう。
この戦いは、あたし達を見つけるか、隠し通せるかで勝敗を決めて良いだろう。
「そんなびしょ濡れの身体で部屋に上がるつもりかい?」
良い切り返しだお婆さん! 勿論あたし達は傘を貸すお婆さん側だ。その理屈を押し通して逃げ切ってほしい。
「そうだよ」
そうなの? 畳の部屋にそんな濡れた身体で入るのを厭わないの?
あたしは、その子の七不思議たる由縁を垣間見た気がした。
「こ、困りますねぇ、畳が、濡れてしまうねぇ」
何か弱めだなお婆さん? 立場に完全な上下関係出来てない?
「後で掃除させとくから大丈夫だよ」
あ、後で掃除をさせておく? この子の指示で動く部下的な人が居るって事? 何者なのあんた?
「困ったねぇ、誰も居ないんだけどねぇ」
さっきからずっと下手だなお婆さん! それもう、この部屋に隠れてますよーって言ってんのと同じだから!
「じゃあ、入るね」
「待ちなさい!」
お、お婆さん頑張れ……
「なに?」
「伊予柑をねぇ、喉に詰まらせてしまったみたいだよ」
お婆さん、何を言っているの?
「はっ?」
「ゲボォォォォォォ、オゥ、オゥオゥオゥ、オゥロロロロロロロロロロロロ」
「ウゲェェェェェェェエ!」
なんだ! 何が起きているのか?
……
静寂? いや、何が起きているのか? どっちか喋ってよ! 一体全体、何が起きている……く、臭っ……まさか、いや、まさかだよ……お婆さん、ゲロした?
「ちょっと、マジかよ! ありえないんだけど!」
「ゴメンなさいねぇ」
「烏丸さん、こんな事して、ただで済むと思わない方が良いですよ」
「優子ちゃん? 言っておくけれども、あなた自身が偉い訳じゃ無いんだよぉ、産まれた環境に感謝しなさい」
「はっ、言うねぇ。産まれてきてから今まで、幸せなんて感じた事ないよ」
「そういうのはねぇ、失ってから初めて気付くものだよぉ」
「あんたの説法は聞かないよ。帰るね」
帰るぅぅ? 無理だと思ってたら、何とかお婆さんが勝ったよ。良かった。
「出ておいでぇ」
お婆さんの声を聞いて、押し入れの戸を開けると、やはり、吐瀉物が襖の前の畳に広がっていた。でも、このお婆さんは、ここまでしてあたし達を守ってくれた。
「ね、猫は生きた心地がしなかったんだよ! お婆さんありが——ウワァァァ! ウゥ、ウェッ、ウェェェッ、オェェェェェェエ」
猫宮は、外で何が起きているのか把握していなかったのか? 勢いよく押し入れから飛び出て、ゲロを踏んで滑って転びえずいた。
「おやおや、活発だねぇ」
このお婆さんはこのお婆さんでかなりヤベェな。もう二度と、こんな人達に関わり合いたくない。でも……
「お婆さんと小鳥は、どういう関係なんですか?」
それは、聞いておきたい。一連のこれは、何だったんだよ!
「契約を、違反する訳にはいかないねぇ、まだ、もう少しでも、食べていかないといけないからねぇ」
け、契約? 契約を交わしているの? 教えてくれそうもないしまぁいい、でも、お婆さんは、あたし達を助けてくれた。
「なんで、あの時、こっちへおいでって言ってくれたの?」
「さぁねぇ、ただ、恐れうずくまってる子供を見殺しにする趣味は無いのさ」
本当は、助けてもらったお礼に、ゲロの掃除までしていくのが礼儀なのだろうが、どうしても嫌で、時間が無い振りをしていると、お婆さんが小鳥と鉢合わせない様に、脇道を教えてくれた。
細い道をクネクネ歩いて行くと、やがて、蛇喰商店街出口と書かれたアーチの所へ辿り着いた。
レンタル傘入れと書かれた籠に傘を入れて、出口の所に来てやっと、猫宮とずっと手を繋いでいた事に気付いた。
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