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それから俺たちは無益な日々を過ごしていた。暇すぎて死にそうとはまさにこのことだ。本当に何もすることがないというのは、人間にとって最大の苦痛ではないか。もっとも俺は幽霊で、人間は暇であればゲームなり昼寝なり何かしらするので、その感覚は分からないだろう。
今俺はあのブラック企業ですら恋しくなっていた。上司には散々怒鳴られたりいびられたりしたが、とにかく仕事でもいいから暇を解消したかった。
「あれ? 爺さんは?」
しかたないので爺さんと無駄話でもするかと周囲をきょろきょろしてみたが、またしても当の爺さんが見当たらない。この間から彼が何をしているのか無性に気になり、探してみることにした。
本当に人が増えたものだ。見つからないように通路を進むのも一苦労する。そして当の爺さんは全然見つからず、あちこち捜しまわったのちに、俺はめったに訪れない従業員の控室を覗いてみることにした。
そこでようやく爺さんが隅の方で浮いているのを見つけた。
「お~い、爺さん。何か二人でできる遊びでも考えようぜ」
爺さんはビクッとして振り向き、俺に向かってシーッと黙るように指図した。
「何だよ爺さん。俺にも教えてくれたっていいじゃんかよお。従業員の着替えを覗くとは考えたなあ。あいつらなら俺たちを探してないもんな。これならじっくり堪能できるってもんよ。でも従業員さんで可愛い子いたっけ?」
俺は爺さんだけに聞こえるよう、小声で囁きながら近づいて行った。爺さんが相変わらず慌てていると、爺さんの前に隠れていた女性がひょこっと顔を出した。
「あら、こんにちは。いや、はじめましてね」
爺さんの前には女性が腰かけていた。それは俺も知っている顔だった。
「あ、ども」
俺は思わず挨拶を返してしまった。彼女はここの銭湯で働いていて、浴槽を清掃しているところをよく見かける。まあ実際のところ俺は覗きに忙しいので、おばさんの顔をまじまじと見たことはないのだが。
「こ、これ」
気軽に挨拶したことが不服なのか、爺さんにも人間の友人がいたことを知られて戸惑っているのか、とにかく爺さんは俺に非難がましい目を向けてきた。
「話は伺ってますよ。大変だったわね~」
おばさんはどうやら俺のことを知っているらしい。
「でもここにはこんなに愉しい酒井さんがいるし、毎日飽きないでしょ。よかったわね」
おばさんはニコニコと微笑んでいる。心からそう思っているような口ぶりだった。爺さんは俺に向かって舌を出した。
「おばさんはいつから知ってたんですか? こんな幽霊が住み着いてて嫌じゃないんですか?」
俺は仕返しに親指をクイッと爺さんに向けた。おばさんは相変わらずニコニコしながら答えた。
「だって、こんなところに出る幽霊が悪いわけないじゃない。病院とか廃墟とか、そういうところに出るお化けはいかにも怨念を抱えてそうな怖い幽霊に思えるけど」
それからおばさんは俺たち二人を交互に見て付け加えた。
「あなたたちは二人とも、鈍くさくてかわいいじゃない」
俺はその言葉にしばらくポカンと口を開けていた。それから爺さんを見ると、得意げな顔をしていた。
「爺さん、あんなに姿を見せるなって言っといて、自分は生きてる人間と戯れてるなんて……」
俺は恨めし気な目を向けた。
「う、うるさい。お前だってあんなに若い子とイチャイチャしおって」
「あらあ、あなたも人間のガールフレンドができたの? 隅に置けない子ね」
爺さんの言葉を聞いて、すかさずおばさんが割り込んできた。いかにも噂好きのおばちゃんといった感じで、ニコニコがニヤニヤに変わっている。そして手をひらひら振りながら、聞いてよ奥さんと言わんばかりに勝手にしゃべり始めた。
「あなた本当にこの人に似てるわね~。死に方から何まで。この人もね……」
「ああ! 言うてはいかん!」
爺さんは慌てておばさんの口を塞ごうとしたが、当然触れることはできなかった。爺さんの慌てっぷりを楽しむかのように、おばさんは爺さんとの馴れ初めを語り始めた。
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