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1.
「あー、疲れた」
逢阪祐希は帰宅中、愛車を運転しながらそう呟いた。時刻は午後二十時。一日中、作業をして汚れてしまったツナギを早く着替えたくて堪らない。そういえば今日は汚れる作業が多かった。週始まりからこれなんて、今週はついていない一週間になりそうだ。
そういえば、休みの日に遠距離の恋人と逢えなかった。だから余計に気が滅入っているのかも知れない。
(同じ会社にいるのに、遠距離恋愛って何)
そんな事を思いながら、アクセルを踏んだ。
逢阪は自動車販売店の店舗に勤務する整備士だ。ひょんな事から、同じ店舗の店長だった浅倉遼と付き合いはじめた。付き合う前に浅倉が逢阪にだけ仕事に厳しかったのは、実は愛情の裏返しだったことが判明。それを知った逢阪はいつも冷静な浅倉とのギャップに萌えた。
しかし、晴れて恋人になったかと思えば、浅倉が店長から支店長へと昇格し、他のエリア担当となった。そのエリアは車で一時間弱ほど走らせる県西部のため浅倉は引っ越しを余儀なくされた。その為、必然的にふたりは逢える時間が取れなくなってしまったのだ。納車などで数時間運転することもあるため、一時間半なんて近いものだと、逢阪は考えていたのだが甘かった。
仕事帰りに逢いに行くのはかなり遅い時間になる為、現実的ではない。週に一回の定休日は浅倉が疲れが取れないと言う理由で、数回合うのを断られた。まあ、逢阪もゆっくり寝たいと思っていたので初めの頃は正直、ラッキーとすら思っていた。だが、中々逢えなくなってくると、今度は段々と逢えない事に不満が募る。中途半端な遠距離恋愛となってしまった。
(かといってどうしようもないし…)
逢阪も今や自店舗の中堅エンジニアとして、後輩から慕われているし、まだまだこの店舗で仕事がしたいと願っている。わざわざ浅倉を追って行くようなことは到底無理だ。かといって、浅倉が支店から店長に戻ってくるなんて、降格の時しかないのだ。そこまでは流石の逢阪も望まない。
数分車を走らせてコーポに到着した。部屋に入って、上半身だけツナギを開いて腰のあたりで折り返す。冷蔵庫からお茶を取り出してコップへ注ぎ、一気に飲み干した。
「はー…」
ポケットからスマホを取り出して、液晶画面を見る。浅倉からのメールが一件、入っていた。
『お疲れ様』
メールが届いた時間は、ちょうど逢阪がコーポの駐車場に車を止めた頃だ。逢阪がそれに気づいて笑いながら返信した。
『ちょうど家についた頃にメールが来たんだけど。どっかで監視してんの?』
返信はすぐ戻って来た。浅倉も帰宅しているのだろうか。
『だいたい分かるよ』
それだけ返事が届いたと思ったらすぐに、着信を知らせる通知に画面が切り替わった。浅倉は元々メールが得意な方ではない。話した方が早い、と電話に切り替えたようだ。
「もしもし」
「何年そこの店長やったと思ってるんだ、火曜だいたいこんな時間だろ。山さんが日報しめて」
「あー、流石。元店長」
思わず、吹き出してしまう逢阪。店長として店にいた頃の話がぽろっと出てくるとつい、喜んでしまう。まだこっちにいてくれてるような気がして。
「遼はもうご飯食べたの?」
浅倉と話しながら、コンビニで購入したカップ麺を取り出す。ガザガザ、と言う音が電話先の浅倉に聞こえたのだろう、浅倉はちゃんと自炊しろとブツブツ言っている。めんどくさいやっちゃなー、と逢阪は笑った。
何気ない会話だけど、嬉しいのはやっぱり「恋人」だからだろうか。疲れてるはずの浅倉が、たまにこうして電話をかけてくれるのはきっと気を使ってくれているから。
(結構、好かれてんじゃん、俺)
その言葉は、恥ずかしくてとても浅倉に言えないけれど。電話の向こうの浅倉を思いながら、逢阪は笑った。
***
一か月後。浅倉が管轄するエリアで、若い営業が店長として抜擢されたことが社内で噂になっていた。逢阪のいる店でも事務員の土井がその噂を聞きつけてあれやこれや話していた。
昼食を仕出し弁当ですませ、数人でコーヒータイムだ。平日の昼間はお客も少なく、整備士も営業もゆったりしている。
「まだ二十代前半なのに店長ってすごいよねー。しかもさあ、その子が店長になってから、店の売り上げが右肩あがりらしいの!人望もあるみたいだし、頭も切れるし…、あのエリアでは浅倉支店長の再来じゃないかって騒いでるらしいわよ!しかも顔がいいの」
パート社員でありながら、社内の情報をいち早く掴み取ってくる土井の話にみんながへぇ、と相槌を打つ。
「へえ、かっこいいんだ。その店長」
話を聞いていた営業の田城が話に割り込んできた。二人は付き合っている為、かっこいい店長と聞いて田城が不安に思ったのだろう。しかし土井はちっとも興味がないようで…。
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