狐の嫁入り

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狐の嫁入り

 朝から灰色の雲が重く立ち込めていたから、もういつ降り出してもおかしくないと覚悟はしていた。昼間はなんとかもっていたが、大学の講義に出席して帰宅途中、だんだん今にも泣きだしそうな空模様になってきた。ああ、いよいよ降るか…。家に帰りつくまで、もってくれなさそうだな。 地元の駅に降り立ったころには、降り始めた。まだ激しくはなく、シトシトとした小雨といったところだが。 ぼくの傘は普通の黒い傘だ。降られても良いように持っては来たが、使わないですむのならそれにこしたことはない。面倒くさいから持たないですむのが一番なのだけれど。 小糠雨、霧雨、音なき雨。 細かい雨は体にまとわりついてくる。細かい小さな水玉を、身にまとっているかのようだ。やがて水玉は服の上に落ち着き、キラキラと輝くベールとなる。そしていつの間にかしっとり濡れそぼる。 実は雨はそんなに嫌いではない。台風みたいな大雨は困るが、しっとりとした雨はむしろ好きだ。 シトシト雨の中傘をさして歩けば、傘の内は静かな一人の世界になる。雨の音以外は聞こえてこない。 一人の世界に没頭できる。深く自分の心の中にダイブしてゆける。 小雨だからこのまま帰ろうと思い、傘を開き歩きだした。傘に当たる静かな雨音に、ぼくは耳をかたむけながら家を目指した。  帰り道の途中に小さな公園がある。公園といっても、歩行者の通り道を兼ねているものだ。ベンチがあり、晴れた日には市民の憩いの場にもなっている。季節の花々も植えられていて、いつもぼくの目を楽しませてくれている。 絶えることなく花を咲かせてくれている誰かに、いつも頭が下がる想いだ。 ふとベンチに目をやると、誰かが座っている。こんな雨降りなのに、傘をささずに座っている。濡れるのを気にする素振りすらなく、静かに雨を受けているという感じだ。ぼくと同じように己の世界に沈んでいるのだろうか。 白い髪と白い顔、身に着けているのも白い服。でも、年配者という風でもない。何だかとても不思議な雰囲気の人で、ついジッと見てしまう。 でも回りの人々は気にとめてもいない。ごく普通にその人物の脇を行き来している。変わったものには、目ざとく反応するはずの子供でさえ知らん顔だ。 まるで見えていないかのように。 雨が激しくなってきた。雨のカーテンが降りてきて、ますます周りの人から自分は隔てられひとり。それはある意味では、心地良い孤独だ。 人は何故に孤独を恐れるのだろうか? そんなにも一人は嫌なのだろうかと、ぼくは不思議に思う。人は一人では生きていけないと言われるが、動物のなかには単独で生きているものもいるのだ。普段は単独でも、必要に応じて群れとなる。 普段から群れで生きているものは、群れていないと生きてゆけないのだろうか? 人間もそうなのだろうか? 人間はもっと個々に自由で良いと思うのだが。 ぼくは強迫観念のように、人間は孤独を恐れているだけのように思える。 一部の気に沿わない相手に無理して合わせるしんどさよりも、一人でも心穏やかに過ごす方をぼくは選ぶ。 ぼくは時々仙人のようになりたいと考える。仙人のように暮らしたいというのが、正解かもしれない。 深い山奥でたった一人の自給自足の生活をおくるのだ。そこでは嫌いな人間との関わり合いで、心がささくれだつことも無いし、余計なお節介に悩まされることも無いのだ。 朝日で目覚め、日の入りともに眠りにつく。晴れたら働き、雨が降れば休む。まさに晴耕雨読の生活をするのだ。 まあ、きっと夜は読書三昧して、すぐには寝ないだろうけど。 ある意味気ままに暮らしたいのかもしれない。 自然の中、季節とともに生きる。それは本来の生物として、全うな生き方じゃないだろうか? 季節ごとの恵みを得て動植物と暮らすならば、自分も自然の一部になれそうだ。 精霊や妖精や妖怪にも会えるかもしれない。そうなったら、ぼくは自然のなかに溶け込むことができたのだ。それは仙人になれたといえるかもしれない。 今日みたいな雨の日はまさしく読書日和だ。静かな雨音だけに耳を傾けて過ごす。自分の心の中を見つめて、深く想いに沈むのだ。 それは高尚な孤独であるだろう。  雨は降り続けてはいるが、陽が照ってきた。細かい雨粒は、太陽の光を受けて光輝いている。狐の嫁入りだ。 この細かい雨粒を編んだベールをまとって、キツネは嫁入りするのだろうか? キツネは人間にない力をもっていて、霊的な動物となっている。 ぼくは子供のころ、雨上がりに木の葉や塀にあるキラキラ光る水玉を見付けると勇んで探しに行った。 急いで走って行くのだが、いつも間に合わずなくなってしまう。そばまで行くうちに見失ってしまったり、蒸発してなくなったりしたものだ。 あのキラキラを手に入れるのは、まさしくの子供の頃の夢だった。 キツネは彼らの持つ力で狐の嫁入りのベールのように、あの水玉を捕らえられるのだろうな。 やがて狐の嫁入り行列は過ぎたらしく、雨は上がった。 公園のベンチの不思議な人物も、いつの間にかいなくなっていた。 嫁入り行列の参列者だったのだろうか? その人物のいた場所が、雨上がりにキラキラ光っているのが分かった。 もしかしたらと急いで近づくと、そこにあったのは丸い小さな鏡だった。 鏡には照り始めた太陽と、まだ漂っている雨粒のベールがうつっている。 その向こうにはベールをまとった花嫁が束の間見え、やがて消えていった。 鏡は雨上がりのキラキラを中に閉じ込めていた。 それは狐の嫁入りの嫁入り道具の忘れ物だったのだろうか。
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