『空のツバメ』

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『空のツバメ』

 私は、空を見るのがこの上なく好きでした。どこまでも遠くへ続いている空を、私は飛んでみたかったのです。その思いを強く抱きながら、先に生まれ、立派な両翼を持って飛んでいる仲間たちに羨望の眼差しを向けてもいました。 「私も、この空の果てへと飛んでゆきたいのに」  心地良く、滑るように、風を切るように、上下左右と自由を謳歌しているのです。まるで、生まれながらにして、この地を離れ、遠き彼の地を目指すことを知っているかのよう。なんて悔しく、なんて恨めしい。未だ飛べぬ我が身が、羽ばたくことを忘れてしまっているこの翼が、とてもとても憎らしいのです。 「どうして、君は飛ばないの?」 「そう言ってやるな。飛びたい気持ちはあっても、あれじゃあ飛べないよ」  皆が口々にいっています。飛ばない私を、飛べない私を、好奇の目を向けて面白がっているのです。空に思いを馳せるだけの私の為に、貴重な時間を割いてまで構わなくても良いというのに。それだけ、飛べぬ身にある私という存在が可笑しいのでしょう。  ああ、言い返してやりたい。華麗に舞う姿を見せ、今までの無礼を含めて認めさせたいと、何度思ったことか。けれど、どうにもできない運命に私はあるのでした。どうして、私の翼には、役割が与えられていないのでしょうか。翼の持つ役割とは、役目とは、空を飛び回る力を主たるものに与えることでは、ないのですか。何故、私には、その力が与えられないのですか。  小さな巣の中で最後に卵から孵り、そこで初めて見た母様と父様の顔。不安気な表情を浮かべていても、それが私の母であり、父であることはすぐに察することができました。目にも留まらぬ速さで優雅に飛び、正確に獲物を捕らえる姿。私は、ずっと、それを見てきました。私もいつの日か、母様のように素早く、父様のように強くなりたいと、そう思っていたのです。  毎日、沢山食べて、立派になろうと努めてきました。同じように、気ばかりが急いてもいました。おそらくは、その所為なのでしょう。私の思いに翼は応えることを辞めたのです。嫌気が差したに違いありません。なんという酷い有様なのでしょう。私のいうことを聞かぬ翼などに、一体なんの意味がありましょうか。 「こらこら、喧嘩をするんじゃあ、ない。この子はね、良いかい。遅くに生まれたのだから、一緒くたに考えてはいけなんだ」  父様の声が聞こえます。空高く飛びながら、私の兄弟姉妹とお話をしています。すると、母様もやってきました。 「お前たちも分かっていることでしょうに。この子には……いいえ、なんでもありません。さあさあ、お前たちも巣立ちをして良い頃合いよ。大変に立派になって、母様も安心して見送れるわ」 「勿論、その通りだ。父様と母様の許を離れ、お前たちも自分を生きていくんだよ。さあ、ゆきなさい。お前たちとは、この空を通して繋がっている。お前たちも空の一部なのだからね」  それぞれが多少の別れを惜しみつつも、父様と母様の言葉に促されるようにして飛んでゆきましたが、誰も彼も私などには言葉を投げませんでした。  それからというもの、手狭だった巣が広く感じるようになりました。私だけが残されてしまったのですから、当たり前なのですが、あれだけの嫌味を聞かされていた仲であっても、急にいなくなれば、寂しくなってしまいます。 「なんだか、少しばかり肌寒い……」  雨の日が多くなっていました。巣も所々に穴が空いてしまい、辛うじて壊れてはいないものの、いつかは落ちてしまうと恐れを抱く毎日でした。  けれど、一番の恐れに比べれば、大したことではありません。父様と母様が、私が眠っている時に話していたことに比べれば――まさか、私が本当は起きていて、話を聞いていたなんて思いもしなかったでしょうね。 「ねえ、あなた。このままでは、私たちまでもが、冬を越せなくなります。もういっそ……この子も分かってくださいますわ」 「君のいう通りだ。自分たちも越冬しなくてはならないのだし、ここに留まる訳にもな」  聞きたくもない言葉でした。飛ぶことさえ叶わぬ私を、あろうことか寒さが一段と増していく場所に捨て置こうなんて。それも、恐ろしい算段を立てているのが、私の母様と父様だなんて。  私は、身震いする思いでした。いつ崩れても変ではない巣の中で、静かに凍え死ぬしかないのだと、そう思う度に恐怖に体が震えあがってしまうのです。  でも、答えは、最初から分かってもいました。私もまた、この身を賭すしか他になかったのです。だからこそ、意を決するのも、細い足で一歩を踏み出すことも容易いことでした。 「それ! 飛んで! 私の、私の翼――」  その時になって、私は知りました。私の翼が、どうして応じなくなったのか、その本当の理由を身に染みて理解したのです。だって、私には翼が、片方だけ欠けていたのですから。  深く、昏く、瞬く間に体が沈んでいきます。うつらうつらとした視線の先には、空の彼方に飛んでゆく母様と父様が見えました。  冬を越す為、この地を離れたツバメたち。どうか、次の春には、私を眠りから覚ましてくださいますように。片翼の私は、ただそれだけを望みながら、静かに眠りに就いていますから。
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