カミサマの母親

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 ***  それからは――憂鬱で仕方なかった家への帰り道が、少しだけ楽しみなものに変わっていた。  全国区のテニス部のエースとして期待されている姉と違い、僕の事など両親は殆ど気にも止めていない。母に至ってははっきりと“もう一人も女の子が良かったのに”なんてことを言ってくれた始末だ。おかげで僕は“(あおい)”なんてなんだか女の子のような名前をつけられてしまうし、小さな頃は女の子みたいな服ばかり着せられて嫌な思いをしたのをよく覚えている。どうにも女の子が男の子の格好をするより、男の子が女の子の格好をする方が世間的には“気持ち悪い”と思われてしまうものらしい。  何が面倒かって、いじめられる原因を作ったのは母で、祖父母に会う時などは女の子のような上品な振る舞いをしなさいなんて命令するくせに――いざ僕が虐められて泣いて帰ってくると、男の子の癖に情けないと怒るということだ。そのせいで、僕は何かあっても両親、特に母に相談することが一切ない子供に育った。母は“自分の思い通りになる着せ替え人形”が欲しかっただけで、“保科葵(ほしなあおい)”っていう男の子が欲しかったわけではない。小学生五年生にして、僕はそれを嫌と言うほど学んでいたのだった。  父は仕事でいっぱいいっぱいで、家族に無関心。  姉も姉で、部活と成績と彼氏のことだけに一生懸命になっているし、母は優秀な姉をいかに世界に羽ばたかせるかしか考えていない。この家に、僕の居場所はなかった。それでも一人で生きていくお金も力もない以上、此処にいる以外にはないのである。無視されたり怒鳴られたりするだけで、殴られたりするわけじゃない。愛されてなくても拒絶されないなら、まだ僕はマシな方なのだと思っている。世間には、僕よりずっと不幸な子供など山のようにいるはずなのだから。  そんな冷たい家ではあるが。こっそり蒲公英を育てることができるという意味では、これ以上ない環境なのかもしれなかった。なんせ、誰も興味を持って僕の部屋に入らないし、掃除をすることもないからだ。  両親揃って家にいる時間だけは、食料の調達や蒲公英のお風呂に苦労することになるけれど。それさえ凌げば、お世話はそうそう難しいことではない。体が小さいので、ベッドも専用のトイレも小さなものを少し見繕えばなんとかなった。子供の頃買って貰った(というより、僕を女の子と本気で勘違いした親戚に送りつけられた)人形の家なんかがとても役に立ってくれた。捨てないでおいて本当に良かったと思う。 「いっぱいミルク飲んで、大きくなりなよ」  蒲公英は、毎日日を追うごとに大きくなった。一週間が過ぎる頃には、赤ちゃんではなくもうすぐ幼稚園児に入るくらいの女の子の姿にまで成長していた。そして僕のことを、“まま”と呼び、たどたどしくも喋るようになったのである。 「そうか、僕がお前のママか。カミサマのお母さんになるなんて、僕も凄いなあ」 「う?」 「お前がなんなのかわからないけど。大きくなるまで、ずっと一緒にいてやるからな」  僕がそう言うと、あのティンカーベルくらいのサイズになった蒲公英は不満そうに僕の周りを飛び回った。どうやら“大きくなるまで”と制限をつけたのが気にくわなかったらしい。  いじらしい蒲公英に、僕も思わず笑みが溢れてしまう。学校でもいじめられ、家でも無視され、ああ僕は誰にも必要とされない子供なんだなと漠然と思っていたけれど。  この子は違う。僕のことを、ママと呼んで慕ってくれる。愛を求めてくれる。 「仕方ないなぁ。……お前が大人になっても、僕が死ぬまでは一緒にいてやるよ。感謝するんだぞ?」  蒲公英の正体が、本当は悪魔であっても構わない。  世界にたった一人、僕を必要としてくれる存在が現れた。それ以上に大切なことは、何もないのだから。
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