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鏡よ鏡
ある日の帰りのホームルームの前。スマホを片手に桜太郎は渋い顔をしていた。
スマホの画面に表示されているのは、宝の山のように見える素敵な服たちと、魅惑的な文面のメッセージ。
年の離れた従姉からのLINEと写真に桜太郎のテンションは上がっているが、最後に付け足された一文に気持ちが盛り下がっている。
というより、こんなときに頼れる相手がひとりしか頭に浮かばないことが、さらに悲しみを深めさせている。
だが、差し出すものさえ差し出してしまえば、どんな頼み事でも聞いてくれることを思い出して、ホームルームが終わるとすぐにお目当ての人物に声をかけに行った。
「薫くん、服とか興味ある? 輸入ものの古着。うちの従姉が古着屋と結婚して、今ふたりで店をやってるんだけど、在庫入れ替えで不要になった服をくれるっていうんだけど、よかったら一緒に行かない?」
桜太郎はあくまで、友達のひとりにする提案のように薫に水を向けてみた。実際のところ、いつものように怪談と引き換えに頼み事をしてみてもいいのだが、友達として普通に声をかけてのってきてくれるのか、それが非常に気になったのだ。
いろいろ話をするし、昼飯をシェアしたこともある仲なのに、その他大勢と扱いが一緒だとしたら、少し寂しいと思ったから。
「古着かあ。気にはなるけど、そこまでって感じかな。それに、そういうの喜びそうな友達なら他にいるでしょ?」
「いや、まあ、そうなんだけどさ……」
薫の反応は、予想はしていたものだった。爽やかで清潔感がある、女子の言葉を借りるなら王子系の薫が古着に興味があるわけがないと、その見た目の雰囲気からわかっていたことだ。薫は古着を好むアメカジ系より、きっと女子ウケがいいきれいめカジュアルのほうがにあいそうだ。というより、普通にこの系統だろう。
この反応も似合う服装もわかっていたことではあるものの、それでも桜太郎は引き下がれなかった。
なぜなら、従姉が古着をくれる条件として出してきたのが、「イケメンの友達を連れてくる」というものだったからだ。
桜太郎の従姉はかなりの面食いだ。それなら、適当な友達を連れて行くわけにはいかない。少ないお小遣いで好きなものを買わなければならないしがない高校生にとって、ただで服がもらえるチャンスは、何としてでもものにしなければならないのだから、こんなときに連れていけるのは、薫くらいしかいない。
「興味ないとこ悪いんだけど、できたらついてきてほしいんだよね。その……従姉がイケメン連れてこいって言ってるんだよ。てか、連れてこないと服あげないって」
「すごい人だね。……イケメンとして僕を紹介してくれようとしてるのはありがたいんだけど、それってつまり、頼み事だよね?」
事情が飲み込めたらしい薫は、ニコッと笑っていた。
これは、いつもの“あれ”を差し出せということだろう。
できれば友達として普通についてきてほしかったところだが、どうやらそれは叶わないことのようだ。だからといって服をあきらめたくはないから、仕方なく桜太郎はついてきてくれるならそれでいいと納得することにした。
「わかった。怪談ひとつね。ちょうどこの従姉に関する不思議な話があるから、それを話すよ」
少しやけになった桜太郎は、以前従姉から聞いた話を語り始めた。
うちの従姉は、今はそれなりに落ち着いた服装をしてるけど、十代後半から二十代前半はバリバリに変わった格好をしてるような人だったんだ。変わってるって本人に言うと怒るけどな。
ロリータファッションって知ってる? 日本発の、お姫様みたいな格好な。とにかくフリルとレースがすごくて、非現実的で。可愛いは可愛いけど目立つし、普通じゃないし、どちらかといえば町中より夢の国にいたほうがしっくりくるみたいな、そんな服装。
従姉はそのロリータファッションを死ぬほど愛してて、バイトしまくってその高い服を買って心ゆくまで楽しんで生きてた。
で、そういう服に心血注ぐ人間っていうのは、自分ひとりで楽しむだけではなく、仲間を見つけたり、世界のどこかに自分の愛する服を発信したりしたいって考えるようになるらしいんだな。
従姉も例にもれずそのタイプで、学生の頃はコーディネートブログなるものをやってたらしい。
毎日の服装やお気に入りの服や小物を写真に撮って、それをネットに上げてたんだって。
当時はそういうブログが隆盛を極めて、同じようなブログがたくさんあったから、その中で人気が出てきたり注目を浴びたりするのは嬉しかったらしい。
従姉はまめな人だから、ブログにコメントをもらったらひとつひとつ返事をして、このファッションの初心者にコーデの相談を受けたら丁寧に答えてやってたんだって。
そうすると自然と交流が深まって、ファンと呼ばれる人も出てきたそうだ。
あるときから、従姉のブログには不思議なコメントが書かれるようになったらしい。
それは、なんてことない目撃情報だ。
写真を加工して顔は隠してるとはいえ、従姉は自分の身に着けてるものをネットに載せてる。だから、その服装で見る人が見れば従姉だってわかるんだろう。
でも、不思議なことにその目撃情報に従姉は覚えがなかったんだって。「今日の夕方、○○にいましたよね?」とか「▲▲で見かけました! 可愛かったです」とか好意的なことを書かれるけど、その日その場所に行った覚えがないってことばっかりだったらしい。
最初は、勘違いかなと思って流してた。身バレ防止のために、そのくらいの勘違いをしてもらってたほうがいいかなって。
でも、ついに身近な人間まで従姉を覚えのない場所で見かけるようになったらしいんだよ。
友達に、「昨日□□にいたでしょ。手を振ったのに気づいてくれなかった」とか言われたら、ひやっとするだろ?
その頃から、従姉はもしかしたら自分にそっくりな誰かが生活圏にいるかもしれないって気づき始めたんだと。そうと考えなければ、ブログに書き込まれるコメントの多さがわからないからって。
そしてついに、親や恋人までそのそっくりな誰かを目撃するようになってしまったらしい。
あるとき、従姉の母、俺の叔母が、仕事に行くために駅で電車を待ってると、自分の娘によく似た、ロリータファッションの女の子がいるのに気がついた。叔母は早番遅番がある仕事で、その日は遅番だったから従姉より遅く家を出たらしいんだ。だから先に出た娘とこうして駅で会ったのかと。
でも、叔母さんはそのとき思い出したらしいんだ。自分の娘がその日は一限の講義を受けるために朝早くに家を出ていったことと、帰りに病院に寄るためにシンプルな服装をしていたことを。
だから人違いだってわかって、声をかけるのはやめたらしい。
従姉の恋人がそっくりな誰かを見たのは、何とかデート中のことだったんだって。
従姉がトイレに行きたくなって、商業施設の中に入ったんだって。そこは人が多くて、これはトイレから離れた場所にいると見つけられないかもしれないと考えて、恋人はトイレをすぐ出たところに移動して待つことにしたらしい。
そしたら少しして、従姉が目の前を小走りに行ってしまったんだって。もしかしたら自分に気づかずに通り過ぎてしまったのかと思って、恋人は追いかけようかと思った。でもすぐに、その通り過ぎて行った人物が着ていた服の色が、その日従姉が着てたものと違うって気づいて思い留まったんだってさ。
すぐに本物の従姉も出てきたらしい。その話を聞いて、従姉はぞっとしたって言ってた。
だって、その人物もトイレから出てきたってことは、ニアミスしてたってことだからね。
そんなことがあって、従姉はブログをやめたんだって。ブログブームが終わりつつあったのもあるけど、それより怖くなったからだって。
そのそっくりなものが生きてる人間でも、それ以外のものでも、いつ自分自身と鉢合わせするかわからないと怖いだろ?
「これさ、ストーカー紛いのなりきりだったのかオバケだったのかわからんから、怪談かどうか怪しいけど、俺的には怖い話だったんだよな。その後、従姉は結婚して服装も個性派であってもあの頃より落ち着いたから、そのそっくりな存在がいたとしても、誰ももう間違わないとは思うけど」
話し終えて、桜太郎はじっと薫を見た。彼がこの話にどんな反応をするのか、どんな感想を述べるのか、それがとても気になっていたのだ。
「パッと聞くと、ドッペルゲンガーの話かなって思うんだけど、たぶん違うんだろうなあ」
答えを出しかねているのか、薫は考え込んでいた。桜太郎にとっても解せない話だったのだ。きっと薫にもわからなかったのだろう。
「ドッペルゲンガーって?」
「同じ人物が同時に別の場所に現れる現象だとか、自己像幻視と呼ばれる幻覚の一種だとかのことだね。自分で自分の姿を見ることもあるし、第三者が目撃することもある。でも結構広く知られてるのは、自分のドッペルゲンガーを目撃すると死ぬってことだね」
「……え」
思いがけない話に、桜太郎は何と答えていいかわからなかった。
「じゃ、じゃあ、従姉は危なかったってこと?」
「それがドッペルゲンガーならね。でも、今は誰も目撃してないなら大丈夫じゃない? それにたぶん、それはドッペルゲンガーじゃないと思うし」
「そっか……」
話しながら、ふたりは教室を出て怪談を降り、昇降口で靴を履き替えた。
今回はどうやらいまいち薫の気に入った話ではなかったようだが、彼は同行してくれるらしい。とりあえずこれで目的は達成されるのだと、桜太郎はひとまず安心した。
「鏡、かな。鏡だろうなあ。頻度は減ったとはいえ、今でも鏡を覗かないわけはないから、危険が去ったわけじゃないんだろうけど」
「……どういうこと?」
不意に薫が不穏なことを言うから、桜太郎はぞわりとしてしまった。薫はいつだって、怪談を口にした人が気づいていないことに気づくのだ。
「いや、鏡に姿を盗られちゃったのかなって。ブログにコーディネートを載せるために、普通の人より熱心に鏡を覗いていただろうし。……今日僕が会う従姉さんは、本物だよね?」
駅へ向かう道すがら、薫からのその問いかけに、桜太郎はうまく答えられなかった。
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