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「…………もう、十数年前のことです。我らには、確かに一人息子がおりました」
しまきの問いかけに面食らいながらも、老人はその乾いた唇を震わせて、その箱を開く。それは、秘められた寄木に包まれた奥のものを取り出すように、とても慎重であった。
「彼は、いまなにを」
「行方知れずに……いえ、我らが借金のかたにして、売ってしまいました……」
「名前は?」
「――音々助、と」
ざらめは、何も答えられなかった。
◆ ◆ ◆
「ざらめさんは、元は芸人さんだったかしら」
「ええ……」
「でしたら、野良仕事の歌も何かご存じ?」
「もちろんです。唄いましょうか」
膝の上まで着物の裾をたくし上げ、婦人と共に畑へ向かうざらめは、穏やかに野うさぎの歌を唄う。
しまきとざらめは、その後彼らの元へ留まった。とはいえ住まいまでは共にせず、以前に老人が裏手の丘に作ったという柴刈り小屋を手直しし、住処とした。陽の温かく照らす日にはこうして畑へ出て、あまりにも健康的な汗を流す。
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