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前日譚
◆ようこそ、21世紀の日本へ
手段としては航空機も船も使わずに遠い島国に身一つで来ることは可能である。しかし人間界に存する場合、極力魔法を使わずに人間として生活をするように決めている。
ウェーブのかかった絹糸のような金色の髪に、陶器のような白い肌、眠たそうな瞳は澄んだ青色。少女はどこから見ても西洋の生まれと思われる容姿をしている。角が生えているわけでも、耳が長いわけでもない。人間と変わらぬ容姿だ。それでも彼女は、この世で千年以上生きる魔女である。
魔女でありながら、知り合いが「翔んでくればいいのに」と文句を言いながら用意してくれたパスポートを利用し、日本へ入国し終えた。パスポートの氏名欄には『WAKAMIYA KAI』とある。魔女に名字が存在しないため、若宮はどこかから持ってきた仮染の名前。カイは海と書くらしい。
「カイー!」
見知った声がするが、知った顔の魔女はどこにもいない。混雑で見つけられないわけではない。海には全てが視える。
「カイってば。こちらですのよ」
漆黒の長髪を揺らし、長身の女が近づいてくる。愉快そうに目が笑ったところで気づく。
「……もしかしてシルヴィア?」
「そうですわ。友の顔を忘れるなんてひどいですの。あと、日本での名前は吉川涼子と申しますので、よろしくお願いしますわ」
「や、だって、髪。銀色だったよね? それにその喋り方何? 気持ち悪い」
「久しぶりに会ったのに、本当ひどい言われようですわね……。今回はこのキャラで行こうと思いますの。清楚でお淑やかで大和なでしこといった感じでしょう」
「全然お淑やかオーラねぇよ」
さらさらした髪を掻き上げる仕草には、色気よりも苛立ちを感じる。
「そっちこそ、何で鼻つまんでいるのかしら。そのしかめっ面も」
「人間界っていうか、日本臭くない? 悪意が溜まっている臭いって言うかさ。しかめっ面はシルヴィア……涼子の変わりようを訝しんでいるだけだよ」
海も、以前日本を訪れたことがある。その頃に比べれば確かに建築物は新しくなり、空港を行き交う人間は綺麗な風貌をしているが、とにかく人間らしい臭いがきつい。
「私やっていけるかな……」
「大丈夫ですわ、高校生はそんなに臭くないですから」
今回、海がわざわざ異国の土地に来たのには理由がある。
「タクシー呼んであるから、ひとまず行きましょ」
それは高校生には似つかわしくないほど堂々と歩く、日本人にしては高身長の涼子に誘われたからだ。
「カイも高校生やるんですから、あまりババくさい振る舞いしないように」
「ババくさいって何だよ」
「スマホも使ったことない魔女が何を言っても無駄ですわ」
来期から、海は日本で女子高校生をすることになっている。五百年近くほとんど魔女界に引きこもっていた海に、人間界で暮らす魔女の間で流行りの遊びを涼子が勧めてきた。
「そういえばタクシーって分かります?」
「分かるわ!」
「ひとまず三年間は私とルームシェアということで……そんな嫌な顔しないでくださる?」
一言も言葉を発しないタクシードライバーに連れて来られたのは、駅からほどよく近い新築のマンション。広いリビングに加え、個室も複数あり、プライバシーの心配をする必要はないかもしれないが、海が自分以外の存在と暮らしたのは約五百年も前になる。
「別に隣の部屋同士にすればよくない?」
「家電の使い方分かりますの? カイが魔法で生活すると言うなら止めませんけれど」
「……」
海は、人間界にいる時は極力魔法を使わない、人間のルールに従うことにしている。信念をこんなことで曲げるのはよくないと思い、同居を受け入れることにした。仕方なく。
「先に必要なものだけ渡しておきますわ。手続きは後ほどこちらで調整致しますから」
「あーそっか、まだリセット前か」
「そういうことですわ」
涼子が指をパチンと鳴らし、大きな箱を二つ、小さな箱を一つ呼び出した。彼女は海と違い人間界で魔法を使うことに躊躇いがない。
「まずは生徒手帳」
小さな箱に入っていたのは紺色のカバーがついた小さな手帳と、ピンバッチ。バッチは学年を分けるものらしい。
「カイには、若宮海として過ごしてもらうことになりますわ。ハーフということにしているので、身なりを言われた場合はそう返してくださいませ」
「何で若宮なの?」
「書類を用意する日に、ニュースで流れていた名字ですの」
「それ、犯罪者じゃないよね?」
続いて開けられた大きな箱には、それぞれ紺色の制服と紺色のジャージが入っていた。海が通うことになる東高等学校では学年毎に色が指定されており、ジャージやピンバッチの色が学年によって異なる。
「制服地味だね」
「公立高校ですからね」
「これもまた何でここにしたの? 前回もここに通ってたんじゃないの?」
「東高は行事が盛んですのよ。せっかく体験するのであれば、学生らしいことができた方がよくはなくって?」
「それはそうだけど……」
やはり引きこもりには荷が重いのではないかと、海は乗り気になれない。
「心配はいりませんわ。きちんとサポートができる体制は整えてます。なにより流行りと言うこともあって、魔女が結構多いんですの」
今の日本にも多くの魔女が人間に化けて生活を送っている。長生きの魔女たちにとって、人間の生活はとてもいい暇つぶしになるのだ。
そして、現在、魔女の中で流一番行っている暇つぶしが学校生活である。
「そろそろですわね」
魔女の存在が人間に認知されないように、三年に一度人間の記憶や魔女に関わる形跡が消去もしくは改ざんされる。そのタイミングが日本時間の三月三十一日から四月一日へ変わる深夜零時だからである。リセットのタイミングがきっちりと合っているのは、偶然であるのか、日本がそのタイミングに合わせたのか、理由を知るのは定めた魔女にしか分からない。
「リセットだ」
一瞬だけ世界を強い魔力が覆う。
「さて、今日から三年間、青春という暇つぶしを致しましょう」
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