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美智が中央公園と道一本隔てた屋敷を訪れるのは2度めだった。猫沢老人の住まいだ。最初は何も知らずに連れてこられたから、自らの意思で来たのは初めてのことだ。敷地内の広い駐車場には車が3台並んでいる。美智はその隣に自分の軽自動車を停めた。
車を降りて、ぐるりと周囲を見回す。高い塀の上に張り巡らされた有刺鉄線を見上げるのも2度目なら、背筋をざわつくものが走るのも以前と同じだった。最初の時はノートパソコンを入れていたカバンに、今はアイディアをひとつだけ入れている。薄暮の中、それをギュッと身体に抱き寄せて、低い生垣に囲まれた建物の玄関に向かった。左手に大きな枝垂桜がある。こんもりとした影が風に揺れる様子は、大きな妖怪が蠢くようだ。
「こんばんは」
引き戸を開けて玄関に入る。8畳ほどの広さのそこに敷かれている虎の毛皮も、壁に飾られた〝大和魂〟の書も、前に訪れた時と同じだった。
「あらあら、佐久間さん、いらっしゃい。なみ江も来ていますよ。さあ、さあ、上がってくださいな」
主の妻、友子が朗らかに迎えるのも以前と変わっていない。なみ江は彼女の実の娘だ。すでに離婚しているのだが、子供のために別れた夫の姓、坂下を使っている。
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